2014年8月22日13:00から水屋神社の久保憲一宮司様の告別式でした。

津の赤塚さんがお迎えに来てくださって飯高の告別式会場へ

開始まで一時間以上ありましたので、私達は水屋神社の大楠に会いに行きました。

水屋神社のご神木の大楠は千年以上に亘って神社と地域のひとを見守り続けてきました。

昨年10月のこと宮司さまが重度の肝臓癌で、余命二ヶ月と言われました。昨年12月23日大楠はヘドロのようなものを吐き続けていました。


これを見た赤塚さんは「20年通っているけどこんなことになっている大楠の木。初めてみた!」と。すぐさま腕まくりをして洞のヘドロを掻き出しました。それはそれは冷たく冷え切っていました。まわりからあたたかい落ち葉を集めて洞のなかを掃除しました。その日は宮司さまのラジオインタビューの日でした。


もう、長時間同じ姿勢でいることも辛い時期でしたが、楽しく15分番組を三本収録
されました。

紋付に着替えインタビューに臨む宮司さま




赤塚さんと語るフランスで初めての神社が水屋神社だったいきさつ、六角の観音堂を境内に建てることに反対の人達がいて、宮司職を辞めなければならないかもしれないことなどを笑顔で話してくださいました。

諸宗教和合、どの人に対しても分け隔てのない生き方が見事に貫かれていました。

どうしても生き延びてやらなければならない事が3/21の水屋神社の遷宮式でした。



光の中を進まれる久保宮司さま、神力車祥平さんのひき車で。




その日から何回か水屋神社にお伺いし気功をして差し上げたり、お食事を一緒にいただきました。いつも笑顔しかありませんでした。

赤塚さんから久保宮司さまが亡くなった!と知らせが入りました。
通夜には間に合いませんがせめて告別式へ。
そして告別式のまえに大楠に会いに行きました。


また赤塚さんが、
「姉ちゃん大楠に血のような水が溜まってる!」

発見するのはいつもこの人です。

宮司の分身のような大楠の最後の腹水をとるように持っていたバックを道具にして掻き出しました。乾いた葉っぱで吸い取り、「もう良し」急いで告別式に向かい、赤塚さんはジャストのタイミングで弔辞に間に合いました。



静かにまるで戦友に魂から語りかけるような赤塚さんの弔辞に流れる涙が止まりません!



遺影の写真はあのインタビューの時の写真でした。
笑顔の写真を探したけどこれが一番でしたと。

妹の礼子さんが私を見つけて「兄はとても喜んで何回も聴いたか?とみんなに聞いていましたと。」ーブロク記事ー
http://ameblo.jp/k-konnothalasso/entry-11777507045.html

参列者も玉串奉奠があり、棺にお花を添えてお見送りをしました。拝見させていただき本当に全てやり終えた安らかなお顔でした。

親族で日の丸の扇子の万歳と、弥栄の声で送りました。


そしたら、ものすごい稲光!滝のような豪雨、雷鳴!

水屋神社に相応しい龍神さま総出のお見送りでした。

宮司様のお言葉に

水のように濁らず流れつづけで生きろ
岩に当たれば沿って流れれば良い
時には岩を砕けば良い
下へ下へ流れ続けたら
大きな海にでる。


本当にあっぱれな人のあっぱれな人生を見せていただきました。



昨夜は、雷雨の後に青空が広がり虹も出ました。

夜になっても明るく、星も煌めいていました。

宮司様ありがとうごさいます。
光となっていつも私達を見守ってくださいね。
悔いなきよう 一所懸命生きてみます。
ありがとうございました。

ー弥栄ー