皆さんが望んでいる事は、有名人や政党の出す政治家が政治を担う事により、

また国民が振り回されてしまう状況からいち早くぬけ出す事だと思います。

その願いを持ちながら、いつも同じ結果になる事が

多くの人のストレスになっているのでしょう。

舛添全都知事が多くの批判を浴びたのも、なんら国民に対する

真っ当な仕事の報告もなく、その立場を利用する行為ばかりしていたから、

国民の意思が政治に結びつかないストレスが

大いにその批判へと表れたのだと思います。

 

論理的には舛添氏を擁護出来るという声もありますが、

今実際に沸き起こっている、本当に国民が願っていることとは、

私達国民と結びついた政治が行われる事です。

事後報告や一部の人達だけで決める政治や行政的なイベントには

うんざりしているのです。

 

誰がこの国の今後を決めているのか、それは一部の政党の人達ではないですか。

政治家の人達を一概に悪くいうつもりはありません、

きちんと国の事を考えている人もいることでしょう。

問題なのは、政治権力争い、政争が活動の主になって

国民から票を得るための考え方や行動が

主体になっている事なのです。

それは例えるなら、東京都知事選は東京のみならず

地方日本全国の人達と関わりあるものなのですが、

選挙では都民の人達だけに向けた視野の狭い選挙戦になっています。

お分かりの通り、東京は人が集まり、文化の発信と集約地であり、

経済のもっとも大きく絡みあう日本全国との織りなしに成り立つ所です。

子供を大学にいかせる親御さんのこともあるでしょう。

数えきれない関わり方があるのです。

しかしながら、選挙においては都民の耳障りの良いことだけを選ぼうとして、

厳密にそうした私達の生活やつながりの本質から外れた選挙戦略が

一般化してしまっています。

国民も選び方が分からないどころか、政党の後ろ盾を持つ人ばかりが立候補して

選びようが無かったのでしょう。これはあまりにも恐ろしく、情けなく、また悲しいことです。

 

一般市民の中から選ばれる事になるのが一番望ましい形です。

それは市民が選ぶ目を持ち、尚且つその選ぶ力によって培われた私達の中にいる

本当に政治の才能や見識を持った人が選ばれるのが本来の筋なのです。

今までのこの流れから抜けださなければならないのは、

私達であり私達が第一歩を踏み出さなければなりません。

私はどうにかこの現状を変えたいと思い活動を始めました。

私自身は決して優れた人間とはいいません。

それは私達の中に優秀な人、静かでも豊かな見解を持った人、

それを支える人など尊敬すべき人物が沢山いる事を知っているからです。

ただ、私は社会の矛盾したおかしな点を見抜く事が得意です。

例えば保育園の問題ですが、時間は遡りますが、

氷河期世代の人達は負け犬というレッテルの上なんらケアもせず、

またそれ以降も非正規雇用を沢山増やしてきたのがこの社会の事実ですが、

本当に私達の生活を豊かにする事を考えてきたのなら、

今現在の待機児童を解消するだけで済まない数の子ども達が産まれていて、

保育園の数ももっと多くが作られなければならなかったはずです。

いかがでしょうか、本当に私達は視野の狭い戦いを、

してきてしまったのをお分かり頂けたと思います。

 

問題の解決とは、単にその問題に一直線に向かう解決策が

本当の解決ではありません。

オリンピックの事で言うのなら、

ビックサイトの展示会やイベントとメディアセンターのブッキング問題があります。

優先順位の問題では無いはずです。本質的にはイベントでの何万人もの人を一挙に受け入れるという要素と、メディアセンターが持つ、

限られた人が繰り返し利用する要素はそれぞれ全く違う内容です。

つまり、この解決には短絡的にどちらかが譲れという話ではなく、

関係する多くの要素を縫っていくようにして

本当の解決策を考えていく事が大事なのです。

 

しかし私達は限られた人達による決定を事後報告を、

受け入れ続ける事を繰り返してしまっています。

 

私はこの問題のみならず、全ての問題に本質的に取り組み、

その過程を皆さんに明らかにし皆さんに参加出来る形を持ち、

私達の解決というのを実現します。

私達こそが社会なのです。

 

そうした社会の第一歩を、挑戦を、先端を、私が取り組みます。

これは都民の皆さんだけの問題ではありません。

日本全国の皆さんが立候補者や政党の公約や政治方針を見て考えて、

大いに意見を述べるべき時です。本質的な判断をするべき時なのです。

 

私達が、私達こそが、社会の論理性と理性を保つのです。

それを忘れないで下さい。

 

以上、高橋しょうごでした。