ブログ更新が滞ってすみません…。


昨夜(9月17日)に放送されたフジテレビのバラエティ番組おじゃマップないでのサプライズ企画として僕の「引退式」をして頂きました。



実はブログで引退を発表したあとの4月。
妻が番組のサプライズ企画に応募し採用されていたそうなんです。収録は7月下旬だったんですが、それまで僕はフリーライターさんを装った総合演出家さんやスタッフさんと偽取材を受けたりしてました。妻の仕事の関係者を通じて(と言う体で)取材依頼があり「雑誌の取材で、何の媒体かはまだ分からないんですけどね…」というモノ凄く怪しいライターさんでした。(体調が悪かったようで終始マスクをした金髪のお兄さん。怪しいでしょ。笑)しかし取材も時間をかけ内容も事細かに聞いてくれたので僕は「この人出来るなぁ」なんて感心してたんです。ただ、こんなに出来るライターさんだから良い記事書いてるんだろうなぁと思ってネットで名前を検索してもまったくヒットしない…益々怪しい(笑)まぁ、それでも信頼出来る人だったので、そう言う記事を書くメディアに売る仕事をしてる人かな、って安心してたんですよね。騙され易い…よね、俺…。なんだかいつもより無駄口の多い弟と一緒に球場入りし別室で着替え、スタッフさんから「球場に入る所までのシーンを撮りますね~」と言う指示され扉を開けて入場…。

で、収録が始まったわけです。



ちょっと少し話しがズレるけど「引退式」ではなくて「引退試合」の話し。
これには日本と海外とで考え方の違いがあります。海外では引退していく選手にいちいち「引退試合」をすることは殆どありません。本当に稀に、それもプレーヤーがプレーヤーとして活躍しているタイミングと重なったりすれば通常通りのラインナップで戦う試合を「引退試合」とすることはあります。日本ではチームや野球界での功労者のために引退試合を用意する習慣があります。これも日本人の素晴しい精神の現れだと思います。しかし、違う考え方もあるのです。引退していく選手は確かに大きな功労者ではあるけれどチームの戦力としては計算出来なくなる、つまり戦力外なのです。(その選択を突きつけられるか、自分で下すかの違いはありますが)プロ野球の試合は年間試合数が決まってます。と、いうことはイニング数も限られる。(146試合だとすれば単純計算1314回)1イニング1イニング、誰かが命をかけて獲りにきているイニング、仕事の場所なんです。たった1イニングで人生を掴んでしまうのが野球の世界です。その1イニングを引退していく選手に使う、と言う考えは次に出てくる選手の可能性を狭めてしまうため、選手にとってリスペクトに欠けるのではないか?と言う考えもあります。プロだからこそ情けをかけない。日本でも「情けを掛けるは武士の恥」なんていいますよね。それがプレーヤーへのリスペクトだったりするんですね。

これは日本と海外の野球観の違いなので否定的に取らないで欲しいのですが、そう言う状況の中で僕は生きて来て、ましてや自分は外国人選手という立場を考えればシーズン中にクビになることだってあるので「引退」とは常に隣り合わせでした。いつの間にか僕は最後まで戦い続けてひっそりと引退する、ということにプロとしての生き様を見出していたのです。

「シーズン中ではなかったり、チームに所属していない時」に引退のタイミングがくることは分かっていたし、そうなれば尚更「引退式」なんてものに縁は無いだろうなと考えてました。正直、それで良いと思ってました。どこかに所属し肩書きを得ることが僕の目的ではなかったしプロとして契約社会で戦う、そう言う生き方を選択したのだから「力無き者が去る」そんなプロアスリートの世界を尊重していました。引退試合に縁が無ければ当然、引退式にも縁が無いですからね。当然、考えもしなかったわけです。妻もそのことは理解していました。だから、サプライズ企画に応募したんだと思います。相談されてたら断ってたでしょう。今回、引退を決めた時もメキシコや韓国からのオファーがあって妻は受けなさいと言ってくれたほど、彼女の方が僕の野球人生を楽しんでくれていたと思います。ありがたいことです。父から始まったラインアップにはずっと感動してました。(俺より一喜一憂し過ぎだろ!ってことは置いといて…笑)他にも沢山の方々にお世話になってきましたが言葉にはできない程嬉しかったですよ。マジ。



当日はサプライズゲストで桑田真澄さんが忙しいスケジュールの合間を縫って足を運んでくださいました。僕がPL学園に進学したのも中学時代、憧れだった桑田さんとの出会いがあったからなんです。「練習は嘘をつかない」と桑田さんがいつもセカンドバックに入れて持ち歩いていたボールにサインをしてプレゼントしてくれたことがありました。今でも大切に飾ってますよ。家宝です。

 


当初、打ち合わせの段階では桑田さんには「スーツ姿で花束を贈る」と言う依頼があったそうです。しかし、桑田さんご本人が「亮寛の引退式はそんなんじゃだめだ、俺がジャイアンツの18番をつける。ドームにもそう伝えてくれ」と強い要望がありユニフォームでのラストキャッチーボール実現となったようでした。もう感動!嬉しいですよね。桑田さんはやっぱり最後まで僕のヒーローであり尊敬する人物でしたね。収録語、桑田さんはジャイアンツの18番をつけたまま外野を走り、マウンドでピッチング練習をされました。キレ、フォームのバランス、コントロール、一流の動きは健在でした。横で観ながらピッチングフォームについての質問をしたり話しを聞かせて下さり本当に貴重な時間となりました。


僕は元々、海外に行きたくて行った訳ではありませんでした。でも、2002年千葉ロッテを解雇になり中日ドラゴンズで打撃投手をしたあとプロ選手として野球を追求するためにはアメリカに行くほかに選択肢はありませんでした。出来るか出来ないかは考えず自分の心に素直に行動しよう、と挑戦してみたのですが、世界は広いですよ。僕みたいな選手が沢山いました。僕なんかよりも大きな覚悟と責任を持ってましたね。キューバから命からがら亡命して来た選手やコロンビア、ドミニカ、オーストラリア、韓国、ベネズエラ、プエルトリコ、オランダなど色んな国を飛び出して来た選手達と競い合ってきました。各国のWBCの代表選手とも戦い共にプレーしましたが彼らは野球ができる、のは当たり前ですが、語学や交渉力、セルフマネージメント能力にも長けていて「世界で生きのこる選手」への憧れがとても強くなったものです。日本のトライアウトも何度も受けましたが、それくらいのことは誰でもやってます。自らがアクションを起こしてチャンスを獲りにいくのはどの仕事も同じでですね。日本の人たちには放送を通じてこんな野球選手がいたんだ、こんな野球の世界があるんだと知ってもらえたのであれば幸いです。



番組出演者、関係者の皆さんには寝る間も惜しんで取り組んで頂き感謝です。人を喜ばせることに情熱を捧げるプロ集団だなぁと感化されました。僕も頑張りますよ~!



僕は今、福岡市内を中心に野球指導をしながら11月頃に野球をテーマにしたトレーニングスタジオ「BASEBALL WORKOUT 博多」をオープンさせるために動いています。子どもたちへのスクールだけでなく野球を愛する大人の方々にも野球のトレーニングを通じて心とカラダの健康維持に役立てればなぁと考えています。ウエイトトレーニングしたあとに思いっきりボールをかっ飛ばしたりするとストレスも発散出来ていいですよ~。ありそうでなかった野球をテーマにしたジム.作っちゃいます(笑)少年野球指導者の方にも実際に自分の身体で体現してもらいより良い指導をして頂ければと考えています。予約申し込みは10月下旬の予定ですので楽しみにしていて下さいね。


コビーズベースボールクリニック ホームページ
http://fredperry117.wix.com/kobesbaseballclinic



これからも家族のために野球界のために社会のために「自分だから出来ること、自分だから歩める道」を真っ直ぐに生きていきます。応援宜しくお願いします。









o(・∀・)o 「ざぁぁぁっす!」