黒岩が講師をする理由/児童養護施設の子どもたちの夢スピーチコンテスト【カナエール2014】 | 黒岩禅の上司の魔法

黒岩が講師をする理由/児童養護施設の子どもたちの夢スピーチコンテスト【カナエール2014】

6月29日(日)/7月6日(日)にカナエール2014が開催されます。
http://www.canayell.jp/contest/
その話の前に、僕が講師をする理由を聞いてもらえたら嬉しいです。


2010年3月6日に児童養護施設の子どもたちが、
都内某所に40名ほど集まりました。

東京や神奈川の施設の高校3年生たちです。
これから施設を退所して社会へ出て行く子どもたちです。

そんな彼らに、
児童養護施設出身の先輩としてスピーチをして欲しいと依頼がありました。

10分か15分ほどの短いスピーチです。
何を話そうかと悩みながらも、
「俺ね、全国のTSUTAYAで一番になったことあるねんで!」と話始めました。

それを聞いた大人たちからは「おおっ!」と賞賛の声がしたのですが、
肝心の子どもたちは「それがなんなの?」と言わんばかりの表情です(汗

「今は結婚もして、来月からうちの娘がね、小学校に上がるんだ♪」

大人たちの反応は「そうなんだ♪」と微笑ましく聞いてくれました。
子どもたちからは、40名満場の拍手が・・・・

え?

なぜここで拍手なのか?

よく分からないままにスピーチを終えたのですが、
自宅でお風呂に入っているときに分かったのです。

いや思い出したのです。

僕は、施設に入ったとき、
「俺の人生終わったな・・・」と思っていました。

「僕は幸せに成れないんだな・・・
 いや、幸せになっちゃいけないんだな。
 夢なんか持っちゃいけないんだな・・・」と自己肯定感ゼロの状態でした。

いつの間にか、僕は幸せと思える自分になっていた。
過去に「人生終わったな」と思っていたことすら忘れていたほどに。

あの頃の僕が、今の僕を見たときに、
自分の未来を感じさせる希望に見えただろうと思ったのです。

同じ施設出身者である「黒岩禅」が幸せそうであることが
子どもたちにとっての幸せになれるかもという希望に。

虐待され、親に見捨てられた子どもにとっても、
同じように虐待され、親に見捨てられた「黒岩禅」が幸せそうであることが
子どもたちにとっての幸せになれるかもという希望に。

彼らのなかには、
結婚をし、子どもが生まれ、成長を見守れる幸せを手に入れることが
夢のような出来事と思ったのかもしれない

なぜなら、かつての僕が、そうだったから。
「もう幸せになれない、なっちゃいけない・・・」と、
どうせ僕なんかと思いながらも、家族をつくることに憧れていたんだ。

そんなことに気がついたとき、
「施設に入ったことなんて気にすんな!
 大人になったらめっちゃ楽しいねんで!
 大人の世界って、めっちゃトキメいているねんで!
 きらめいてるねんで!」 って伝えたくなった。

当時の施設の数は564カ所。
その全てに自費で行くとなると3000万円近いお金が掛かる。
さらに宿泊費も・・・・

そんなとき、
講師として全国から呼んでもらえるような講師になれば、
その行く先々で、施設の子どもたちに
「大人になったらめっちゃ楽しいで!」って伝えられるんとちゃうか?

それは、黒岩禅が本気で講師をする理由になりました。

その翌年の2011年から関わっている、
児童養護施設の若者の「夢」を支援するプログラム「カナエール」
http://www.canayell.jp/contest/


6月29日東京
7月6日横浜と福岡で開催されます。

6月29日東京会場では司会を、
7月6日福岡会場では、審査員と始まりのミニ講演をやります!

一緒に、子どもたちの、若者たちの夢を応援しませんか?

彼らのスピーチを聞き終わったとき、
大人として新たな気づきがあります。

その気づきは、大きな勇気をくれるものになります。

あなたの参加費(チケット代)が、子どもたちに奨学金になります。


施設に「大人になったら!!」と話をしに行くと

子どもたちから、
「僕も禅さんみたいになりたい!」
「私も夢をもっていいですか?」
「僕も、施設の弟や妹(実のではない)たちが、施設出身を誇りと思えるような生き方をしたい!」

そんなことを口々に言ってくれます。

伝えられて本当に良かった! と思える瞬間です。
そして、僕はあることに気がつきます。

僕は幼少期から虐待されていました。
殴られてアザだらけ
タバコの火をなんども押しつけられて膿んでいる足
ほうきの柄で叩かれて、ミミズ腫れしている・・・
皮膚が裂けて赤くなっているカラダ

僕はずっと不幸な人間だと思っていました。
そんな過去を封印して生きてきたんです。

でも、彼らの笑顔を見たときに
僕が虐待されてきたことの意味が分かったのです。

僕が虐待され、俺に捨てられ、施設で育ったからこそ、
同じ思いをしている子どもたちに伝わるんだ。

僕は、
施設の子どもたちに希望を伝えるために、
虐待されてきたのだと、その意味を感じるようになれた

僕はずっと不幸だと思っていたけど、そうじゃなかった。
大変な苦労はしたかもしれない
でも、苦労=不幸じゃない

僕は、子どもたちに救われたのです。

子どもたちにためと思いながら始めた活動は、
なんだかんだと自分自身のためになっていることに気づきました。

子どもたちのスピーチを聞いて、
たくさんの気づきがあること間違いありません。

▼是非ページを開いて、知ってあげてください。
http://www.canayell.jp/contest/


長文、最後までお読みくださり、ありがとうございます♪
深謝