◆野生の女性はブルーズを持っていない | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<ヤリ手のコメデイアン歌手>>


器用な方っていらっしゃいますね。


「学生時代にいましたね。

スポーツも勉強もできて

しかも友達づきあいも

いいヤツ!」




なるほど。


「しかも女の子にも

モテていましたっけ。」




フミフム。



「社会に出てからは

仕事でもプライオベートでも

充実している人生でしょうかね。」


「いいですね。」(笑)





今日は彼女をご紹介します。


元々は聖歌隊で歌っていたのですが、

テントショーのコメディアンとして

出演して歌も歌います。



「OH!サクセス・ストーリの

始まりでしょうか?」




それから1920年代で

最も人気のあるブルーズ歌手の

ひとりとなります。



「それは素晴らしいですね。」




彼女のキャリアはそれで終わりません。


歌手としてではなく

後に自分のステージ・ショーを

みずからプロデュースしたり


ツアー会社を管理したりと

実業家としての手腕も振るいます。



「なかなか

やり手のシンガーですね。」





<<アイダ・コックス登場!>>


今日ご紹介するブルーズ・ウーマンは

アイダ・コックスです。



(今日ご紹介するブルーズ・ウーマンは
    アイダ・コックスです。)


メイミー・スミスの”クレイジーブルース”の

成功を受けてレコード会社も

レース・ミュージック(アフリカ系

アメリカ人の音楽)の需要に気づきました。


☆Mamie Smith - Crazy Blues ♪



彼女の歌はベッシー·スミスや

マ·レイニーのように

ブルーズ・ウーマン精神の解放に

象徴されました。



「当時を生きる女性の代弁者ですね。」



そうです。

性的な自由や失業について

または死刑についても

歌われていたりします。


☆Ida Cox Coffin Blues♪


☆Ida Cox Graveyard Dream Blues (1923) ♪

  

☆アイダ·コックス

アイダプレイザー

Ida Cox (1896年2月25日- 1967年11月10日)


 アメリカ合衆国ジョージア州トコア生れ。


ヴォーカリスト。


ジョージア州シーダーだ育ち、ローカルアフリカ

メソジスト教会の聖歌隊でで歌った。


ツアーでしばしば家を離れることになり、

1910年ミンストレルショー(白人による漫画寸劇)にも

コメディアンとして歌手として登場するようになる。

仲間のアドラーコックスと結婚。



1920年彼女はジョージア州アトランタで81の劇場での

メインアクトとして出演していた。



1923年~1929年パナマウント・レコードで多くの

レコーディングをする。



1930年代にはツアーキャンペーンに

”セピア・メイ・ウエスト”と銘打って立ち上げた。


1934年にコックスとベッシー·スミスは、アポロ劇場での

ミュージカル・レビュー”ファン・ウェーブ”に

一緒に登場した。



彼女はニューヨーク市のカフェ·ソサエティの

ナイトクラブで1939年まで年間を通して、

定期的にパフォーマンスをした。



1939年カーネギーホールでの歴史的コンサート

”フロム・スピリチャルズ・トゥー・スウィング”

に参加した。


その歳ヴォーカリオンレコードでレコーディングを

再開した。



1940年オーケーレコードでトロンボーン:

JCヒギンブッサム、ライオネル·ハンプトン、


トランペット:ホットリップス・ページ、

ヘンリー・レッド・アレン、


 ギター:チャーリー·クリスチャン

などと一緒だった。



1940年半ば彼女はニューヨークでのパフォーマンス中に

脳卒中の発作をおこし、彼女はショービジネスか去り、

娘と一緒にテネシー州ノックスビルに引越す。



1950年代に彼女は散発的にパフォーマンスし始めた。



1961年彼女はリバーサイド・レーベルで最後の時間を

記録した。アルバム・タイトルは”ブルーズ・フォー・

ランパート・ストリート”。



1967年ガンにより死去。



             (ウィキペディアより抜粋)

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