今日から明日に掛けて、フジテレビ系列は夏恒例の『27時間テレビ』を放送。この番組はいまを遡ること27年前の1987年7月18日から翌19日に掛けて24時間連続生放送した『一億人のテレビ夢列島』という番組を始祖としている。この第1回が話題をさらい、視聴率も良かったことから以後毎年恒例となっていって、現在も続くというわけなのである。


この第1回の総合プロデューサーは『笑っていいとも!』と『オレたちひょうきん族』の人気番組を手掛けていた横沢彪が請け負う。だから、ディレクターは配下の三宅恵介以下ひょうきんディレクターズで、総合司会はタモリと明石家さんまが担当することになったのだ。BIG3のもうひとり、ビートたけしは前年12月に起こしたフライデー編集部襲撃事件で1987年前半は謹慎を強いられ、6月に判決が出て、7月に入ってからようやくメディアに復帰しだしたことから、番組企画の発表時点では出演者のラインナップにすら載せられなかった。でも、当日は深夜時間帯にサプライズ出演を果たす。じつはサプライズ出演といっても、“予告”されていたことだったので、まったくのハプニングではなかったけれど、タモリとさんまの二人を相手に、謹慎中の謎に包まれた生活や前科が付いてしまったことを飄々と、ときには喜々として語るビートたけしに視聴者は釘付けとなった。第1回の『一億人のテレビ夢列島』、やっぱりコレがいまだに語り草となっている。


自分は当時14歳。ラジオの深夜放送なんかで慣れていたし、午後9時の番組スタートからがんばって朝方まで徹夜してずっと観てた覚えがある。一番可笑しく思えたのは、神宮球場グランドでの「ラジオ体操」。古舘伊知郎がコーナー司会で、さんまが体操のお兄さんとなって、3000人の一般参加者とともにラジオ体操するだけなんだけど、それをやったのが朝の5時半(笑)。当然、電車なんてほとんど走ってない時間帯だから、参加者は前夜に来ていたか、ごく近所の人が集まった具合。前夜に告知しただけでこれだけの人数を集められたんだから、やっぱりテレビの力は凄いものだった。


第1回の『一億人のテレビ夢列島』も、いまの『27時間テレビ』も、テレビが持つ影響力というものを利用した番組作りだったかと思う。しかし、第1回の『一億人のテレビ夢列島』がいまと違って見えたのは、“商売っ気”がなかったことだ。それに日本テレビ『24時間テレビ』のアンチテーゼから生まれた番組で、この第1回は感動要素なんてひとつもなかった。ただただ普段では出来ない“規格外”の面白さを追求しただけ。朝っぱらに当代一の人気タレントが公開生放送でラジオ体操をやるとして、一緒にやる人がどのくらい集まるのか、それが果たして面白いのかどうか?なんて誰もわかんなかった。“いつもよりも面白い!”というのを狙った意味ではなく、読んで字のごとくの“規格外”の面白さを実践したものだった。


いまの『27時間テレビ』はフジテレビが推したい番組やタレントの見本市になってしまっている。そういった“商売っ気”が随所に垣間見られる。また、年に一度の放送ということで、“いつもよりも面白い!”ものを狙いすぎて逆に空回りもしている。だから、そっぽを向かれるのだ。視聴者はそういうのは求めていない。もっと“商売っ気”なしに、もっと“規格外”で、やってほしい。