70年間の沈黙を破ってードイツ精神医学精神療法神経学会の総会で謝罪表明(2/2) | カズちゃんのブログ

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70年間の沈黙を破ってー
ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の
     2010年総会における謝罪表明ー2/2
精神医学
(付)追悼式典におけるDGPPNフランク・シュナイダー
会長の談話
「ナチ時代の精神医学一回想と責任」
(邦訳)岩井一正
Kazumasa Iwai : Nach fast 70 Tahren gebrochenes Schweigen : Bericht iiber die
  Stellungnahme der DGPPN beim KongreB 2010 mit der Gedenkrede von
     Prasident Prof. Schneider ‘Psychiatrie im Nationalsozialismus―
      Erinnerung und Verantwortung' (japanische Ubersetzung)

それはホロコーストのリハーサルだった~障害者虐... 投稿者 samthavasa

第4章:ホロコーストの背後にあるもの動画による解説
カール・シュナイダーの「安楽死」の文脈での精神的に病んだ子どもや少年についての仕事です.患者で費用のかかる実験が行われ,次いで死亡させ,剖検をしました21)患者の研究は治療介護院でも実行されました.たとえば,カウフボイレンの結核菌の植え付け22),ヴェルネックでの多発吐硬化症のウィルス起源説の研究23),あるいは安楽死犠牲者での神経病理学的研究です.最後の研究の患者は,おそらくはこの研究のために取り分けて安楽死へと選別された患者でなされたものでした.これらは,カイザー・ヴィルヘルム脳研究所のユリウス・ハラーフォーデンによって,ハンス・ハインツの指導するブランデンブルクーゲルデン病院と協同してなされたのでした24) 殺された多くの患者の遺体とそれぞれのプレパラートは,研究目的で強く所望され,このプレパラートに基づいて得られた研究結果は,戦後もまだなお発表されました.ペルリンのフープにあるカイザー・ヴィルヘルム脳研究所では,少なくとも295の「安楽死」犠牲者の脳が研究に利用されました25)そして今に至るまで,殺された患者のプレパラートに対して安易な扱いがなされてきました26) 精神科施設以外では,たとえばチュービングンの精神科医ロベルト・リッターのシンチとロマでの研究が行われました.この研究は大がかりな系譜的疫学的な研究であり,いわゆる「ジプシー」の同定と選別基準を見いだすことに貢献しましたが,彼らはそう認定されたら,アウシュヴィッツの強制収容所の「ジプシー棟」に連れて行かれたのでした27) 国家社会主義の時代に精神医学でなされたこれらすべての不正に対しては,確かに抵抗が存在したし,サボタージュもありました.医者の50%以上は国家社会主義的組織, NSDAP, SA,ないしはSSの会員でした.しかし逆にみれば,医者の半数は会員ではなかったことになります.すなわち制裁をこうむることなく利用できる行動の余地はあったのです.抵抗は必ずしも否定的な個人的結末を迎えたわけではなかったのです28)789少数,あまりに少数でした.とりわけ,開業医のなかにそのような者が存在しました.彼らは1934年から1939年の間,該当する公務医と保健局に,遺伝疾患の可能性の存在を一例も報告しなかったのです29)その理由は,大病院でないところでは,患者との接触がよりダイレクトであり,より直接だったことにあったかもしれません.このことは,今日われわれに対する警告でもあります.われわれの日常において,われわれが世話し付き添う患者たちを見失ってはいけないのです.われわれの医師としての仕事の基本方針は,彼らだけであって,社会のイデオロギーではありません.ただただ1人1人の人間なのです. 人間の尊厳は常に1人1人の人間の尊厳です.このことの軽視を,法が主導するようなことがあってはなりません.グスタフ・ラートブルフは1946年に法と正義の間の矛盾例を次のように記載しています.定められた法は,原則的には正義に優先する.しかし実定法の正義に対する矛盾が耐え難い程度までに達し,法律が「正しくない法」として正義に譲歩せねばならない場合は別である.(・‥)正義が一度として求められず,また正義の中核をなす公平性が実定法の制定の際に意識して否認される所では,その法律は,「正しくない法」であるだけでなく,そもそも法の本質を欠いている30) 戦後は,ドイツの多くの他領域でも起こった現象が見られました.抑圧です.精神科専門学会も精神科医たちもーゲルハルト・シュミットやヴェルナー・ライプブラントのようなわずかな例外を除いて一起こったことを自らに認めようとしませんでした.このことをわれわれは恥入り,暗涜たる気分になります. 今日までよくわからないのは,前に名前を挙げたヴェルナー・ハイデ教授の歴史です31)彼は「T4」活動の医学的指導者でした.戦後彼は拘留命令によって捜索されました.にも拘わらず,彼はフリッツ・サヴァーデ医学博士の名で1950年から1959年までシュレースヴィッヒ=ホルシュタイン州で司法鑑定人として第2の経歴を築いてきました.彼はその正体の情報を得た医者や法律家にかくまわれました.しかしその二抵抗を行使した者もいました.しかし総じてそれは  重アイデンティティを同じように知ることになったぞ790の他の大勢の人々は,何も行動しなかったのです.このことは,われわれの科の内部でも外部でも知られたことでした.このことと同時に,早期の解明の試みは阻害され,困難になりました.アレキサンダー・ミッチャリッヒとフレド・ミイルケが1947年に「人間侮蔑の独裁」32)という記録をニュルンベルクの医師法廷に公開した時,多くの医師は,職業身分の体面を気にかけて,異議を唱えました. 1949年の2番目の記録「人間らしさを失った医学」33)については,死の沈黙で迎えられました. リューベック大学神経科病院の前の主任であったゲルハルト・シュミット教授は, 1945年の11月20日にすでにラジオで,精神科患者と精神遅滞者に対する犯罪の講演を行っていますーしかしこれに関する彼の本の原稿は,幾度も試みたにもかかわらず,20年の長きにわたって,出版社を見つけることができませんでした34)私は何年も前にこの本を読んで,非常に衝撃をうけました.しかし戦後ドイツの精神科医たちは,犯罪の詳細が公表されることで,ドイツ精神科医全体の再興と一当時まだ保たれていた一名声に傷がっくことを恐れたのでした.誤った見解,致命的な見方です.自らの責任を認識するはずの学問的な共同体性の破綻です.シュミット教授はそのライフワークに対して, 1986年にその年にはじめて授与されることになったドイツ精神医学神経学会(DGPN)のヴィルヘルム・グリージンガー賞を贈られました.ほとんど忘れられており,かつ遅きに失してはいましたが,われわれの学会の稀な輝ける歴史的瞬間でした. そして政治はどうだったでしょうか? 1956年に連邦法は国家社会主義の迫害の犠牲者に対する損害賠償を遡及的に決議しました. 1965年,これは最終的なBEG(連邦補償法)にまで拡大されました.したがって,人種的,宗教的,ないし政治的な理由で迫害された犠牲者はすべて, 1969年まで損害賠償要求を申請することができたのです.しかし強制断種者と安楽死犠牲者の家族はそれができませんでした.人種的な理由で迫害されたのではなかったからです35)このことも,犠牲者の後々までの侮辱にあたりましたが,われわれは沈黙していました.精神経誌(2011) 113巻8号
 1960年代の補償のための連邦委員会の聴聞会の鑑定人の一部は,国家社会主義で強制断種を正当とみなし,殺害計画に関与した,当の精神科医でした. 1961年4月13日,ヴェルナー・ヴィリインガーは,議事録によれば,賠償金の支払いを以下のような皮肉な理由づけで退けました.「強制断種の賠償を実行すると,神経症的な訴えや悩みがでてこないか,という疑問がある.それによって,その人間のこれまでの健康と幸福能力だけでなく,その作業能力も損なわれるおそれがある」36) 1974年になって,遺伝健康法がようやく失効しました.しかし形式的には継続しました. 1988年には,ドイツ連邦議会は,遺伝健康法をもとに企てられた強制断種は国家社会主義的な不正であったと確認しました.10年後に連邦議会は,遺伝健康法廷の決定を法律によって廃止することを決めました.しかし, 2007年になってはじめて,遺伝病の子孫を避ける法律がドイツの連邦議会から追放されたのです37)基本法(訳注:ドイツ連邦共和国,すなわち西ドイツの憲法に相当する. 1949年制定)との矛盾があり,それゆえに事実上は基本法の発効の時点ですでに効力は失われていたはずでした.DGPPNはこの法律の追放のための
動議を当時支持したのでした. しかし, 1965年の連邦損害賠償法はその後も存続しました.それゆえ強制断種され,また殺された精神障害者は,今日まで,ナチ政権の犠牲者として,人種的な理由からの被迫害者としてはっきりと認定されていません.この点に関しては,遅きに失せぬうちに政治が動かねばなりません.この不正も廃棄されてはじめて,犠牲者のこれまで続いた苦しみとその運命が.ドイツ国家の側からも適切にあがなわれたことになるでしょう. 精神医学に関しては, 1960年代後半と1970年代にこれまでの事の推移をあらわした最初の発表が個々になされました.ハンス・ヨルク・ヴァイトブレヒト,ヴァルター・リター・フォン・バイヤー,そしてヘルムート・エールパルトです38)しかし3人とも精神医学を犠牲者として描写しています39).1972年のドイツ精神医学神経学会DGPNの130年の歴史の本では,岩井:70年間の沈黙を破って次のようになっています.
 「当時の精神医学の代表者は,みかけは広範な権能がありながら,『安楽死』のような行為を擁護したり,賛同したり,促進したりしたことはなかった.この時代の個々の精神科医の誤った行動や犯罪を『ドイツ精神医学』に責を負わせようとする試みが幾度も繰り返されたが,これはそれゆえ客観的に根拠なきものとして,はねつけることができる.」4o) 筆者は1970年から1972年までのDGPNの会長,ヘルムート・エールパルトです.彼は自身がNSDAPの会員であり,強制断種に賛成する鑑定書を作成していたのでした.彼は, 1961年の連邦議会の損害賠償法の公聴会においてもなお,遺伝健康法の「素材的中身」41)はナチの発明品でもなんでもなく,「その中核的内容においては,実際に当時の,そして今日の科学的確信にすら一致する」と強調しました42)犠牲者に対するあらたな嘲笑であり,おとしめです.
 たしかに,患者殺戮に対する精神医学の専門学会の公式な賛同表明がなかったのは本当です.しかし正しくはまた,反対表明もなかったのです.発言もなく,弁解もなく,警告もありませんでした.そしてわずかの個人を除いて,ドイツの精神科医とわれわれの専門学会の会員の大多数は,その指導者層に至るまでが,研究,学問,実践において,選別,断種,殺戮の計画,実行,科学的な根拠づけに当時あきらかに関与しました43) ナチ時代のドイツの精神医学の歴史の研究は1980年代の初頭から本格的にはじまりました44)精神科医としては,クラウス・ドエルナー一最初は1969年で, 1980年代に入っていくつかの著作を書いたー,アスムス・フィンツェン,そしてヨアヒム・エルンスト・マイアーが主にあげられます.歴史家としては,ゲルンハルト・バアダー,ディルク・ブラジウス,ハンス・ヴァルター・シュムールをあげておきます.1983年にはエルンスト・クレーのナチ国家における「安楽死」という目覚まし的な本が出版されました.当時わたしは信じられぬ思いでこれを読み,暗喩としました.これも私に衝撃を与えた本でした.791変えましたーウヴエ・ヘンリック・ペータース会長のもとに行われたいわゆる150周年記念大会の枠組みで,会員総会において決議文が採択されました.その中で学会は,精神病患者,ユダヤ人やその他の迫害された人々へのホロコーストを振り返って,嫌悪感と哀しみを表明しました.当時はまだ施設的および個人的な罪や精神科医および専門学会の巻き込まれについては論及されませんでした.とはいえ,それは明確で必要な発言でした. 今年度のこの学会の期間中,われわれは「回想のなかで」45)の展示を加工し,アップデートして再現しています.この展示は1999年ハンブルクにおける世界精神医学会WPAの世界学会で,はじめて大きな国際的な公開の場にだされたものでした.そして展示に随伴してシンポジウムも催されました.当時ドイツを世界学会の主催国とし,DGPPNを主催学会とする決定が国際的に下されたことは,精神科の世界的集まりの宥和的なサインでした.だから犠牲者を追悼し,われわれの科の特異な過去と対峙することに本気でとりくむのは,大事な義務だったのです. この2年足らずの間に,DGPPNの内部で,自分たちの歴史とどう取り組むべきかについての徹底的な討論過程がまきおこりました.これらの討論はちぐはぐにはならず,一致した結論に至りました.ちょうど1年前についにDGPPNの会則が補完されました.最初のパラグラフにうたわれています. 「DGPPNは心的患者の尊厳と権利に関する自らの特別な責任を自覚している.この責任は,自分たちの先代組織が国家社会主義の犯罪,集団的患者殺戮,強制断種に関与したことから,自身の中に生じたものである.」 この討論過程のさらなる帰結として,本年初頭にDGPPNの理事会によって,国家社会主義の時代の先代学会の歴史の解明のための国際的委員会が設立されました.委員には4人の著名な医学および科学歴史家がつきました.座長はギーセンのロエルケ教授,そしてウィーンのザクセ女性教授,ハンブルクのシュミーデバッハ教授,オクスフォードのベインドリング教授1992年のケルンでーこの時学会はDGPPNと名をです.この委員会はその決定において,DGPPNから792独立性を保っています.というのも,われわれはこの仕事においても完全な透明性を望んでいるからです.われわれは,われわれ自らの過去の解明について,委員会の各位に対して,その支援と助力に非常に感謝します. この委員会は,この専門学会が主導し財政をまかなっている研究プロジェクトにも同行します.シュムール教授とツァラシク女性教授が関与するプロジェクトで,そこで明らかにされるべきは,DGPPNの先代組織とその代表者が, 1933年から1945年の間,いわゆる安楽死プログラム,心的患者の強制断種,ユダヤ人精神科医と政治的に好ましくないとされた精神科医の追放,その他の犯罪にどの程度関与したかです.最終報告は2年たらずのうちにできあがる予定です.その後,第2の研究期には,第2次大戦後の時代について同様に研究がなされるはずです.これもまた重要です.どのような結果がでて,どのような人物が関与していたのか,いわゆる「第3帝国」のひどい犯罪行為から,いつ,どのような教訓がひきだされたのか.これについては,われわれは確実に言えること以上に
予感をしています. 「精神的死」,「お荷物的存在」,「生きるに値しない人生」-これらすべての言葉は,口にすることだけでもつらい言葉です.これらは深く衝撃をあたえ,動揺させる言葉です.そして精神科医が言論統制,強制断種,殺人に積極的に関与していたことを知ると,われわれは恥と怒りと大きな哀しみで一杯になります.恥と哀しみは,私がいまその会長としてここに立っているこの組織が,犯罪行為から70年もたってはじめて,自らの過去と国家社会主義の時代の先代組織の歴史を系統的に把握分析しはじめ,そして一歴史的な細部の解明はまだ別に残されたまま一強制移住,強制断種,強制研究,そして殺人の犠牲者に許しを請うことです. 私はドイツ精神医学精神療法神経学会の名において国会社会主義の時代にドイツ精神医学の名においてなされ,ドイツの精神科医によって実行され与えられた苦しみと不正に対して,またそれに続く時代のドイツ精神経誌(2011) 113巻8号精神医学の長い沈黙,些少化,抑圧に対して,犠牲者とその家族にお詫びを申し上げます.多くの犠牲者も,そして殺されなかったものも,そしてその親族たちも,いまではもう生きていません.その限りで,この謝罪は遅きに失したものです.しかし生きているものにとって,その子孫にとってはあるいはまだ間にあうかもしれません.なかには今日われわれと一緒に列席している方もおられます.そして今日のすべての心的に病んだ人々にとって,また今日の精神科医にとって,そしてDGPPN自身にとっても,あるいはまだ間にあうかもしれません。苦悩と不正,まして死は,とりかえしがつきません.しかしわれわれは学ぶことができます.そして多くを学びました,精神医学,そして医学全体,政治,社会を.そしてわれわれは皆で,人道的な,人間的な,個々の人間を指向した精神医学を打ち出し,作業し,犠牲者を常に念頭におきつつ,心的患者の熔印や排除に対して戦うことができます.われわれ精神科医は,人間に対する価値評価に陥ってはなりません.われわれは教え,研究し,治療し,寄り添い,治癒に導きます.侵すことのできない人間の尊厳は,常に個々の人間の尊厳であり,われわれはいかなる法律やいかなる研究目的によっても,これを軽視する方向に導かれてはなりません.われわれは学んだのです,まさに機能停止の状態から学びとったのです.このことは,たとえば,移植前の診断学や安楽死のように,あまりにも早急に人間の「価値」や「無価値」を,論じようとする目下の医学倫理学的な討論にも幸いにも軌を一にしています.これらの討論は,難問として残されています.しかし,目的は私にとって,DGPPNにとって,きわめて明瞭です.人道的な医学のために,人間の尊厳を守る未来のために,そしてあらゆる人間の尊厳を尊重するために,われわれは働こうではありませんか.ご静聴ありがとうございました.Prof. Dr. Dr. Frank Schneider (アーヘン)
岩井:70年間の沈黙を破って 793ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)会長  ozialismus, (hrsgHockerts,G.,Haiak,S.).Metropol,Berlin, S. 313-331, 2008
 この談話は, 2010年11月23日のDGPPN理事会で,本学会の公文書として満場一致で採択された.カールステン・フルファイント文学修士(ベルリン),フォルカー・ロエルケ教授(ギーセン)に貴重な示唆とコメント提供に対して感謝する.(付)「ナチ時代の精神医学―回想と責任」の文末脚注
   1) E. Mann : ErlOsung der Menschheit vom Elend.
Fritz Fink Verlag, Weimar, 1922のタイトル
   2)以下の文献中に記載あり:Zalashik, R.,Davidovitch, N.:Professional identity across the bor-ders : Refugee psychiatrists in Palestine, 1933-1945. in:Social History of Medicine 22 ; 569-587, 2009 ; Wein-dling, P.:Alien Psychiatrists : The British assimilationof psychiatric refugees. in : International Relations inPsychiatry : Britain, America, and Germany to WorldWar II (ed. by Roelcke, V., Weindling, P., Westwood,L.). University of Rochester Press, Rochester/NY, p.218- 235, 2010 3)以下の文献中に記載あり:Zalashik, R.,Davidovitch, N.:Professional identity across the bor-ders : Refugee psychiatrists in Palestine, 1933-1945. in:Social History of Medicine 22 ; 569-587, 2009 ; Wein-dling, P.:Alien Psychiatrists : The British assimilationof psychiatric refugees. in : International Relations in Psychiatry : Britain, America, and Germany to World War II (ed. by Roelcke, V., Weindling, P., Westwood, L.). University of Rochester Press, Rochester/NY, p. 218- 235, 2010 4) Weingart, P., Kroll, J。Bayertz, K.:Rasse, Blut und Gene. Suhrkamp, Frankfurt a.M。S. 284,1988;Nowak, K.:“Euthanasie”und Sterilisierung im “Dritten Reich”. BOhlau, Weimar, S. 39, 1980 5) Ganssmliller, C.:Die Erbgesundheitspolitik des Dritten Reiches. Bohlau, KOln, S. 13f. 1987 6) Gutt, A., Rudin, R., Ruttke, F.:Gesetz zur Verhlitung erkrankten Nachwuchses vom 14. Juni 1933 nebst Ausflihrungsverordnungen. 2. Auflage. J. F. Leh-manns, Miinchen, 1936 7) Roelcke, V.:Wissenschaft im Dienst des Reiches : Ernst Rudin und die Deutsche Forschungsan-stalt fur Psychiatric in : Mlinchen und der Nationals-
   8)脚注6, S. 5 (1934年の第1版の序文)
   9) Rudin, E.:Bedeutung der Forschung und Mitarbeit von Neurologen und Psychiatern im nationals-ozialistischen Staat. Zeitschrift fur die gesamte Neur-ologie und Psychiatrie 165 ; 7-17, 1939 10)つづけて:「とはいえ,この目的が達成され,持続的に確保されるのは,品種改良が人種思想の中核内容にとどまる場合に限られる.将来の為政者は,ドイツ国民の品種改良の目的をはっきりと自覚していなければならない.」脚注6のS. 55  11) Binding, K. und Hoche, A.:Die Freigabe der
Vernichtung lebensunwerten Lebens. Ihr MaBund ihre Form. Meiner, Leipzig, 1920 (S. 57, 2. Auflage 1922). (以下の文献に依拠. Nowak, K.:“Euthanasie” und Ster-ilisierung im “Dritten Reich”. S. 51, Bohlau, Weimar,1984) 12) Nationalsozialistische Monatshefte, Jahrgang 1; 298, 1930 (以下の文献に依拠. Nowak, K.:“Euth-anasie” und Sterilisierung im “Dritten Reich”. BOhlau,Weimar, S. 43, 1984) 13) Faulstich, H.:Die Zahl der“Euthanasie”-Opfer. in : Euthanasie und die aktuelle Sterbehilfe-Debatte. Die historischen Hintergrlinde medizinischer Ethik. (hrsg. Frewer, A., Eickhoff, C). Campus, Frank-furt/M。S. 218-234, 2000 14) Rotzoll, M。Hohendorf, G., Fuchs, P., et a1.: (hrsg.):Die nationalsozialistische“Euthanasie”-Ak-tion “T4” und ihre Opfer. SchOningh, Paderborn, 2010.15) SchmuhLH.-W.:Rassenhygiene, Nationals-ozialismus, Euthanasie : Von der Verhlitung zur Ver-nichtung “lebensunwerten Lebens”,1890-1945. Vanden-
hoeck & Ruprecht, Gbttingen, S. 192, 1987
  16)参照脚注15, S. 210-214
  17) Friedlander, H.:The origins of Nazi genocide :From euthanasia to the final solution. University ofNorth Carolina Press, Chapel Hill, 1995.
  18)以下の文献の陳述, Faulstich, H.:Hungerster-ben in der Psychiatrie 1914-1949. Mit einer Topographieder NS-Psychiatrie. Lambertus, Freiburg/Br, 1998 ;局所的な例として以下を参照. Schwarz, P.:Mord durch Hunger. Wilde Euthanasie' und ‘Aktion Brandt' am Steinhof in der NS-Zeit. in : Von der Zwangssterilisier-
794精神経誌(2011) 113巻8号ung zur Ermordung. (hrsg. Gabriel, E., Neugebauer, W.), Beispiele verflihrbarer Wissenschaft aus der Zeit des BOhlau, Wien, S. 113-142, 2002             Nationalsozialismus. Matthiesen, Husum, 1997 ;委員会
  19) Dr. Wischerから主要部Iの責任者であるNits-報告.Berichte der Kommission zur Uberprlifung derche教授にあてた1943年11月4日の手紙, Schmuhl, Praparatesammlungen in den medizinischen Einrichtun-Rassenhygiene, S.232,1992脚注15による(参照Aly, gen der Universitat Tubingen im Hinblick auf Opfer des G.:Medizin gegen Unbrauchbare. in : Beitrage zur Nationalsozialismus (hrsg.vom Prasidenten der Nationalsozialistischen Gesundheits-und Sozialpolitik, Universitat Tubingen), Tubingen 1990 ; Seidelman, W.:Band 1, Berlin S. 9-74: S. 61, 1985),同じく参照Klee, Academic medicine during the Nazi period : The impli-E.:‘Euthanasie' im NS-Staat. S. Fischer, Frankfurt am  cations of creating awareness of professional responsi-Main, S. 427, 1983 bility today. in: Medicine after the Holocaust(ed。20)連邦公文書保管所. Bundesarchiv Berlin R 179/  Rubenfeld, S.), Palgrave, New York, S. 29-36, 2010 24884 (以下の文献によるRotzoll, M。Fuchs, P., Richter, 27) Zimmermann, M. (hrsg.):Zwischen Erziehung
p., et a1.:Die nationalsozialistische “Euthanasieakti on  und Vernichtung : Zigeunerpolitik und Zigeunerfors-T4”. Nervenarzt 81,1326-1332 : 1331, 2010)chung im Europa des 20. Jahrhunderts. F. Steiner, Stutt-21) Roelcke, V.:Psychiatrische Wissenschaft im  gart, 2007.その中にA. Cottebrune, M. Luchterhandt, E.Kontext nationalsozialistischer Politik und “Euth-  Rosenhaftの寄与ありanasie” : Zur Rolle von Ernst Rudin und der Deutschen 28) Lifton, RJ.:Arzte im Dritten Reich. Klett-Forschungsanstalt fur Psychiatric in : Die Kaiser-Wil-Cotta, Stuttgart, S. 93ff , 1993; Klee, E.:S. 223ff.;helm-Gesellschaft im Nationalsozialismus. (hrsg. Kauf-Roelcke, V., Medicine during the Nazi period : Histori-mann,D.). Wallstein, GOttingen, S. 112-150, 2000;cal facts and some implications for teaching medical Roelcke, V., Hohendorf, G., Rotzoll, M.:Erbpsy-ethics and professionalism. in: Medicine after the Holo-chologische Forschung im Kontext der “Euthanasie”. caust (ed. Rubenfeld, S.), Palgrave, New York, S. 17-28,Neue Dokumente und Aspekte zu Carl Schneider, Julius 2010 Deussen und Ernst Rudin. Fortschritte der Neurologie 29) Ley, A.:Zwangssterilisation und Arzteschaft.und Psychiatrie 66 ;331-336, 1998           Hintergrlinde und Ziele arztlichen Handelns. Campus。
  22) DahL M.,“彼らの生命を維持しても国家にとっFrankfurt/M。S. 230-303, 2004て何の利益も見いだせない”:Behinderte Kinder als Ver-30) Radbruch, G.:Gesetzliches Unrecht und liber-suchsobjekte und die Entwicklung der Tuberkulose-gesetzliches Recht. Sliddeutsche Juristenzeitung 1 ; 105-Schutzimpfung. Medizinhistorisches Journal 37, 57-90, 108: 107, 1946
2002,;同じく参照Cranach, M。Siemen,L.(hrsg.): 31)参照Godau-Schuttke,K.-D.:Die Heyde/Psychiatrie im Nationalsozialismus : Die Bayerischen Sawade-Affare, 3. Auflage, Nomos, Baden-Baden, 2010 Heil-und Pflegeanstalten zwischen 1933 und 1945。 01-32) Mitscherlich, A. und Mielke, F. (hrsg.):Dasdenbourg Verlag, Munchen, 1999 Diktat der Menschenverachtung. eine Dokumentation。23) Peiffer, J.:Neurologieim“Dritten Reich”.Lambert Schneider, Heidelberg,1947
Nervenarzt 69;728-733, 1998 33)初出時の表題ぱWissenschaft ohne Menschlich-24) Shevell, M.I., Peiffer, J.:Julius Hallervorden's keit”, Lambert Schneider, Heidelberg, 1949, 1960年以降wartime activities. Implications for science under dicta-の表題ぱMedizin ohne Menschlichkeit”: Dokumente
torship. Pediatric Neurology 25;162-165, 2001 des Nlirnberger Arzteprozesses. Suhrkamp, Frankfurt a。25) Peiffer, J。Neuropathologische Forschung anM。(16. Auflage),2004 “Euthanasie”- Opfern in zwei Kaiser-Wilhelm-In-34) Schmidt, G.:Selektion in der Heilanstalt 1939-stituten. in : Die Kaiser-Wilhelm-Gesellschaft im 1945. Evangelisches Verlagswerk, Stuttgart, 1965 Nationalsozialismus. (hrsg. Kaufmann, D.). Wallstein, 35)参照。連邦議会印刷物. Schriftlicher Bericht GOttingen, S. 151-173, 2000 des Ausschuss fur Fragen der Wiedergutmachung, Bun-26) Peiffer, J.:Hirnforschung im Zwielicht :destags Drucksache 2382, S. 12 f. und S. 57;この部分と
岩井:70年間の沈黙を破って
続く部分の概観として以下を参照:Surmann,R.:Was ist typisches NS-Unrecht?Die verweigerte Ents-chadigung fur Zwangssterilisierte und ‘Euthanasie'-Ges-chadigte. in : Lebensunwert-zerstorte Leben. Zwangs-sterilisation und Euthanasie. (hrsg. Hamm, M.), VAS-Verlag, Frankfurt/Main, S. 198-211, 2005 ; Scheulen, A.:Zur Rechtslage und Rechtsentwicklung des Erbgesund-heitsgesetzes 1934. Lebensunwert-zerstOrte Leben. Zwangssterilisation und Euthanasie. (hrsg. Hamm, M.),VAS-Verlag, Frankfurt/Main, S. 212-219, 2005 36)委員会議事録. Protokoll zur 34. Sitzung des Ausschusses fur Wiedergutmachung, S. 16, Donnerstag,den 13. April 1961 37)総会議事録. Plenarprotokoll 16/100, 100. Sit-zung des Deutschen Bundestages, Berlin, Donnerstag,den 24. Mai 2007 38) Ehrhardt, H.E.:Euthanasie und “Vernichtung lebensunwerten Lebens". Stuttgart : F. Enke, 1965; von Baeyer, W.,“Die Bestatigung der NS-Ideologie in der Medizin unter besonderer Berlicksichtigung der Euth-anasie", in Nationalsozialismus und die Deutsche Universitat. Universitatstage 1966, 63-75, de Gruyter,Berlin, 1966,; Weitbrecht, H.-J.:Psychiatrie in der Zeit des Nationalsozialismus. p. Hanstein, Bonn. 1968 795
  39)以下の文献の分析を参照. Roelcke, V.:Trauma or responsibility ? Memories and historiogra-phies of Nazi psychiatry in postwar Germany. in:Trauma and Memory. Reading, Healing, and MakingLaw (ed. Sarat, A., Davidovich, N., Alberstein, M.).Stanford University Press, Stanford, p. 225-242, 2007 40) Ehrhardt, HE.:130 Jahre Deutsche Gesells-chaft fur Psychiatrie und Nervenheilkunde, Steiner,Wiesbaden, S. 15, 1972
  41)ドイツ連邦議会議事録. Deutscher Bundestag,Protokoll 34. Sitzung des Ausschusses fur Wiedergutma-chung, Donnerstag, den 13. April 1961, S. 25上部
  42)同前,下部
  43)参照. Meyer-Li ndenberg, J.:The Holocaustand German Psychiatry, British Journal 0f Psychiatry159; 7-12: 9,1991,;Roelcke, V.,Psychiatrie im Nationalsozialismus. Historische Kenntnisse, Impli-kationen fur aktuelle ethische Debatten. Nervenarzt 81 ;1317-1325, 2010  44)見直しの歴史のために参照. Roelcke, Trauma or responsibility (脚注39)
  45)VonCranach, M. und Schneider, F.:In Memo-riam. Erinnerung und Verantwortung. Ausstellungs-katalog. Springer Verlag, Berlin, 2010 Nach fast 70 Jahren gebrochenes Schweigen : Bericht iiber die Stellungnahme der DGPPN beim KongreB 2010 mit der Gedenkrede von Prasident Prof.Schneider 'Psychiatrie im Nationalsozialismus―rinnerung und Verantwortung' (japanische Ubersetzung) Kazumasa IWAI Ka肴昭a扨a Psychiatric Center, Kinko Hospital Im Rahmen ihrer Jahrestagung am 26. November 2010 in Berlin hat die DGPPN in einer Gedenkveranstaltung der Opfer von Zwangsemigration, Zwangssterilisierung, Zwangsfors-chung und Patiententbtungen gedacht und die Opfer und ihre Angehbrigen um Verzeihung gebeten flir das Leid und das Unrecht, das Ihnen in der Zeit des Nationalsozialismus im
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精神経誌(2011) 113巻8号Namen der deutschen Psychiatrie und von deutschen Psychiaterinnen und Psychiatern angetan wurde und fur das viel zu lange Schweigen, Verharmlosen und Verdrangen der deutschen Psychiatrie in der Zeit danach. 3.000 Psychiater nahmen an der Veranstaltung teil.  Die Gedenkveranstaltung ist Ausdruck des gegenwartigen Aufarbeitungs-und Diskus-sionsprozesses, der innerhalb der Fachgesellschaft stattfindet. So soil ein laufendes Forschun-gsprojekt klaren, inwieweit die Vorlauferorganisationen der DGPPN und ihre Re-prasentanten am sogenannten Euthanasieprogramm, an der Zwangssterilisation psychisch Kranker, an der Vertreibung von jiidischen und politisch missliebigen Psychiatern sowie an weiteren Verbrechen des nationalsozialistischen Regimes mitgewirkt haben. Den Prozess der wissenschaftlichen Aufarbeitung begleitet eine unabhangige Kommission aus vier namhaften internationalen Medizin-und Wissenschaftshistorikern。
<Author's abstrad>
<Key words : Nazism, Sterilization, Euthanasia, Action T4, medical ethics>

Fin
2015年11月19日文字興し開始。

■関連リンク
『70年間の沈黙を破ってードイツ精神医学精神療法神経学会の2010年総会で謝罪表明(1/2)#精神医学』
⇒ http://amba.to/1nQa52F

いつも読んで頂いて有り難う。