久しぶりに『ルポ・精神病棟』(大熊一夫著、朝日文庫)を取り出して、読んでみた。

 最初に読んだときから気になっていたのだが、あらためて読んでみて、ここに登場する「精神病棟」は、昔のハンセン病療養所になんと似ていることだろう。少なくとも、昭和のある時期までの療養所の在り様は、ここに描かれた「精神病棟」の在り様に酷似している。

 著者の大熊一夫氏はアルコール中毒患者を装って精神病棟にもぐりこみ、このルポルタージュを書きあげた。私がハンセン病と付き合うきっかけになった出来事はここではおいておくが、この問題に関心を抱いて、どうアプローチしたものかと考えたとき、この大熊氏の行動が私の胸のうちにあったのは事実である。

 外から見ていたのでは本当のことはわからない。しかし、私がいまさらハンセン病者を装うことは不可能だ(もっとも、すでにその頃の療養所はひと頃よりはかなり「民主化」されていたので、患者の立場になったとしても、無意味であったが)。

そこで私は、療養所の職員になることを考えた。看護婦ではないから、私にできるのは患者さんのお世話をする「看護助手」あるいは「介護員」という立場である。

介護員として私は多くの患者(といっても、すでにみなハンセン病は完治していたから入園者と言うべきだが)から、この療養所に入るまでのこと、入った当初のこと、医師や職員の振る舞いなどについてたくさんの話を聞いた。

 しかし、この立場は微妙なものだった。「患者の目線」になりきることができない。そこには常に「施設側の人間」というか立場が立ちはだかって、私は1年と2ヵ月でそうそうにその場から逃げ出した。昭和60年頃のことだ。そして、それからはボランティアという立場で関わることになった。




精神病院とハンセン病療養所

「精神病棟」と「ハンセン病療養所(というか、今問題にしている時代の療養所は「らい療養所」と呼ばれていた)がどのように似ているか?

 一言でいえば、完全な「人権侵害の場である」ということだ。患者たちは家族からも社会からも「棄てられた」者たちだ(らい者は自らのことを「棄民」といったりする)。

そして、第三者の目の届かない「閉じられた場所」で、人権侵害は日常的に繰り返されている。(らい療養所では、職員は警官上がりの者が多く「おい、こら」式の患者管理が行われていたが、ここで描かれた「精神病棟」でもそれに劣らず高圧的な医師、看護人が多い。)

病院、療養所とは名ばかりで、治療はほとんど行われない。それどころか、患者の「強制労働」(精神病院では「作業療法」と呼ばれている)によって施設の設備が整えられ、患者が患者の面倒をみるのがしきたりとなっている。

非常に不潔で、貧しい食事。

面会には施設側の人間がきまって近くにいる。

反抗的な者には懲罰が下される。精神病棟では「保護室」あるいは「電パチ(電気ショック療法)」、そして、らい療養所には脱走した者や罪を犯した者を入れておく「監房」が作られていた。

非常に長い入院。いつ退院できるかわからない精神病院。そして、ハンセン病の場合は一生涯だ。

そして、何より、患者は囚われの身であるということ。両者ともに、自由がほとんど奪われている。



しかし、もちろん違いもある。

決定的に違うのは、療養所は「国立」であるということだ。つまり、「経営」という概念からは無関係でいることができる。また、ハンセン病療養所には、患者たちが自ら団結して作り上げた「自治会」という存在がある。そこからさまざまな「民主化運動」の広がりがあった。精神科領域でいえば「患者会」かもしれないが、その団結力はハンセン病患者のそれにはるかに及ぶまい。(しかし、ハンセン病には「家族会」というものはあり得ない。なぜなら、ハンセン病者は家族とはほとんどの場合、まったく縁が切れているからだ。戸籍さえも抜いていることが多い。)




恐怖と無関心

それでも、精神病者に対する社会の受け止め方は、らい患者に対する受け止め方と、よく似ていると言わざるを得ない。

たとえば、昭和の中ごろまで、新聞の記事などにはこんな言葉が目につく。

「野放しのらい患者」

「野放しの精神病者」

社会の捉え方が全く同じなのだ。

あるいは、100年前に繰り広げられたらい療養所建設に対する住民の反対運動は、そのまま精神病院建設に対する反対運動と重なるものである。

そして、その他大勢の無関心。

ハンセン病の問題は小泉首相の派手なパフォーマンスがテレビで報じられるまで、その存在さえ知らない人が多かった。そして、大熊一夫氏のルポが朝日新聞に連載されたとき、世間の人たちは、このような世界が昭和40年代半ばの日本に存在していることを知って衝撃を受けたものだ(衝撃を受けただけだったが)。

自分の身に降りかかってくると全力を挙げて反対するが、それ以外はサイレント・マジョリティなのである。

これは日本人特有の性質だろうか?

100年以上、いやそれよりずっと昔からの「らい」に対する人々の反応は、そのまま「精神病者」への反応として受け継がれている。何も変わっていない。学んでいない。ホモ・サピエンスたる人間として何一つ向上していない。




民族浄化

そして、今日の精神病棟とこの『ルポ・精神病棟』が書かれた昭和45年を比べてみると、どうか?

設備的には多少の変化はあるかもしれない。しかし、その意識の底に流れるトーンは、ほとんど変わらないのではないか。たとえば、ある女性は、隔離室に入れられたとき、ポータブルトイレで用をたし、時間になるまで汚物を片付けてくれないので、その匂いの中、食事をしたことが何度もあったと書いてきたが、その他、私の元に寄せられた「精神科病院」の在り様は、やはり当時とたいして変わっていないと言わざるを得ない。



このルポルタージュを読みながら、始終私の中に響いていたことは、次のようなことだった。

精神を病んだものは、人間として劣るものである。人間として劣るものは、したがってどのように扱おうとかまわない……。

かつて軍国主義の時代、らい患者は「民族浄化」の名のもとに、「患者狩り」と称して家庭から強制的に療養所へ入所させられた。「らい」は優秀な「日本民族」を汚すもの、戦争に勝つためにはだから「浄化」せねばならない。しかも「汚れた」子孫を残さないよう男性患者には「断種手術」が施されたのである。

らい患者は、人間として劣るから……。

その意識が差別・偏見の根本にはある。

そして、精神病院で行われている治療という名の「非人道的」な行いの、意識の底の底には、同様の思いがあるのだと思う。

「ヒトラー支配下のドイツでは、十万人以上の精神病者が「安楽死計画」の名で焼却炉へ送られた。あのナチズムの社会と、今日の日本と、どこが違うのだろうか。」(本書より)

この意識が変わらない限り、日本の精神病院が変わることはおそらくないだろう。




人間相手の仕事

 翻って、町角の精神科、メンタルクリニックはどうか?(ここから先は、私の独断である。)

 精神疾患を抱える人は、人間として劣る……か?

たとえば、いつまでもうつがよくならない患者は、医師にしてみたらどういう種類の人間に映るだろう?

 いつまでたっても眠れない患者に対して、医師はどのような思いを抱くだろう?

 治療について不平不満を口にする患者は?

 自身の治療を省みることなく、ひたすら治らない患者を面倒と感じていないだろうか。そして、どうなってもよいと、心のどこかで考えていないだろうか。

 精神病院勤務の医師が、町角メンタルクリニックを開業する例が増えていると聞く。精神病院でどのような治療を行ってきた医師か? この『ルポ・精神病棟』を読む限り(これが書かれた昭和45年と現在と、精神病院の実態にそれほどの改善がない)、そのような医師がメンタルクリニックを開業した場合、患者本位の治療をするとはどうしても考えられない。なにしろ「人間相手」に仕事をしてきた人たちではないからだ。

 そして、精神病院にしろ、町角のクリニックにしろ、精神医療の根底にはこの思想が通奏低音のように流れている。人間相手の治療という視点の欠落……。精神疾患を抱える者への偏見。

 多剤大量処方の結果、患者が死んでも、自殺をしても、たいした痛痒も感じていないらしい精神科医がいることを理解するにはそう考えるしかない。

 そして、その背後には、かつてらい患者を社会から締め出したように、現在でもなお精神病者を檻の中へと追い込んでいるように、「厄介者」を見えない場所に消し去って、どこかで安心している社会そのものがある。