【読書】捨てる幸せ/藤原東演 | THE ONE NIGHT STAND~NEVER END TOUR~

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「40歳からの〇〇学 ~いつまでアラフォーと言えるのか?な日々~」から改題。
書評ブログを装いながら、日々のよしなごとを、一話完結で積み重ねていくことを目指しています。

捨てる幸せ/藤原東演



著書の藤原東演さんは、臨済宗妙心寺派宝泰寺のご住職です。以前このブログで紹介した『「般若心経」を読み解く』の監修をつとめられた方です。
そんな方が、禅宗の教えを援用して、どんな風に生きていけばいいのか、ということへのヒントを指し示してくれた本です。

<目次>
1章 「欲」はほどほどに、身軽に生きる
2章 いらない人間関係もある
3章 心を自由にするために
4章 余計な悩みは抱えない
5章 「幸せ」をどうとらえるか


仏教というと、「煩悩を捨てよ」というイメージがあるのではないかと思います。そんな方が書かれた本のタイトルが『捨てる幸せ』であると、
「あらゆる欲望を捨てると幸せになれる」
という内容を想像するかもしれません。しかし、そんなこと内容ではありません。ある意味では、欲望は肯定されています。

1章のタイトルに、「欲は【ほどほど】に」とあります。あくまで「ほどほど」にしなさい、といいうことで、一切を捨てよ、といっているわけではありません。福沢諭吉の言葉を引用してこう書いています。

でもそこはさすがの福沢で、欲の付き合い方までちゃんと教えています。「欲の平均を失うべからず」とし、「平均を失えば有害なり」と警告しているのです。(p18)

このように全編貫かれているのは、「ほどほどに」「平均」ということです。つまり中庸であれ、ということですね。
本来の仏教は極端を排して「中道」を重んじます。ですから、人間、誰もが持っている欲望を単純に悪だから捨てろ、というわけではないのです。欲望によって人が苦しまないようになるにはどうしたらいいか、を修行していくのが仏教です。

まして、出家をする人を対象にした本ではありません。欲望はあって当然で、適度になければ、自分のためにも社会のためにもならない。しかし、過剰にもってしまうと、手に入らないことも多く、心が乱されて幸せになれない、と説いているのです。

たとえば「知足」(足ることを知る)という言葉について、これは「現状に満足せよ」という意味ではないと言います。本来の意味は
「自分にとって本当に欲しいものと、そうでないものを区別ができる判断力を身に付けること」
だと言います。本当に欲しいものを吟味せず、なんでもかんでも欲しいと思ってしまうから、欲望まみれになる。福沢の言葉を使えば、平均を失ってしまうことになるのです。

こうした考え方、さまざまなテーマに沿って述べられています。そんな中、僕が最も大事だと思ったこと、中道の根っこにあたるのはこのことではないか、と思った箇所があります。

そもそも人の世に、はっきりと白黒つけられるものは皆無と言っても、過言ではありません。そこで二分思考によって「いい」「悪い」と断定することは、いずれにしても物事の本質を見誤ることにつながってしまうのです。(p178)

人間関係においても「敵」「味方」に分けて考えてしまいがちです。しかし、人間はそれほど一面的ではありません。あるときは味方であるときは敵、ということはいくらでもあり得ます。普段は敵でも味方でもない、という状態はある意味、普通の関係のように思えます。
にもかかわらず、どちらか一方に決めつけてしまうのは、すべてがよくないと満足できないという欲にかられているからだと思うのです。

奥深い禅語を紹介しつつ、こうした考え方をさまざまな場面にあわせて説かれています。最近、肩に力が入っているなあ、と思うような人はぜひ手に取ってみてください。心が軽くなると思います。