器用な方っていらっしゃいますね。
「学生時代にいましたね。
スポーツも勉強もできて
しかも友達づきあいも
いいヤツ!」
なるほど。
「しかも女の子にも
モテていましたっけ。」
フミフム。
「社会に出てからは
仕事でもプライオベートでも
充実している人生でしょうかね。」
「いいですね。」(笑)
今日は彼女をご紹介します。
元々は聖歌隊で歌っていたのですが、
テントショーのコメディアンとして
出演して歌も歌います。
「OH!サクセス・ストーリの
始まりでしょうか?」
それから1920年代で
最も人気のあるブルーズ歌手の
ひとりとなります。
「それは素晴らしいですね。」
彼女のキャリアはそれで終わりません。
歌手としてではなく
後に自分のステージ・ショーを
みずからプロデュースしたり
ツアー会社を管理したりと
実業家としての手腕も振るいます。
「なかなか
やり手のシンガーですね。」
<<アイダ・コックス登場!>>
今日ご紹介するブルーズ・ウーマンは
アイダ・コックスです。
(今日ご紹介するブルーズ・ウーマンは
アイダ・コックスです。)
メイミー・スミスの”クレイジーブルース”の
成功を受けてレコード会社も
レース・ミュージック(アフリカ系
アメリカ人の音楽)の需要に気づきました。
☆Mamie Smith - Crazy Blues ♪
彼女の歌はベッシー·スミスや
マ·レイニーのように
ブルーズ・ウーマン精神の解放に
象徴されました。
「当時を生きる女性の代弁者ですね。」
そうです。
性的な自由や失業について
または死刑についても
歌われていたりします。
☆Ida Cox Coffin Blues♪
☆Ida Cox Graveyard Dream Blues (1923) ♪
☆アイダ·コックス
アイダプレイザー
Ida Cox (1896年2月25日- 1967年11月10日)
アメリカ合衆国ジョージア州トコア生れ。
ヴォーカリスト。
ジョージア州シーダーだ育ち、ローカルアフリカ
メソジスト教会の聖歌隊でで歌った。
ツアーでしばしば家を離れることになり、
1910年ミンストレルショー(白人による漫画寸劇)にも
コメディアンとして歌手として登場するようになる。
仲間のアドラーコックスと結婚。
1920年彼女はジョージア州アトランタで81の劇場での
メインアクトとして出演していた。
1923年~1929年パナマウント・レコードで多くの
レコーディングをする。
1930年代にはツアーキャンペーンに
”セピア・メイ・ウエスト”と銘打って立ち上げた。
1934年にコックスとベッシー·スミスは、アポロ劇場での
ミュージカル・レビュー”ファン・ウェーブ”に
一緒に登場した。
彼女はニューヨーク市のカフェ·ソサエティの
ナイトクラブで1939年まで年間を通して、
定期的にパフォーマンスをした。
1939年カーネギーホールでの歴史的コンサート
”フロム・スピリチャルズ・トゥー・スウィング”
に参加した。
その歳ヴォーカリオンレコードでレコーディングを
再開した。
1940年オーケーレコードでトロンボーン:
JCヒギンブッサム、ライオネル·ハンプトン、
トランペット:ホットリップス・ページ、
ヘンリー・レッド・アレン、
ギター:チャーリー·クリスチャン
などと一緒だった。
1940年半ば彼女はニューヨークでのパフォーマンス中に
脳卒中の発作をおこし、彼女はショービジネスか去り、
娘と一緒にテネシー州ノックスビルに引越す。
1950年代に彼女は散発的にパフォーマンスし始めた。
1961年彼女はリバーサイド・レーベルで最後の時間を
記録した。アルバム・タイトルは”ブルーズ・フォー・
ランパート・ストリート”。
1967年ガンにより死去。
(ウィキペディアより抜粋)
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