今こそ、高橋是清に学べ! | 岐路に立つ日本を考える

岐路に立つ日本を考える

 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


社会・経済(全般) ブログランキングへ

 高橋是清という人のことをご存知の方は多いと思います。戦前の世界大恐慌に巻き込まれた日本をデフレ不況から救い出した英雄ですね。同じデフレ不況に陥っている今、高橋是清から学ぶべきことは多いでしょう。今回は彼がいったいどうやってデフレ不況から日本を脱出させたのかを、簡単に振り返ってみます。

 まずは高橋是清が大蔵大臣になるちょっと前の話です。このとき大蔵大臣だったのは、井上準之助という人です。高橋是清の1つ前の大蔵大臣だと思えばいいです。実はこの井上準之助は徹底した構造改革を志向し、国民もこれを熱狂的に支持していました。小泉構造改革の時の日本と似ている状況だったと思えばよいかと思います。

 ところが井上が実際に構造改革路線を押し進めると、失業率は10%を超えるようになり、デフレが極度に深刻化する事態になりました。折しもアメリカのウォール街での株価の大暴落があり、その影響が徐々に深刻化していく中で、井上のデフレ政策はさらに致命的なダメージを日本経済に与えていったわけです。さすがに真面目な国民も、このデフレには我慢ができなくなり、政策転換を求める声が広がっていきました。

 こうした状況の変化を受けて、1931年12月に政権交代が起き、いよいよ高橋是清蔵相が誕生したわけです。高橋は大蔵大臣就任したまさに初日に、なんと井上が再開した金本位制を停止して、円安を黙認する政策をとりました。この結果、金本位制のもとで1ドル約2円だった円相場は、1ドル約4円にまで下落しました。要するに円は半値になったのです。

 ところがデフレの深刻度は根深く、これほど円安に振れても消費者物価指数は対前年比でマイナスで、相変わらずデフレ状況に置かれたままでした。物価だけでなく、株価も鉱工業生産指数も低調な状態が続きました。高橋はデフレ脱却を目指すために、日銀による国債の買いオペ(日銀が市場から国債を買い入れることで、市場の通貨量を増やすこと)をどんどん実施しました。しかしながらこの程度の手段だけを取っていたのでは効果が薄いということがわかってきたために、高橋は大胆な積極財政への転換を図るとともに、これに必要となる資金を日銀引き受けの国債発行でまかなう方針に切り替えました。

 高橋是清が行ってきたことを、ここで一度まとめてみましょう。高橋は、まず①半値になるほどの大幅な円安を容認しました。そして②すさまじいレベルでの国債の買いオペも行いました。しかしそれではまだデフレからは脱却できませんでした。もっと強烈な手を打つ必要を感じた高橋は③財政を思い切って拡大することを追加決定し、④この資金を国債で賄う方針を立て、そして⑤これを日銀に直接引き受けさせるという大胆な方針を示したのです。そして⑥こうした思い切った手段を次々に実施していくことが、国民や企業の心理面でも大きな効果を上げ、デフレ脱却の実現につながったわけです。

 高橋是清から私たちは何を学べるでしょうか。

 実は高橋が大蔵大臣として登場する前の10年間は、不況が続いた10年間でした。戦前版の「失われた10年」と言ってよいようなものでした。この失われた10年は、第一世界大戦の大戦景気の反動から不況に転落したことから始まったものです。そこに追撃を食らわせたのが関東大震災です。多くの工場・商店が崩壊し、企業間での貸し借りの決済がつかなくなりました。こうした不良債権の存在が経済の重しとなるということがその後もずっと後を引いたと考えて下さい。そしてそんな時に「こんな長期低迷を抜け出すには構造改革しかない!」という感じで井上準之助が登場し、とにかく現状から脱却したいと思う国民から熱狂的な支持を受けたのです。小泉構造改革の頃と、本当によく似ていますね。

 しかし井上の過激な構造改革路線によって、日本経済はデフレ大不況になってしまい、経済は全然好転しなかったどころか、凄まじく悪化しただけでした。こんな感じで不況がずっと続いてきて、何をやってもうまくいかないと日本人はすっかり信じるようになってしまい、好景気がそのうちやって来るとさえ、なかなか思えなくなっていたのです。このあたりの雰囲気も、現代の日本に似ていますね。

 したがって高橋は、デフレ不況から脱却するために、この10年以上にわたる長期の不況に慣れてしまった日本人のマインドを、抜本的に変えていくことも必要だと考えていたのです。

 高橋は次々に大胆な手を打ちながら、打った手では不十分だと判断すると、次々と新しい思い切った策を講じていきました。金本位制の離脱により、半値水準まで円安を容認したのも大胆ですよね。でもそれだけでは不十分でした。そこで買いオペを積極的に進め、1年もしないうちに日銀のバランスシート上での国債保有比率をそれまでの2倍にまで増やして、資金供給を行いました。これも大胆ですよね。しかしそれでもまだ不十分でした。それでさらに財政を思い切って拡大することを決め、その財源を国債の日銀引き受けに求めることまでやりきりました。これまた大胆ですよね。そして、このようにそれまでとは違う思い切った手を次々と大胆に打っている姿を、国民にもよく見せるようにしていました。こうした、従来のレベルとは比べ物にならない手段を次々と繰り出すことにより、国民のマインドを最終的に好転させることができ、デフレから脱却することができたわけです。

 この時と同じデフレ不況に悩む現代の私たちは、こうした高橋の手法から素直に学ぶべきではないでしょうか。大胆なデフレ対策を効果が出るまで次々と打ち続けるということが、絶対に必要なのです。しかしながら現実には、「デフレだ、デフレだ」と叫びながらも、高橋是清が行ったレベルでのデフレ対策は、これまでとられてきませんでした。「デフレ対策のために、構造改革を推進する」というのはまさに狂気の沙汰ですが、「デフレ対策は行わねばならない。だが財源がないから増税する」というのも、効果があるはずがないのです。そもそも深刻なデフレ不況下にあるときに、「責任ある政治家であれば、増税から逃げてはいけない」なんて言っている段階で、アウトでしょう。

 現代のデフレ不況から脱出する際にも、財政面でも金融面でも、従来とはレベルの違った大胆な手法を様々に繰り出すことが必要なのです。そして、政治のリーダーが何が何でもデフレから脱却してみせる強力な意志を持っていることを示す必要もあるのだろうと思います。もちろん「口だけ番長」では効果はありませんから、政府がそうした手法を本気で採用していることが前提です。

 思い切った公共投資によって、大胆な財政出動を実現し、日銀法もズバッと改正して、インフレ目標に達するまでは無制限な金融緩和を行うこともすべきです。政府がこうした諸方策を全面的に採用することで、絶対にデフレから脱却する意志を持っていることを国民にはっきりと見えるようにして、デフレ慣れした国民のマインドを抜本的に変えてしまうことも大切なのです。

 デフレ不況から脱却するためには、高橋是清くらい大胆なことを言って実行していけるリーダーを選ばなければならないということに同意いただける方は、クリックをお願い致します。


社会・経済(全般) ブログランキングへ