チャールズ・ブコウスキー『パルプ』 | 文学どうでしょう

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パルプ (新潮文庫)/新潮社

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チャールズ・ブコウスキー(柴田元幸訳)『パルプ』(新潮文庫)を読みました。

ブコウスキーはぼくが心底敬愛する作家で、手っ取り早く言えば、アメリカの「無頼派」みたいな人です。

いつもお金がなくて、たまにお金が入ると酒を飲み、競馬をし、娼婦を買って使い果たしてしまいます。計画性があり、安定のある生活とは、とことん無縁。

ブコウスキーの作品の中で、とにかくぶっ飛んでて面白いのは、『町でいちばんの美女』という短編集です。これは、機会があればぜひ手に取ってみてください。

町でいちばんの美女 (新潮文庫)/新潮社

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町でいちばんの美女』の記事の中でも書きましたけど、おすすめであると同時に、あまりおすすめの本ではないんです。まあひどい話ばかりが集められた短編集なので。

とにかくもう酒や競馬、娼婦に溺れる、堕落した生活が描かれていますから、おそらく好き嫌いははっきり分かれるのではないかと思います。

もろに性犯罪的な話もあって、特に女性読者はドン引きしてしまうんじゃないかと。あれなんですよ、ブコウスキー好きのぼくですらドン引きする作品もあったぐらいですから。

でもそうした底辺の生活が悲壮感漂うタッチで描かれるのではなく、底抜けのユーモラスさで描かれていますし、性的な事柄ももっとこう日常的にありふれたものとして描かれてますので、なんだか無性に面白いのです。

そんな荒くれ者ブコウスキーの遺作が、今回紹介する『パルプ』です。

柴田元幸の訳者あとがきに詳しいですが、タイトルの「パルプ」というのは、昔アメリカで流行した「パルプ・マガジン」のイメージを持っています。

「パルプ・マガジン」というのは、粗雑な紙に印刷された雑誌のことで、ミステリやSF、ポルノなど、要するに低俗とされた小説が収録されていたらしいです。

そして、重要なのは大量に作られ、大量に消費されたこと。日本でいうと、『週刊少年ジャンプ』など、マンガ雑誌に感覚としては一番近いのではないでしょうか。

コミックスは大切にするでしょうけども、マンガ雑誌は余程のファンでない限り、読み捨てる感覚ですよね。おそらく、あんな感じなのではないかと思います。

そうした「パルプ・マガジン」のイメージを持ってますから、文学性の豊かさとか、高尚なものとは無縁の、チープなB級感漂う小説が『パルプ』なんです。ちょっと面白そうでしょう?

基本的な枠組みは、探偵ものです。アメリカの探偵ものには、同じ私立探偵が登場するミステリでも、シャーロック・ホームズのように明晰な推理で事件を解決するスタイルではないものがあります。

ジャンルとしては、いわゆる「ハード・ボイルド」といって、足で稼ぐ強引な捜査方法で、妨害者に殴られ蹴られながら、決してひるまず、へらず口を叩きながら腕っぷし一つで事件を解決していくというもの。

『パルプ』はその「ハード・ボイルド」がベースになっています。主人公の私立探偵は、ニック・ビレーン。自分は凄腕だと思っていますが、何だかんだといつも失敗ばかり。

たまたまいくつもの依頼が重なって、時に酒を飲み、時に競馬をし、脅し、脅されながらも捜査に乗り出して行って・・・。

死んだはずの作家セリーヌや、宇宙人らしき美女が出て来たりと、登場するキャラクターからしてはちゃめちゃで、ギャグやユーモア満載の面白い小説です。

ミステリとして読むと少しあれですが、漂うチープ感がたまらなくいいんです。折角なので、ぼくがお気に入りのシーンを紹介しておきましょう。

雨音を聞いて人生について考え始め、憂鬱になってしまったニックは、電話をかけます。女の子がエロティックな会話をしてくれるサービスの所へ。

クレジットカードの登録に手間取りますが、ようやくハスキーな声のキティが出ました。ニックは風邪を引いてるか、それかもしくはタバコの吸い過ぎみたいな声に聞こえると言います。

「あたしが吸うものはひとつだけよ、ニック!」
「何を吸うんだい、キティ?」
「わかんない?」
「わからんなあ・・・・・・」
「下を向いてみてよ、ニック」
「オーケー」
「何が見える?」
「酒と、電話」
「ほかには、ニッキー?」
「俺の靴・・・・・・」
「ニック、あたしと話しながら、そこにつき出してるおっきいモノはなあに?」
「あ、これか! これは俺の腹さ!」

(235ページ、本文では「ひとつ」「おっきいモノ」「腹さ」に傍点)


エロティックな電話をするサービスですから、本来男は興奮しながら電話しているわけですよね。「あ、これか! これは俺の腹さ!」は予想外で面白いですよね。

この場面は勿論ユーモラスですけども、同時にかなり深刻な場面でもあって、ニックは別にいたずら電話をかけているわけではないんですよ。その気にならないんです。

なぜその気にならないかというと、自分がクソみたいな世界で、クソみたいな人生を送ってると思っているから。ちょっと病んでる感じすらあります。

実は『パルプ』は、作品全体に厭世観が色濃く出ている作品でもあって、チープでコミカルなタッチなのに、人生のむなしさを描いているんです。

或いは逆に言えば、人生のやるせなさを描いているにもかかわらず、ドタバタでユーモラスなタッチなわけです。

「なんだこれ、くだらねー!」とたくさん笑って、最後にはなんだかしみじみと考えさせられもする、不思議な魅力のある作品です。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 俺はオフィスにいた。オフィスの契約期限はもう切れていて、マッケルヴィーは追い立ての手続きをはじめていた。馬鹿みたいに暑い日で、エアコンは壊れていた。ハエが一匹、机の上を這っていく。俺は手のひらをつき出し、そいつをあの世へ送り込んだ。ズボンの右脚で手を拭いていると、電話が鳴った。(7ページ)


電話の相手が依頼人としてやって来ます。すばらしく魅力的な肉体をした絶世の美女。美女は「死の貴婦人(レイディ・デス)」と名乗りました。

「死の貴婦人」は、ここハリウッドに潜伏しているセリーヌを探してほしいと依頼します。ちなみに、セリーヌは『夜の果てへの旅』などを書いた、実在するフランスの作家です。

「セリーヌは死んだよ。セリーヌとヘミングウェイは一日違いで死んだんだ。三十二年前に」(12ページ)とセリーヌがすでに死んでいることを知っている〈俺〉はそう言いますが、一時間六ドルでこの仕事を引き受けました。

やがてまた電話がかかって来て、新たな依頼人のジョン・バートンは「赤い雀(レッド・スパロー)」を探していると言います。「赤い雀が見つかったら、一生ずっと、毎月百ドルずつあげよう」(16ページ)と。

〈俺〉は「死の貴婦人」の情報通り、本屋でセリーヌそっくりの男と遭遇します。セリーヌが何を立ち読みしているかを見て、話も少ししたのですが、結局逃げられてしまいました。

また捜査は振りだしです。しかし捜査に精を出すどころか、〈俺〉は競馬に行って金を使い、夜は酒を飲んで過ごします。

契約の切れたオフィスをめぐるごたごたに巻き込まれますが、それもまあなんとかなって、電話でまた馬券を買う〈俺〉。

 俺は電話を切った。やれやれ。人間なんて地面一センチ一センチを確保しようと苦労するために生まれる。苦労するために生まれ、死ぬために生まれる。
 俺はそのことについて考えてみた。そのことについて、じっくり考えた。
 それから椅子の背に寄りかかって、タバコをゆっくり喫いこみ、ほとんど完璧な輪を吹き出した。(34ページ)


ツキがめぐって来たのか、さらに依頼が二件舞い込みます。まず一件目の依頼人は、ジャック・バスという50代半ばの金持ち風の男。

まだ20代の奥さんシンディの様子が最近何だかおかしいので、浮気している相手がいないかどうかを調べてくれというもの。

二件目の依頼人は、30代のハル・グローヴァーズという男。グローヴァーズは、ジーニー・ナイトロと名乗る宇宙人に付きまとわれて困っているというんですね。

ジーニーには不思議な能力があって、命じられると何でもその通りにしてしまうというんです。〈俺〉は、「グローヴァーズ、あんたただ女のケツに敷かれてるだけだよ。そういう男っていっぱいいるよ」(95ページ)と言いますが、ともかく依頼を引き受けました。

セリーヌが本物のセリーヌかどうか調べること、赤い雀を探すこと、シンディの浮気調査、グローヴァーズにつきまとう宇宙人らしき美女の退治、これらの依頼が同時進行で進んでいきます。

しかし、赤い雀には何の手がかりもありませんし、シンディの浮気調査ではへまばかり。宇宙人と思われる美女ジーニーは、相手の方が二枚も三枚も上手で、〈俺〉は手も足も出ません。

やがて、また本屋でセリーヌを捕まえることに成功します。

 俺はそばに寄っていった。すぐそばまで寄った。『死の床に横たわりて』のサイン本だ。と、奴が俺に気づいた。
「昔は」奴は言った。「作家の人生の方が、書いてるものより面白かった。いまじゃ人生も書いたものも、どっちもつまらん」
 奴はフォークナーの本を元に戻した。
「あんた、このへんに住んでるの?」俺は訊いた。
「かもな。あんたは?」
「あんた、昔はフランスなまりだったんじゃない?」俺は訊いた。
「かもな。あんたは?」
「いや、全然。なあ、あんた、誰かに似てるって言われたことない?」
「人間みんな、多かれ少なかれ誰かに似てるものさ。あんたタバコ持ってるか?」
「おう」
 俺はタバコの箱を引っぱり出した。
「あのな」奴は言った。「一本出して火をつけて、喫ってくれ。そうすりゃ少し静かになる」
 奴は立ち去った。(65~66ページ)


やがて、オフィスに薄いピンクのスーツを着た類人猿のようなな巨漢たちが現れ、一万ドルをくれれば「赤い雀」を渡してやると言って・・・。

〈俺〉は、すべての事件を解決することが出来るのか!?

とまあそんなお話です。行く先々のバーテンダーと揉めたり、屈強な男たちに痛めつけられそうになったり、逆に〈俺〉が誰かを脅したりと、「ハード・ボイルド」の王道パターンを踏襲しつつも、どことなくユーモラスさの漂う作品です。

「死の貴婦人」も宇宙人らしきジーニーもどちらも絶世の美女ですから、たまたま2人と〈俺〉が一緒にいる所を見たバーのバーテンダーはびっくり仰天します。〈俺〉が席を外してくれと頼むと・・・。

「いいですよ。でもあとひとつだけ教えてくださいよ」
「いいとも」
「なんであんたみたいなデブの醜男が、そんなにもてるわけ?」
「ワッフルにバターミルクをかけるからさ。さ、とっとと行きな」(204~205ページ)


「ワッフルにバターミルクをかけるからさ」は日常で応用できそうですね。みなさんも何かで褒められたら、ぜひ使ってみたらいかがでしょうか。

『パルプ』はどことなくチープで、コミカルかつシリアスな面白い小説ですが、何を求めて読むかで、感想は変わって来るかも知れません。

本格的な「ハード・ボイルド」を求めても駄目ですし、ユーモラスさ、コミカルさを求めすぎても、しっくり来ない感じがあるかと思います。

あまり期待せずに、「パルプ・マガジン」のように、読み捨てる感じで読むと、結構楽しめるであろう作品です。

280ページほどの、それほど長くもない作品なので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

面白いか面白くないかはともかく、ぼくは結構好きな小説です。

明日は、エドガー・ライス・バローズ『火星のプリンセス』を紹介する予定です。