ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

When I do eventually drop,
「いずれ この世を去るときは、」

I pray to God that it will happen in one of three ways.
「3つのうちの どれかがいいなぁ!」
「・・・そう神さまに祈(いの)っているんだ。」

Firstly, on stage or leaving the stage,
「1つ目はステージの上、」

then secondly in my sleep.
「2つ目は眠っている間。」

And the third way?
「そして 3つ目かい?」

You’ll have to figure that out for yourself!
「それは 君にまかせるよ!」

by B.B.King




 

「若松河田駅」より
徒歩6分の距離にあります。



 

◆資料展示室Ⅱ



★生命を守るために
  未知に立ち向かう



●第五福竜丸乗組員の
 その後と久保山さんの死

 昭和29年3月1日未明、
静岡県焼津の

遠洋マグロはえ縄漁船
「第五福竜丸」が

 

太平洋・ビキニ環礁で
アメリカの水爆実験の
『死の灰』を浴びて被災、



23人の乗組員が
急性放射能症にかかった。



 第五福竜丸の乗組員は

焼津の協立病院と
北病院で

2週間過ごした後、
東京に移送された。



 先に入院した
2名を加え7名が

東京大学附属病院に、

16名が国立東京
第一病院に入院した。



 乗組員は、
放射線によって冒された

骨髄組織に対する
治療を受けたが、

容態は楽観を許す
ものではなかった。


 久保山愛吉さんは、
国立東京第一病院に入院した。

被災から半年後の
9月23日午後6時56分、

賢明な治療にもかかわらず、
久保山さんは死亡した。

40歳であった。



 第五福竜丸の無線長、
乗組員で一番の年長だった。



 久保山さんは



「原水爆の被害者は
わたしを最後にしてはしい」

という言葉を遺した。



 「一人の庶民の死が
こんなにも多数の眼に

見守られたことが
あったろうか。



 それは、罪なき一命を
無残にも奪い去った

あの『死の灰』に対する
激しい怒りと抗議の眼である。

死因は『放射能症』

まさしく『ビキニの灰』は
『死の灰』だった、



 9月24日の
朝日新聞はこう報じた。

久保山愛吉さんの死因は、
「急性の放射能障害と

それに続発した
激症型肝炎による

多臓器不全」といわれる。



 22名の乗組員は
1年2ヶ月にわたる

入院加療ののち
退院(昭和30年5月20日)したが、

その後多くの
肝障害を発症した。



 平成15年末までに
12名が亡くなったが、

そのほとんどが
肝硬変、肝臓ガンである。

 「ビキニ水爆実験被災60周年・図録より」



 被災された方々、
そして遺族の皆様へ

謹んで
祓い、鎮魂を
行わせて頂きました。