スポーツ界における、本当はアスリート自身のものでしかない感動がもたらす影響力を、国威発揚の起爆剤に利用し、且つ、その国々が抱える致命的な欠陥や、重大な問題から国民の目を逸らそうと画策する世界の為政者の腹黒い思惑は、残念ながら、そのつど功を奏し、真剣に生きる気力などさらさらなく、過酷な現実を直視する勇気もなく、自分以外の誰かに、力のありそうな他者に、全責任を預け、自己自身の権利の数々までをも託して、幼い子どものように、四六時中、年がら年中、のうのうと気楽に日々を送っていたいとする大衆は、国家の支配者たちが次々に仕掛けてくる罠にまんまと嵌り、というか、自分から進んで掛かり、実際にはおのれの人生になんの益ももたらさない、〈感動ごっこ〉に熱中し、夢中になり、さもなければ、熱中して夢中になるふりをすることで、偽りの充足感に浸り、勝敗の行方に一喜一憂し、それを口実にして大酒をくらい、泥酔によって麻痺した脳の痺れを生きることの充溢と無理やり思いこみ、「勇気をもらった」だの「元気をもらった」だのというたぐいの、束の間のきれいごとでもって、心の底にいかんともしがたく横たわっている生の虚しさを覆い隠し、隠しきれなくなったところで、今度はサッカーからオリンピックへと人生の期待を移行させるのですが、これではいつまで経っても国家の主権者になれるはずがなく、悪そのものでしかない権力の思うつぼにまんまと嵌まりつづける、幼稚な愚者と言われたところでどうしようもないのです。
 盛大なお祭りにも似た国家的、世界的なイベントの裏に隠されている、大きな意図をいちいち看破し、その汚い思惑に背を向け、いちいち非を鳴らすことをつづけないことには、明るい未来などけっして訪れないということをゆめゆめ忘れてはなりません。