名前 ――名 | 獨と玖人の舌先三寸

名前 ――名

・諱(いみな)――
諱という漢字は、日本語では「いむ」と訓ぜられるように、本来は口に出すことがはばかられることを意味する動詞です。
この漢字は古代、貴人や死者を本名で呼ぶことを避ける習慣があったことから、転じて人の本名(名)を指すようになりました。諱に対して普段人を呼ぶときに使う名称のことを“字(あざな)”といい、時代を下ると多くの人が諱と字を持つようになっていきます。
諱で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が諱で呼びかけることは極めて無礼であると考えられました。
また、僧侶が受戒するときに受ける法名のことを、仏弟子として新たに身につける真の名前という意義から諱(厳密には法諱)と言いました。時代が下り、僧侶の受戒が、俗人の葬式で死者に授戒し戒名として諱を与える儀礼として取り入れられます。このため、現在では諱は諡(おくりな)と混同され、現代日本語では同義に使われることもあります。

※実名敬避俗(じつめいけいひぞく)――漢字文化圏では、諱で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が名で呼びかけることは極めて無礼であると考えられました。これはある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられたためです。このような慣習は“実名敬避俗”と呼ばれ、世界各地で行われていました。

・字(あざな)――成人した人間の呼び名として諱の代わりに字が用いられました。中国人は個人に特有の名として姓(氏)と諱(名)と字の三つの要素を持ちました。日本では大抵の中国人は“姓‐諱”の組み合わせで知られます。ただし例外的に“姓‐字”の呼称が通用している人物もいます。※三国志等。

・号――文人、知識人などの呼び名として諱の代わりに号が用いられました。

・諡(おくりな。また諡号(しごう))――死後に功績を讃えて爵位を賜った場合、諱の代わりに諡が用いられました。主に貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことです。現在の日本では天皇陛下および皇后陛下。“諡”の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味します。
※追号と諡号は別物です。

鎌倉時代。朝廷が儀式や法会の資金を調達するため、金銭と引き換えにして衛府や馬寮の三等官(尉、允)に御家人を任官させたり、有力御家人を名国司(実体のない国守の名称)に補任させたりすることがたびたび行われ、武士の間に官名を称することが普及します。

室町時代。守護大名が被官に対して官途状を発給し、受領名(国司の官名)を授与するケースが表れます。これは朝廷の関知しない僭称で、公式な場では官名を略したり、違う表現に置き換えたりしました。また、先祖が補任された官職を子孫がそのまま用いるケースも現れ、朝廷は関知せず、武士が官名を私称する自官という慣習が定着していきました。

戦国時代。武士の間で官名を略したものを名前として用いる風習が広がり、江戸時代末期までその風習が続きました。
関東地方では朝廷の官職を模倣したさまざまな擬似官名が発展し、これを東百官、武家百官と呼んだことに対し、正式な官職を元にした名乗りは公家百官と呼びました。

明治時代。戸籍制度ができると、百官名系の人名も実名として使われるようになります。