10年前、何してた? | シュミちゃんの「塵壺 新報社」

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越後長岡藩・軍事総督の河井継之助の諸国旅日記「塵壺(ちりつぼ)」(“ごみ箱”)に因み命名。
雑記、映画批評、まちづくりやものづくりのプレゼン、官民、教育機関、メディア等への批評、提言を
新潟県長岡市を軸に記述します。

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何だろう生活が乱れ出して来た様な。


夏に地元で7.13新潟豪雨が発生。
自分には直接の被害はなかったが、その時、水洗トイレが逆流。

近所もそう。


三条市の知人の家が洪水の被害に。

1階が泥まみれになったようだ。


また、中之島町(現長岡市)の保育園で、園児達が取り残され、暗くなってから、屋上からヘリコプターで救出された映像が鮮明に残っている。


多くの寝たきりの高齢者の死者が出た。


その秋には、中越地震が発生。

自分は長岡市で遭遇。

自分の乱れた生活が豹変していく。

震度6強、あの衝撃の激震は今でも忘れない。


日々、余震に襲われ、常在戦場状態。


そんな中、長岡市妙見崩落現場で、乳児の優太ちゃんが4日ぶりに土石の中から救出された。

その映像をリアルタイムで、同時に起きる余震も感じながら、テレビで見守っていた。

救出の瞬間は歓喜に溢れた。

一つに奇跡だろう。

ここから何かしら自分に勇気が湧き始める。


そこに、この地震の様子を映像に撮ってほしいという東京の知人からの依頼が。

初めは複雑な気持ちだったが、この救出劇の出来事もあって、重い腰を上げ、被災現場にどんどん踏み込んで行く。


そこから、新たな構造の中越地震を題材にしたドキュメンタリードラマが生み出されて行く。


そして、地震同様、人生の大転換点を迎える。

それは、もしかして自分がどこか望んでいたのかもしれない。

いや祖先だろうか。

それが、今思うと結果的には良かった。


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