【運ぶ】サトウキビ列車、愛される唯一の現役 雲林(台湾)朝日2011年2月5日
収穫したサトウキビを載せた貨車を機関車が引いて走る。毎日、畑と工場を数回往復する=台湾雲林県虎尾、村上写す
時折、サトウキビを満載した貨車を引いたディーゼル機関車が、のろのろと工場内に入ってくる。
台湾中部、雲林県虎尾にある台湾糖業の製糖工場は、甘いにおいがかすかに漂う。近くにあるサトウキビ畑との間を結び、収穫期の冬の間だけ鉄道を運行している。線路の幅は762ミリで新幹線のほぼ半分しかない。日本にも昔、数多くあった軽便鉄道の規格だ。
日本統治時代に大日本製糖(現大日本明治製糖)が1908年から生産を始めた。鉄道も当時からあったらしく、敷地内には小さな日本製蒸気機関車が使われぬまま留め置かれている。
日本の資産を引き継いだ台湾の製糖業は大きく発展。1970年代には年間120万トンを生産し、多くを輸出した。その後国際競争力を失い、今は年産30万トンにとどまる。大半の工場が閉鎖され、サトウキビを運び込んで製糖する工場は虎尾を含め2カ所しかない。
台湾中南部に張り巡らされ合計3千キロに及んだサトウキビ鉄道も、観光用を除き現役は虎尾の1路線だけ。風前のともしびだ。台湾の鉄道ファンの間で、「運行は今年が最後らしい」とのうわさが繰り返し流れている。
林栄輝工場長に尋ねたら、「工場の周りは住宅が多くて、道路も狭い。トラックを使うと交通の妨げになるから鉄道の方が好都合なんです」。当面存続させる方針だという。(村上太輝夫)

時折、サトウキビを満載した貨車を引いたディーゼル機関車が、のろのろと工場内に入ってくる。
台湾中部、雲林県虎尾にある台湾糖業の製糖工場は、甘いにおいがかすかに漂う。近くにあるサトウキビ畑との間を結び、収穫期の冬の間だけ鉄道を運行している。線路の幅は762ミリで新幹線のほぼ半分しかない。日本にも昔、数多くあった軽便鉄道の規格だ。
日本統治時代に大日本製糖(現大日本明治製糖)が1908年から生産を始めた。鉄道も当時からあったらしく、敷地内には小さな日本製蒸気機関車が使われぬまま留め置かれている。
日本の資産を引き継いだ台湾の製糖業は大きく発展。1970年代には年間120万トンを生産し、多くを輸出した。その後国際競争力を失い、今は年産30万トンにとどまる。大半の工場が閉鎖され、サトウキビを運び込んで製糖する工場は虎尾を含め2カ所しかない。
台湾中南部に張り巡らされ合計3千キロに及んだサトウキビ鉄道も、観光用を除き現役は虎尾の1路線だけ。風前のともしびだ。台湾の鉄道ファンの間で、「運行は今年が最後らしい」とのうわさが繰り返し流れている。
林栄輝工場長に尋ねたら、「工場の周りは住宅が多くて、道路も狭い。トラックを使うと交通の妨げになるから鉄道の方が好都合なんです」。当面存続させる方針だという。(村上太輝夫)
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