神代文字-日本的霊性 - AAA!Cafe

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日本の古代史の謎の一つに「神代文字」がある。
この神代文字は由緒ある神社に使用されていたり、古文献が発見されていたも「偽物」とされているのが現状である。。
日本には漢字が入る前までは、文字がなかった・・・。本当にそうなのだろうか・・・・

神代文字否定論

下記の記事は、ネット上に流れている神代文字否定説の主なものである。

神代文字は僞作
「支那から漢字が傳來する以前、日本には既に文字が存在した」とする説がある。『釋日本紀』(卜部兼方)には、龜卜(占ひ)の辭を記す事が神代の頃からあつたのではないかと云ふ説が述べられてゐる。

◎「一方、『古語拾遺』(齋部廣成)、『筥崎宮記』(大江匡房)では、日本には固有の文字が存在しない、と書かれてゐる。」

◎「現在の國語學では、「漢字以前に、日本人は固有の文字を持たず、使つてもゐなかつた」とされてをり、それが定説である。」

◎「神代文字と呼ばれるものは多くの種類があり、それらについては諸説ありますが、神代文字の多くは江戸時代以降に作られた偽物とされています。漢字伝来以前になんらかの記号として存在した可能性はありますが、「文字」と呼べるものだったのかどうかは疑わしいようです。たとえそのような「文字」が存在したとしても、○○○○氏の言うように、ムー大陸で作られ、世界中のすべての文字の起源として存在したという可能性はほぼゼロでしょう。」

◎「漢字の渡来以前に、〈神代文字〉と称する日本独特の文字の存在を主張する説があるが、信用し難い。それらのいう文字とは、ほとんどが江戸時代に作られたもので、とうてい神代のむかしに存在したなどと考えることはできないのである。もし日本に固有の文字があったとしたら、歴史が示すように、どうして苦心して中国の文字を受け入れ、その使用に工夫をこらしただろうか。まして仮名など作る必要はなかったであろう。」


申し訳ないが、これらの諸説にはまったく説得力がない。
何故、偽物が由緒ある日本の古い神社で使用されているのだろう・・・・

日本の神社の頂点・・・伊勢神宮の神宮文庫には神代文字で書かれている、奉納文が数多く奉納されている。

また、古史古伝に使用されている神代文字で世界中の古代遺跡にある古代文字が読めるのは何故だろうか?

神代文字否定論には、考古学上の否定説明がまったくないのである。

神代文字はあったか?

かつては「応神天皇の時代に百済来た阿直支と王仁が諸典籍をもたらした」ことが日本の文字使用の始まりであるとされていた。しかし、漢や魏に使者を派遣した王者のもとに漢字が読み書きできる者がいなかったはずはない。ここで問題になるのは、漢字の採用以前に、日本列島ではどんな種類の文字も一切使用されていなかったのか、ということである。ここで注意すべきことは、文字といっても意思の伝達や事実の記録だけが使用目的ではなく、最初のころには願い事を神に捧げる呪術的な用法もあったということである。前節で見たように、日本で石に刻まれたペトログラフが無かったとは考えにくいと思う。

第二編で紹介する『竹内文書』は、その由来記によると、今から一四七〇年前に武内宿禰の孫が神代文字で記された太古の記録を漢字になおしたものであるという。また、同じく『上記』は一二二三年に豊後の大友氏が、収集した資料編集して当地で用いられていた「豊国文字」で記録したものであるという。その他、『秀真伝』や『三笠紀』、あるいは『物部文書』などの「古史・古伝」にも、太古の日本で使用されていたという文字のことを述べている。それ以外にも、神社のお札や石碑にも漢字と異なる文字が記されている。これらは俗に「神代文字」と称せられており、平安時代から江戸時代まで、新井白石や平田篤胤らを含む多くの学者からその存在を認められている。

こうした「神代文字」というものは、ほんとうに太古の日本列島で用いられていたのであろうか? この問に対しては、国文学者は「問題外である」と真っ向から否定している。その理由として、これらの「神代文字」はすべて五十音図に即していることがあげらている。それというのは、一九〇九年、橋本進吉博士が『万葉集』や『古事記』の文字使用法を調べたところ、当時はイ・エ・オの発音には甲乙の二種があり上代日本語の母音は八個でありキ・ケ・コ(ゴ)・ソ・(ゾ)・ト(ド)・ノ・ヒ・ミ・モ・ヨ・ロの表記は甲・乙二様に厳格に区別されていたということを発見したからである。このことは、七・八世紀の日本語には、五十音ではなく八十七音あったことを意味しており、そういう区別がされていない「神代文字」は発音の習慣が五母音に変わった平安時代以後に偽造されたものであるというわけである。

この説を説く人たちは、日本語はもともとウラル・アルタイ系の言語であり、かつては「母音調和」という法則に従っていたと考えている。しかし、この主張は、近年、若手の研究家によってあまり説得力のないものであると論じられるようになっている。それというのは、『万葉集』や『古事記』を書いた人は、ウラル・アルタイ系の発音の癖を有する百済系の渡来者から漢字を学び、文字の使い分けの法則を守っていたのに対して、列島住民はもとより、当時でも圧倒的多数の者は、五母音による五十音式の発音をしていたのであり、甲・乙二類の表記分けとは無縁の生活をしていたとするのが当たっているというのである。

つまり九世紀以後の日本語が何の抵抗もなく急速に五十音に変化していることは、一時は大陸の影響を受けていた上代日本語が、本来の五母音に収斂されていったのであると考えたほうが理解しやすいというのである。したがって、「神代文字」の存在を一笑に付して否定するための根拠は失われたことになる。それと同時に「古史・古伝」についても頭から偽造された文書として拒絶して済ますわけにはいかなくなってくる。

また、「神代文字」が後世の偽作であるとするためには、その作成の動機が何であったか説明できなくてはならない。今日のようにマス・メディアが存在しない時代に、人騒がせを目的として歴史を偽造しても意味がないはずである。第一、誰にも読めない書物など作っても何の効果もありはしない。もちろん、反体制的な氏族が秘密保持のために創作したと考えることはできるが、『上記』のように漢字が普及していた時代の豊後の権力者がわざわざ虚妄の文字を創作して史書を記述する必要などありはしない。やはり、その序文にあるように土地に伝えられていた実在の「豊国文字」を使用したと考えるほうが自然である。しかも、「豊国文字」の書体は山窩---同族の団結が強い放浪の民---が使用していた文字とよく似ている。そして、豊後には多くの山窩がいたから、ヤマトの王権から疎外されていた彼らだけが知っている歴史があり、それを大友氏が資料として採用していたのではないか。また、これらの二つの文字は『竹内文書』が伝える「越文字」とも酷似している。なお、「豊国文字」の「新体」は、「古史・古伝」の一つである『九鬼文書』に出てくる「春日文字」とも似ており、両者は同じ系統のものと考えられている。

ともあれ、「神代文字」を一概に偽作と決めつけ、民衆的な遺物にも記されているこれらの文字を、それが「古史古伝」で採用されているから偽作であるとするのは、本末転倒の論理でなかろうか? むしろ反対に、もし、「偽書」を創作しようとした物好きな人物がいたと仮定すると、彼らは民間に伝えられていた「神代文字」を利用した、というほうが現実性のある考え方であると思う。「神代文字」も「古史古伝」も共に偽作であるとして片づけ去ることは、真実の究明を放棄する怠慢な態度であるというより有害かつ危険な考え方ではなかろうか?

「異端から学ぶ古代史」沢田洋太郎・著

神代文字は存在したのか

神代文字がニセモノであるかどうかは、現代においても議論が大きく分かれている。しかしこの問題については、少なくても江戸時代から論争が繰り広げられてきた。まず新井白石が、出雲大社や熱田神宮に神代から伝わったとされる文字が残っていることを指摘。貝原益軒や伴信友は神代文字の存在は否定、これに対し復古神道の巨星、平田篤胤は全国にある神代文字を調べ、『神字日文伝』で対馬の阿比留家で発見された韓国のハングルに類似した文字とその草書体を「日文」と命名、これを真正の神字(神代文字)と認定した。

ここではこれ以上、この議論を展開するつもりはない。だが、伊勢神宮をはじめ日本各地の神社に「神代文字」と呼ばれる古い文字で書かれたお守りや札や奉納文、神璽が伝わっていることや、全国各地に神代文字と思われている文字が刻まれている巨石が残っていることからも、神代文字がまったく存在しなかったと結論付けるのは暴論である。

神代文字の証拠というわけではないが、与那国にはカイダ文字が、サンカ(山窩)と呼ばれる山の民にはサンカ文字が存在していた。おそらくアイヌにも独自の文字があったはずだ。神代文字を否定するということは、こうした文字すら否定しようととする動きに似ている。現在の教科書では古墳時代の日本に漢字以外の文字はなかったと教えているようだが、日本探検協会の高橋良典会長が『日本超古代文明のすべて』の中で指摘しているように、<FONT Color="red" >実は弥生時代の鏡や銅鐸、縄文時代の土面や釣手土器、文字石などに神代文字らしき文字がはっきりと刻まれている。

近代の歴史を見ても、征服者は被征服者の言語や文化を事実上抹殺、あるいは破壊してきた。南米大陸のインカ人や北米大陸のインディアン、オーストラリア大陸のアボリジニ、日本のアイヌなど例を挙げればきりがない。征服者にとって、被征服者が独自の文化を持ち続けることは都合が悪いからである。その都合の悪いことの一つは、歴史を被征服者の側から語られることだ。

漢字以外の文字がなかったなどとするのは、明らかにそうした意図が働いているように思われる。記紀が書かれた当時、時の征服者にとって原日本人による神代文字で書かれた歴史が存在していては、とにかく都合の悪かったことは容易に想像できる。神代文字はそうした観点からも今後、考察されていくべきだろう。

「竹内文書の謎を解く」布施泰和・著