最近、良く本を読みます。


これまでの自分では考えられないことです。


先日読み終えた本がこちら。




やすこ先生の日記帳



ピアノ調律師・村上 輝久さんの『いい音ってなんだろう』


ご存じない方は…おそらくいらっしゃらないと思います。


昭和4年生まれ。まさに、日本のピアノ製作の歴史とともに、


その開拓時代を先頭きって、後進へ受け継ぐための道を


切り開いて来られた方です。



ピアノの性能も、ピアノの調律においても、


日本の技術はまだ誰にも認められていないような、そんな時代。



村上さんはさまざまな逆境にもめげず、絶えずその持前の好奇心と


ご本人曰く「野次馬である」自分だから挑戦し続けた、と。


持前の手先の器用さも手伝い、会社(Y社)からの信頼も篤く、


海外へまさにポーンと武者修行に出され、語学から習慣の違いから


気候の違い、そしてピアノの歴史と音色の格段の違いに驚きつつ、


その場ですべて必死で技術を学び、磨いてこられました。



ご本人は文中でさらりと表現されていますが、

仕事への執念と責任感は、想像を絶するものであったと感じます。



でなければ、かのミケランジェリやエミール・ギレリス、


ケンプ、バイロン・ジャニス、そしてリヒテル。


その頃まだ若手であった、マウリッツオ・ポリーニや


ジョルジュ・シフラなどなど・・。


それら一級の芸術家の信頼を得られるはずもないですから。



巨匠と呼ばれるピアニストたちを満足させるだけの、卓越した


ピアノの調律・調整、楽器にかける愛情を持っていたからこそ、


仕事の依頼が山のように舞い込んだのでしょうね。


本場ヨーロッパで、しかも卓越した感覚を持つピアニストたちの


信頼を得て、大事な楽器を全面的に任されることは


この上ない栄誉であるとともに、非常なプレッシャーもかかったでしょう。



そのなかで、同業者(現地のコンサートチューナー)をも味方に


つけながら円滑に任務を果たしてこられた。



Y社がまだ開発したてであった、CFのすばらしさを世界に知らしめ、


一流のピアニストたちに使用してもらうことで、


その知名度を広めてきました。


日本のピアノが現在世界のコンクールで、公式ピアノとして


認められているのは、村上さん方先駆者のご苦労があったから


だと思います。



村上さんは外国と日本を往復されつつ、世界中でご活躍され、


その後帰国されました。


長年の夢であったとおっしゃる、「ヤマハピアノテクニカルアカデミー」の


設立を実現させるために。


世界に通用する、コンサートチューナーを育てるためのアカデミー。


多くの後進が、ここから羽ばたいています。



その根底にある、職人魂。


厳しさも辛さも、すべてピアノという楽器を美しく輝かせるための


パワーに変えて、尊い偉業を成し遂げました。


言葉で表現するのはこんなに簡単ですが、


これは村上さんだったからこそ、できたお仕事ではないかと推測します。


誰にも成し遂げられなかった、すごいお仕事をされた方です。



ご興味のおありの方、ぜひご一読を!








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