<<シカゴ・ブルーズの父>>
今日ご紹介するブルーズ・マンは
時代でいうと
1930年代~1950年代でしょうか。
早くからエレキ・ギターを取り入れたりして、
ラグタイム・ブルースを
カントリー・ブルースに、
カントリー・ブルースを
更にシティ・ブルースにと
進化させた御方(おかた)です。
シカゴ・ブルースの父と
呼ばれています。
(シカゴ・ブルースの父と呼ばれています。)
「なかなか革新的な方ですね。
結構イケイケでご活躍されていたのでしょうか?」
いや~っ。そうでもないようですよ。
「えっ?」
なんといっても
彼の人生の大半では、寝台車のポーター、
コック、鋳物工、守衛をして
収入を稼いでいたそうです。
1950年代初期の同時代の他の人のように
華々しいエレクトリックのギタリストでは
決してなかったそうです。
<<彼はブルーズを愛している>>
「そうですか。
でもそれでもブルーズを諦めるコトはなかった
それはナゼでしょうか?」
彼が手記の中で語っていますが
ブルーズを愛しているといっていました。
それも流行に流されない
昔風のスローな本物のブルーズです。
「なんでしょうか?
そのひと言はココロにヒビキますね。」
彼はこうも言っています。
昔風のブルーズが廃れてしまうのがイヤで。
そのときは・・・。
彼自身が死んでしまうトキ!
とまでいっています。
そして・・・。
「そしてナンでしょう?」
彼は昔風のブルーズ
そのスタイルを愛している・・・。
とそういっています。
<<ビッグ・ビル・ブルーンジー登場!>>
今日ご紹介するブルーズ・マンは
ビッグ・ビル・ブルーンジーです。
(今日ご紹介するブルーズ・マンは
ビッグ・ビル・ブルーンジーです。)
時代の要求で商業的な活動を
求められるコト
それはブルーズ・マンだけに
限られた話ではありません。
その中で芸術性を腐敗してしまうこと
それもヨクあることと
いわれています。
彼の本物のブルーズ・マンとして
そしてひとりの人間としての
生き様を感じ取っていただけたら
そう思います。
☆Big Bill Broonzy-Key to the Highway♪
☆Big Bill Broonzy - Backwater Blues ♪
☆ビッグ・ビル・ブルーンジー
(Big Bill Broonzy ,
1893年または1898年6月26日 ? 1958年8月15日)
アメリカ合衆国ミシシッピ州スコット郡生まれ。
シンガー、ギターリスト、バイオリン、作曲家。
生涯で300曲近くのブルースを作る。
1924年 シカゴにてパパ・チャーリー・ジャクソン
(w:Papa Charlie Jackson)にギターを教わる。
1929年最初にソロのシンガーとして録音し
そのスタイルで録音を続けた。
1936年「ビッグ・ビルと彼のシカゴ・ファイブ
(Big Bill and his Chicago Five)」名義でリリースされた。
1938年「スピリチュアルズからスウィングまで」(ニューヨーク
カーネギーホール)ロバート・ジョンソンの代役として出演。
1939年ヴォカリオン(後のオーケー)に現われる。
1945年以降はコロンビア・レコーズに移籍。
彼の最も知られた曲のひとつ、
「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」はこの頃に書かれた。
1930年代の間はメンフィス・ミニーと共にツアーをした。
1948年~1951年マーキュリー・レコーズのレーベルで
一握りのレコードを作った。
1956年初めまでヨーロッパ中を広範囲にわたってツアーし、
そして録音した。
1942年の初めにはエレクトリック楽器を
導入していたにもかかわらず、
彼の新しい白人の観衆たちは、
彼にアコースティック・ギター一本だけで
初期の曲を演奏するのを聞きたがり、
それらの曲がより「正真正銘」であると考えられた。
1956年にシカゴに戻り、演奏を続けた。
「I Come for to Sing」と呼ばれる
フォーク音楽の批評のツアーをした。
彼はシカゴのオールドタウンスクール・
オブ・フォークミュージックを
設立した教員の一人であった。
1958年咽頭癌で死亡。
(ウィキペディアより抜粋)