◆レイニーズとは”ブルーズの暗殺者”のコトさ!♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<エンターテイメント一家に

生(せい)を受け!>>




彼女はアメリカ合衆国

南部のエンターテイメント一家に

生(せい)を受けました。




「彼女?」



「ホホ~ッ!」



「今回は女性アーティストですか?」






そうです。


彼女のアーティストとしての資質は

おそらくは、両親から

引き継いだモノではないでしょうか。






「具体的に言いますと

彼女のご両親は、

どの様なキャリアだったのでしょうか?」






どうやら彼女の両親は

一時期らしいのですが、

旅芸人をやっていたそうです。






(どうやら彼女の両親は一時期らしいのですが、
旅芸人をやっていたそうです。)






「それはインタレスティング

(興味深い)ですネ!」



「すると彼女も幼い頃から

芸事(げいごと)に

慣れ親しんでいたのでしょうネ!」







そうですね。



彼女の生活環境そのものが

芸(げい)に携(たずさ)わる人たちで

いっぱいだったでしょうから・・・。





「ステージの舞台の袖(そで)で

ご両親のパフォーマンスを

見守る少女の瞳(ひとみ)には、

どんな風に映(う)ったのでしょうネ!」







「そんな映画のような

ワン・シーンを思い浮かべるだけで、

彼女のこれからの人生の展開が



非常~に!

インタレスティングです!!」






(彼女のこれからの人生の展開が
非常~に!インタレスティングです!!)






そうですね。


それはそうと・・・。


今日はテンションが

少し高くありませんか?






「いや~っ!

それはいつものコトですよ。」(^^)






そう言った現場での体験を

積み重ねて・・・。






「次には行動に移すのでしょうか?」







そうですね。



まずは、大人(プロ)たちの

模倣(もほう)から始まり・・・。



それを彼女自身のカタチに

落とし込んで・・・。





「それからようやく

ご両親がステージに上がるコトを

許可したのでしょうか?」






そうですね。


彼女は念願叶(かな)って

14歳で初ステージを踏みます。






「いいですね。」


「何でしょうか?」


「初ステージ・・・。」



「彼女の胸中には不安と緊張と・・・。」

「少しは虚栄心も見え隠れするのでしょうか?」








(「彼女の胸中には不安と緊張と・・・。」
「少しは虚栄心も見え隠れするのでしょうか?」)






そうですね。






「大勢のお客さんの見守る前で

ひょっとすると

彼女と同じ年頃の子供たちも

見に来ていたかもしれませんね。」







そうですね。



その時の彼女は、


タレントショーの

パフォーマンス・シーンに

登場したそうです。





「と言うコトはやはり脇役ですね。」






そうですね。

主役の盛り立て役ですね。





「彼女は、初ステージから主役を務める

なんて芸能記事で言われる

天才芸人ではなかったのですね。」





(「彼女は、初ステージから主役を務める
なんて芸能記事で言われる
天才芸人ではなかったのですね。」)






その様ですね。



それでも彼女がステージを続けたのは

それは、

金銭的も理由があったとは思いますが、




”やはり、この仕事が好きだった!”


それに尽きるのではないでしょうか。







「なるほど。」


「よ~く考えてみますと・・・。」



「この時代(1900年代)に黒人で

更には女性となりますと・・・。」




「自由に仕事どころか、

生活する上でも数々の差別や偏見を

体験しますでしょうから・・・。」





そうですね。





「それに比べますと。

このステージ業はおそらく・・・。」



「綺麗な衣装は着れるわ!」


「歌は歌える!」



「踊りも踊れる!」


「しかも拍手ももらえたりする。」


「地方巡業で

知らない土地に行けたりもします。」







それにパフォーマンスが

アップすると

お給料もアップする可能性だって

ありますからネ!






「これで彼女のモチベーショは、

バッチリではないでしょうか!!」





(「これで彼女のモチベーションは、
バッチリではないでしょうか!!」)







そうですね。


それからも

彼女は地方巡業のテントショーで

歌って踊ってツアーを継続しました。






<<マ・レイニー登場!>>




今回ご紹介するブルーズ・シンガーは

マ・レイニーです。




(今回ご紹介するブルーズ・シンガーは
マ・レイニーです。)







彼女の初ステージから約2年後に

ブルーズ・ミュージックに

さらされるコトになります。






「いよいよ運命の出会いですね。」






そうですね。

地方巡業で人気が出た

彼女のグループは


彼女の名前を取り、

レイニーズと呼びばれて、






「レイニーズ!」

「OH! 」

「もう立派な座長さんじゃないですか!!」






(「もう立派な座長さんじゃないですか!!」)







そうですね。

その12年後には

”レイニー”とか”ブルーズの暗殺者”とか

宣伝されていたそうです。






「”ブルーズの暗殺者”ですか?」


「ちょっと強面(こわもて)の

イメージですが・・・。」






そうですね。

それまでの男性がギターを弾きながら

男性の心情を歌う・・・。



強いて言うなら、

泥臭さ漂う

カントリーブルーズのスタイルを

”女性の立場で伝えた”と言う意味では、



”ブルーズの暗殺者”

だったのかもしれませんね。





「なるほど」






彼女は冬の間は

ニューオリンズで過ごしたそうです。





「ひょっとしますと、

そこでもビッグな出会いが・・・。」






そうです。

ジョー”キング”オリバー、




(ジョー”キング”オリバー)




ルイ・アームストロング





(ルイ・アームストロング)






シドニー・ベシェットなどなど・・・。





(シドニー・ベシェット)






「OH!」

「現在生きていらしゃったのでしたら

プラチナ・チケットものですネ!」






そうですね。

それからブルーズ・ミュージックは

人気が拡(ひろ)まっていって、

彼女の人気も高まっていったのでした。







「いいですね。」







彼女はベッシー・スミスにも

歌の手ほどきをしたそうです。






(ベッシー・スミス)






「ベッシー・スミス!」

「ブルーズの女王の異名を持つ

シンガーですね。」






そうです。


それだけ彼女のキャリアは

十分に高まっていった

と言えるのではないでしょうか。





「嬉(うれ)しいですね。」

「同じ道を歩む先輩シンガーが

後輩に手を差し伸べる関係なんて・・・。」







そうですね。




そして人気上昇中の彼女に

レコード会社から

契約のオファーが来たのです。







☆Roots of Blues --
 Ma Rainey ?Booze And Blues" ♪



☆Blues Oh Blues
(Ma Rainey, 1927) Jazz Legend ♪



☆Ma Rainey
(Lucky Rock Blues, 1924) Jazz Legend ♪



☆Gertrude "Ma" Rainey -
 Countin The Blues ♪













☆マ・レイニー MA RAINEY


本名:ガートルード・プリゲッティ



(1886年4月26日- 1939年12月22日)





アメリカのプロ・ブルーズ・シンガーの中の

ひとりとして、

そしてレコーディング・シンガーの

最初の世代のひとりとして最も知られている。



彼女は”The Mother of the Blues

(ブルーズの母)”

と宣伝されていた。






彼女は12歳または14歳で

パフォーマンスを始めた。



そして彼女が1904年に

旅芸人のソング&ダンスマン

William "Pa" Raineyと

結婚した後に,


"Ma" Rainey(マ・レイニー)の

名前で録音をした。





(William "Pa" Rainey&"Ma" Rainey)






彼らはF.S. Wolcottの

Rabbit Foot Minstrels(ウサギの足の吟遊詩人)

<それは地方を巡業するテントショーで

ブルーズの普及に影響を与えた。>

とツアーをして、



”レイニー”そして”ブルーズの暗殺者”

と呼ばれている彼ら自身のグループをつくった。





(Rabbit Foot Minstrels)






彼女の1923年の最初の録音から5年後に

マー・レイニーは、

"Bo-weevil Blues" (1923),


"Moonshine Blues" (1923),


"See See Rider" (1924),


 "Black Bottom" (1927),

そして"Soon This Morning" (1927)などの

100曲を越える録音を行った。







マー・レイニーは、

彼女の非常にパワフルな声、

エネルギッシュな性格、




堂々としたフレ-ジング(言葉遣い)と

民俗音楽の伝統的に類似した

歌の『うめき声』スタイルで知られていた。





< 略 歴 >



ガートルード・プリゲッティはジョージア州

コロンブスで1886年4月26日に生まれた。




(1900国勢調査リストは、

1882年9月に生まれていると彼女を示していた。

しかしながらこれは疑問視できる。)





彼女は、南部のエンターテイメント一家に生まれた。

彼女の両親は、一時期、旅芸人をしていた。



彼女はアラバマ州の

トーマスと

エラ(旧姓ニーアレン)・プリゲッティの

5人の子供の中の2番目だった。





彼女には少なくとも2人の兄弟と

メリッサと名の姉妹がいた。


いくらかの情報の中で、

後にガードルードは混乱したのだった。







彼女は、1900年に初ステージを踏む。



彼女が12~14歳だった頃、

ジョージア州コロンブスでの

タレントショーで

パフォーマンス・シーンに登場した。



First African Baptist Churchのメンバーで、

彼女はテント・ショーで

パフォーマンスを始めたのだった。






Black minstrel showの中で



(Black minstrel show)





彼らは歌って踊って

そして数年間、

F.S. Wolcottの Rabbit Foot Minstrelsと

ツアーをした。




1902年頃、彼女はブルーズ・ミュージックへ

初めてされされたのだった。




1914年から、Raineysは”Rainey ”

そしてRainey、ブルーズの暗殺者と

宣伝されていた。



ニューオリンズで冬を過ごし、

彼女はJoe "King" Oliver, Louis Armstrong,

 Sidney Bechet そして Pops Fosterなどの

ミュージシャンたちと出会った。





(Pops Foster)





ブルーズ・ミュージックは人気が増して、

マー・レイニーは有名になった。






この頃、レイニーは有名になっていた

若いブルーズ・シンガーの

Bessie Smithと出会った。




(Bessie Smith)





レイニーがスミスを誘拐したという

お話しは後に広がった。


彼女はスミスをRabbit Foot Minstrelsに

参加させて、

そしてブルーズの歌い方を教えたのだった。





これについては

スミスの義理の姉妹のMaud Smithによって

論争になった。

1910年代後半、そこには黒人の音楽家による

益々増えてくる録音への要請があったのだ。






1920年、Mamie Smith

レコードを吹き込んだ

最初の黒人女性だった。




(Mamie Smith)






1923年、レイニーはParamount Recordの

プロデューサーJ. Mayo Williamsに

発掘された。




(J. Mayo Williams)



                         (ウィキペディアより抜粋)

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