成育歴をきちんと聞いていけば、その子には傷つき荒れる理由がちゃんとある。

それは、教育問題であり、友人関係のもつれであり、進路問題であり、親子問題でもある。
一つの歯車が狂えば、問題は簡単に重層化する。
家庭内暴力もその結果の一つだ。
問題解決のためには、関係する全ての人間が今一度、問題を再考し、彼との関係性を再構築し、再起のチャンスを与えることが社会の責任である。

ところが、彼は今、精神科病院の隔離病棟に半年も入ったままだ。
切れたら統合失調症。情緒不安定は双極性障害。
もちろん抗精神病薬による薬漬けである。
彼は、病院を出たいと言っているが、母親は、暴力を恐れて、彼が家に帰ってくることを望んでいない。動揺した父親は、精神科医の言う精神疾患概念を鵜呑みにし、ダルクはどうかなどと言っている。
今の彼は、このままだとノーチャンスだ。

この話が特別な酷い話だと思いますか?
残念ながら、こんな話はもはや珍しい話ではない。
それとも、この話のおかしさに気が付かない?
気が付かない方が異常だと思うが、気が付かないからこんなことがまかり通るのか。

全ての責任を彼のみに押し付け、精神科に丸投げすることを選択し、精神科はその要望に応え、精神疾患のレッテルを貼り、治療と称して実質拘束を行っている。これを人権侵害と言わずして何が人権侵害だというのか。
そもそも彼は統合失調症でも双極性障害でもない。

全てを正当化しているのは、彼に張られた精神疾患というレッテルだ。
かれは病気だから、病院に居て、薬を飲まされ、拘束されるのだ。
それによって周囲の全ての人間が免責される。

だからこそ、皆、この精神病という病名に固執する。
統合失調症ではなかった発達障害だったという患者家族会も、結局、同じ呪縛にとらわれている。

正当な理由がある正常な反応。
虐め被害者が精神的に不安定になるのは当たり前。怒らず、泣かずに、笑っていたなら、そちらの方が異常である。
精神科医に存在意義があるとすれば、この問題の病理を説明し、彼を追い込んだ要因を周囲に伝え、彼の社会性の再構築を促すことではないのか。

啓蒙から実践へ。
どうしたら、改善できるか共に考えましょう。
具体的な活動を共に担って頂ける医療、福祉、教育関係者の参加を熱望します。
その試みは、すでに各地方で始まっています。