【雑記】あれから半年と『和田裕美さんから教えてもらった人生の大切な事』 | THE ONE NIGHT STAND~NEVER END TOUR~

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「40歳からの〇〇学 ~いつまでアラフォーと言えるのか?な日々~」から改題。
書評ブログを装いながら、日々のよしなごとを、一話完結で積み重ねていくことを目指しています。

去る9月10日、仙台におじゃまして、
というテーマで話(講演?)をさせていただきました。

内容は、以前、4月に、【こちら】で話をさせていただいてことに
少しつけ加えて構成をしてみました。

細かな内容については、聞いた方がどう評価するかだと思いますし、
ここでは言及しませんが、
このご依頼、もし仙台でなければふたつ返事でOKしていなかったと思います。

いくつかの候補日の中から9月10日を選んだのは、
前日9日が僕の誕生日で、翌日11日が東日本大震災から半年、
という日だったからです。
それにどのくらい意味があるかわかりませんが、
個人的には、僕の新しい歳へのスタートと東北の再生を重ねあわせたい、
という想いがありました(講演の内容には結びついてないですけど)

この半年、東北にこだわってきたと自分でも思います。
それは、

国難のときだから助け合おう、
とか、
同じ日本人として手を携えよう、
とか
僕たちはひとりじゃない
とか
日本はひとつだ
とか

そういう想いは、まったくないとは言いませんが、
僕にとっては少し違うような気がしています。

10年以上、仕事で東北とかかわってきました。
ある時は宮城の旅館の営業として。
ある時は、東京から東北へ送客をする立場として。

震災の被害を受けた地域は、
濃淡の差はあれども一度は行ったことがあり、
リアルに場所が思い浮かぶところがほとんどです。
それだけにこだわりも大きいのだと思います。

正直いえば、今度の紀伊半島の台風被害にあわれた地域について、
東北と同じような想いが持てるかといえば、無理だと思っています。
直接の知り合いがいるのでその部分での切迫感はありますが、
もしそうでなければ、
「画面の向こうの出来事」
としてとらえる可能性も高いと感じています。
(なので、東日本大震災への想いにみんな濃淡があるのは仕方がないと思っています)

それだけ、東北へ強く思い入れをしているわけですが、
そうかと言って、僕が東北とかかわっていた期間、
すべてが楽しい思い出だったわけではありません。

特に、東京に戻って東北へ送客をする仕事をしている間は、
思い出したくもない、自分にとってマイナスな時期、まわり道をした無駄な時期、
と思っていたこともあります。

それが今、素直に
「自分のキャリアのほとんどは東北が育ててくれた」
と思えるようになったのは、

やはり、和田裕美さんから学び
「過去を陽転させる」
ことができたらかだと断言することができます。

これから先、自分に何ができるのか、
考え続けていくしかないのだろうな、と思います。

3月の時点で、ひとつだけ決めていたことがありました。
それは、

「短期的に吹き上がって、援助だ、寄付だと言って、
あっという間に無関心になるようなことはことはしない」

ということです。

明らかに長期戦になるのは目に見えていましたから。

だから、
「なんでもない日常に戻ること」
が復興支援へのスタートだと言い続けました。

そこから何ができるのか、どれでか継続的にできるのかが勝負だと。

当時は
「何ができるか考える、なんて言ってる間に、現地では被害が広がっている」
という批判も受けました。

まあ、そういっていた人の大半は、今はなにもされていないようですが。

むろん、当初、火急を要する援助、というのも必要でしたから、
それを否定する気もありません。
しかし、最初から僕にできることは、
災害直後の、プロの力が必要とされる場ではない、と
(ある意味残念ながらですが)思っていました。

もう半年たった、というのも事実ですが、まだ半年というのも事実だと思います。
これからいかに「継続」をしていけるのかがテーマになってくる、
と予感しています。

ある意味これも、和田裕美さんに教わったことからもしれません。

僕がはじめて、生の和田さんからもらったメッセージは、
青砥で聴いた
「夢も目標も継続がテーマ」
でしたから。
(この文章はfacebookのノートに書いたものを加筆・修正しました)