結果が出るまで「飽和」せよ。 | 山部香澄 自己表現を生きる

山部香澄 自己表現を生きる

自己表現を生きるためのステップ。


昨日はカフェでブログとメルマガ書いた後、
眠くて眠くて…。


帰って夜まで爆睡でした(汗)。


最近の変化にともなう、
脳内整理だったのね。


お陰で、今日はスッキリ。



こんにちは、香澄です。



昨日の記事、
朦朧としながら書いたのもあって

いまいち読み返したら伝わらなかったかなぁ…
と思い改めて解説。


昨日、
・変わるというプロセス自体が価値
・こういう結果が幸せという答えがない

ってなことをカッコつけて書いたんだけど
ちょっとウソが入ってました。


正確には、

以前は
「こういう結果が出たら幸せだなぁ」って
あれこれ思っていた。

「モテる私になる」しかり。
「仕事がうまくいく」しかり。

結果さえ手にはいれば幸せだと。
それくらいは思ってた。



でも、いつの間にか
プロセスを過ごすことが楽しくなっていたのでした。

その結果ももちろん嬉しいんだけど
それ以上にプロセスが楽しくなってただけの話。



んで、結果にたどり着かないときって
いろんな理由があると思うんだけど

そのひとつが
プロセスを進んでいる実感が持てないことよね。


そこを無理矢理
「希望」とか「夢」とかでごまかしても
実感が持てないものは持てないんだから。


諦めたくなったり、
投げ出したくなるのもわかる。


そんな風に過ごすプロセスは
味気なく、ツラいだけになる。



そこで大事なのは

(いったん、取り組んでるその対象についてはおいといて)

世の中の他の現象に対する、
理解と想像力なんだよね。



たとえば、
お鍋に水を入れて、一定時間火にかけると
沸騰するのはみんな知ってることだと思う。

この現象自体がすごくシンプルで
分かりやすいからというのもあるけど。







でも、実際には「沸騰」とう
泡がボコボコ立つ状態になるまでは
ほとんど「水」の見た目には変化がないんだよね。

でも、「必ず沸騰する」って
みんな信じて加熱しつづけるよね。
(当たり前すぎて「信じて」という表現がしっくりこない)


それは

温度計で数値として「温まってる」というのが見えたり
手で触れたら熱くなってるというのがわかるから

「あぁ、これはいずれ『沸騰』という結果が出るな」

ってわかるのね。



ただ、結果が出るまでの努力やプロセスって
どこにその「加熱」がかかっているかが見えないだけ。


エネルギーは、
飽和するまでは、目に見えない。


目に見えないと、
とたんに信じなくなるのが私たち。


でも、着実にどこかにそのエネルギーは
蓄積されていってるのね。

それは、いろんな自然現象を見ると
説明できる。



それプラス、想像力。


他の現象で起こっていることが
私たちの人体や、人の間にも起こっていると
どれだけ想像を働かせて、結びつけられるか。


そこが、プロセスを楽しめるかどうかの
違いだと思うのよね。



もちろん、その努力の方向が
思いっきり間違っていたとしたら
沸騰はしないかもしれないので

その方向転換だったり
試行錯誤についても計算に入れる必要がある。


それを考えても

やっぱりある一定期間、ひとつの方向に向かい続けたら

何らかの変化や結果が出るのは
「目に見えてる」と言ってもいいくらい
当たり前になってくるのよね。



そうなると、今度は
「どうせ結果が出ると分かってる」
予定調和的なものより、
不確定なものの方に興味が出てくるんだけど。

ま、それは置いといて。





「水に一定期間熱を加えると沸騰する」

このシンプルなことを信じているくらい
自分の未来を信じられたら

もっと可能性が出てくるということ。



ちなみに、信じること自体に努力はいらない。

飽和するってこういうことか!
ってのを現実に何度か体感したら
勝手に信じられるから。




そして、
私の日々のブログやメルマガも
読んでくださってる人に熱を伝えていけるように…。

まずは自分を加熱して
沸騰させる必要があるな!って。

改めて気づいた次第でありますよ。







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