アーサーさんの絵本「雨ニモマケズ」Rain won't stop me.

アーサーさんの英訳がとてもいい というか面白い


本の最後の「あとがきにかえて」を紹介しま~す


 


「今ニモマケズ」ーーあとがきにかえて

「雨ニモマケズ」は現代の読者に誤解されやすいようだ。少々古風な言い回しがあり、片仮名と漢字という一風変わった表記法ではあるが、それでも今、日本語として読める。その結果、人びとはつい「日本」が、この作品の舞台になっていると思い込む。

けれど実際は「雨ニモマケズ」が生まれたところは、21世紀の日本とはあまりにも大きく異なり、宮沢賢治の生活の現場へ戻って見回せば、現代はまるで別の国だとわかる。地域社会も自然環境も、もちろん経済の仕組みにおいても、大事なポイントはほとんど共通していない。食料自給率100%の地産地消が当たり前だった、田んぼと畑を中心とした暮らしが、今ではコンビニとファストフードを中心とした輸入の渦と化している。当たり前すぎるくらい当たり前だった里山も、執拗に破壊され、もはや探し求めなければ出会えない生態系となった。日本中の川が護岸工事でコンクリートのどぶにつくりかえられ、賢治の親しんだ生き物たちは駆逐されて来た。

当然、土壌の善し悪しをたえず気にかけ、地質も水質も我が身の一部としてとらえていた詩人には、放射能汚染を許容することなどあり得ないのだ。

詩というのは、言わなくても分かることを説明したりしない。「みなまで言うな!」と自分に言聞かせながら、詩人は表現の無駄を省き、本質を読者に手渡そうとする。ましてや「雨ニモマケズ」は、人生の〆切が容赦なく迫るなか、賢治の最後の手帳につづられたもので、大生を語る時間的余裕もなかった。

たとえば「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と書かれているが、その「味噌」のあとに「原材料:大豆(国産、遺伝子組み換えでない)」といった補足は当時、必要なかった。また「玄米」のほうも、取り立てて「1キログラム当たり100ベクレル未満」みたいに放射能検査の結果を添えなくても大丈夫だった。

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の「雨」「風」に含まれる汚染物質は、1931年と今とでは雲泥の差なのだ。それをちゃんとわきまえた上で作品を読まなければ、意味をはき違えかねない。

この本では、「言わずもがな」だったはずの里山が、絵に生き生きと描かれている。その環境に深く根ざした賢治の言葉も、日本語だけでなく、英語でも芽を出そうとしている。翻訳をこころみて、ぼくはあらためて身につまされたが、「雨ニモマケズ」はちっとも古くなっていないのだ。

たしかに「今」と大きくズレてはいるけれど、それは「今」が劣化しているからズレが生じた。つまり「雨ニモマケズ」は継続可能な、古くならないものが土台となっているのに対して、コンビニ生活もグローバル経済もTPPまでも先がない、すべて袋小路だ。「イツモシヅカニワラッテヰル」宮沢賢治は、その問題をやさしく突きつけてくれている。この「雨ニモマケズ」がうんと近い、当たり前の生態系になる流れを、今のぼくらがつくらなければ。

アーサー・ビナード 2013年11月3日

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With a body built for endurance,    丈夫ナカラダヲモチ  
a heart free of greed,          慾ハナク
I'll never lose my temper,
trying always to keep           決シテ瞋(いか)ラズ
a quiet smile on my face.        イツモシヅカニワラッテヰル