おハシと神代文字 ねずさんの ひとりごと - FC2
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おハシと神代文字


神代文字


何日か前のテレビ番組で、聖徳太子以前の日本はたいへん遅れた国で、それまでの日本には箸(ハシ)もなく、食事といえば手づかみであり、文字もなかったと紹介されていたそうです。

冗談じゃあないです。
幸い(あえて幸いと書きます。観ていたらテレビを壊していたかもしれない)ボクはその番組を見ていなかったので、実際にその番組がどういう進行だったのかは知りません。

けれど一方的な説だけを並べて、故意に日本を貶めるような番組編成というのは、公のメディアとしていかがなものかと思います。
お箸(はし)や、文字については、異説があるのです。


まず、箸(ハシ)については、いまから約6000年前の縄文時代の遺跡から出土している遺物が「箸」であるとの説があります。
同様の形状のものを、支那では完全に「箸だ」と言い切っているのですが、何故か日本の考古学会では、全国各地で多数発掘されているこの棒状の物体を、ことごとく女性用の「簪(かんざし)」であるとしています。

なるほど長さ12cm前後のものは「簪(かんざし)」であろうとボクも納得します。
けれど長さ20cm前後ともなると、「簪(かんざし)」にしてはやや不自然です。

ところが日本の考古学会では、何故か、30cm以下の棒状のものは、ことごとくこれは「簪(かんざし)」であると分類し、これを「箸(はし)」だと分類したものはひとつもありません。
「ひとつも」です。

一方、三田村有純さんという東京芸大の教授が、こうしが明らかに「箸(はし)」と思われる縄文時代の約6000年前の遺物を「箸ではないか」と発表したら、すかさず支那から「6500年前」のものが発見されたと発表があったといいます。

箸という道具は、どの国で生まれようがさして重要ではないようにも思うけれど、常識で考えて、まず、縄文時代の遺跡からは、土器、漆器、木製品、籾(もみ)や種など多数の遺物が発見されており、すくなくとも縄文中期以降は、食べ物の煮炊きが、ごく一般に行われていたことが明らかになっています。
つまり「熱いもの」を食べていたのです。

「熱いもの」を食べるときは、人間は何かしらの道具を使います。
でなければ手がヤケドするからです。

その道具は、日本の考古学会の定説によると「石匙(せきひ=石で出来たスプーン)」だという。
冗談じゃないです。そんなもので食事したら、クチビルが裂けてしまう。
「木匙(もくひ)」を使ったという説もあります。
木でできた匙(さじ=スプーン)」です。
これも多数発掘されています。
なるほどこれなら、食事はしやすいかもしれない。
けれど、正直食べにくそうです。大きくて口にはいらない。
むしろ食事を「作る時の道具」と考えた方が、普通に納得できます。

そもそも「ハシ」という言葉からして、日本に漢字以前からある大和言葉です。
大和言葉で「ハ」は、物の両端、物と物との境目の意味です。
「シ」は、物をつなぎ止める、固定する、です。
この二つの言葉が組み合わさって「物と物をつなぎ止める」、ハシとなったわけです。

ですから向うとこちらの二つの世界をつなぐ橋渡しの役目を持つものが「はし」で、たとえば天地をつなぐのが「柱(はしら)」、向こうとこちらをつなぐのが「橋(はし)」です。
そして食べ物と体をつなぐものだから「箸(はし)」となります。

漢字の「箸」は、支那語読みでは「zhu(ちゅ)」です。「hashi」ではない。
そして支那では、「zhu(ちゅ)」は「住(zhu)」に通じ、「住」は固定するという意味で縁起が悪いからと、いまでは「箸」という漢字は使わず、竹かんむりに「快い」と書いて「筷(zhu)」と表記しています。いまの言葉だと、お箸は、「筷子(kuai zi)」です。

ではその箸が、日本でいつから使われていたのかというと、古事記にその記載があります。
スサノオのミコトが出雲に降り立ったとき、「箸」が川上から流れてきたとあります。
「此時箸從其河流下」です。

そしてこれを見たスサノオのミコトが、川の上流に向かい、そこでヤマタノオロチを退治しクシナダヒメを娶ったと物語が続いています。
ということは、神代の昔に、すでに日本で箸は使われていた、ということです。

もっとも古事記は和銅5(712)年に献上された書なので、これでは証拠にならないのだと言われてしまうかもしれません。

しかしいまから1万6500年前という途方もない昔に既に世界最古の土器を使い(大平山元1遺跡)、1万2600年前には漆を栽培し(鳥浜貝塚)、9000年前には漆塗り製品を使っていて(垣ノ島B遺跡)、縄文時代から弥生時代にかけて、あれだけ様々な種類の食器を用いていた日本人が、実際に食べる時だけ「てづかみ」だったということの方が、論として無理があります。

日本では古墳時代頃まで「箸(はし)」は使われていなかったという説が論拠としているのは、魏志倭人伝です。

魏志倭人伝は、西暦280年から297年の間に書かれたとされる書物です。
ここに邪馬台国の記述があり、そこには倭国(邪馬台国)の習慣として、
「食飲用籩豆手食」という文があります。

直訳すると、「(倭国では)飲んだり食べたりする時は、竹籠や高坏を使い、手で食べる」となっています。

ここでいう「籩豆(へんとう)」の「籩(へん)」は、竹を細かく編んだ篭(かご)のような食器です。「豆(とう)」は木をくりぬいて作った食器です。

籩豆(へんとう)
籩豆


食器だけが立派な高坏で、食べるのは手づかみだというのは、妙ちきりんな話なのだけれど、たしかにそこにはそう書いてある。

ただ、「籩(へん)」は「くだもの」を盛りつける食器であり、「豆(とう)」は、肉などを盛りつける食器なのだそうで、それなら、その部分については納得です。
なぜならいまだって、みかんや栗などの果物や、フライドチキンなどを食べるときは、手づかみで食べるのが普通だからです。

おそらく、支那からの渡来人をもてなすために、当時の日本人は、果物や肉などを籩豆(へんとう)や高坏(たかつき)に盛りつけて歓迎したのでしょう。
けれど、それがそのまま当時の日本人の食文化だったと考えることには、いささか無理があります。

なぜなら、魏志倭人伝の記述には、縄文時代や弥生時代の遺跡から多数出土している「椀(わん)」についての記述がないからです。

数々発掘されている食器や、遺物から、縄文人たちはいわゆる「鍋物」が大好きで、日常的に鍋料理が行われていたことが明らかですし、ご飯も、すでに8000年前の遺跡から大量の籾殻が見つかっているなど、当時の人々が「煮炊き」して食事をとっていたことも明らかとなっています。

普通に考えて「熱いもの」を食べるのに、これを「てづかみ」で食べるとは考えにくい。
むしろ熱い食べ物は、ご飯は椀に、鍋物は大きな高坏などに盛って食べていたと考えるのが普通です。

そしてその「椀」や「高坏」についての記述が魏志倭人伝にはない。
加えて、では古代の日本人が、その「熱い」ご飯や鍋ものなどをどうやって食べていたかが不思議です。

ならば、女性用の簪(かんざし)にしては長過ぎる数々の物体(なかには漆塗りの高級品まである)を「お箸」と認定したほうが、はるかに自然といえるのではないでしょうか。

実はこのことを明確に指摘した学者がいます。
東京芸術大学の三田村有純教授で、教授は自書の「お箸の秘密」で、このことをはっきりと指摘しています。
面白いのは、この本が出た時の支那の反応で、三田村教授が6000年前の棒状の漆器が日本最古の箸なのではないかと指摘したら、すかさず支那の学者が「支那で6500年前の箸が出土した」と発表したとのことです。

愛国心は結構な話だけれど、事実は事実として素直に受け入れるべきです。

つぎに「文字」についてです。
番組では「日本には漢字が渡来するまでは文字がなかった」としていたのだそうです。

けれど、これもひとつの説にすぎません。
ヲシテ文字に代表される神代文字は、日本に古くから伝わっています。

そもそも文字というのは、通説によれば、いまから約5500年前のいまのクウェートのあたりにあった古代バビロニアの「シュメール文字」が世界最古といわれています。

けれど、昭和48年に伊勢神宮が神宮文庫資料として公開した99点の資料は、いずれも神代文字による奉納がなされています。
それが今日の記事の冒頭の写真です。
そしてその文字は、いまでも神社のお守りやお札の中味として用いられ、伝えられています。
お札などにある神代文字
お札などにある神代文字


この神代文字が「いつからつかわれていたのか」は、不明です。
ただ、漢字が輸入されて以降、日本人はその漢字をひらがなやカタカナに簡略化したり、支那読みとはまったく異なる訓読みを発明したりしているわけです。
そしてひらがなやカタカナにある五十音は、そのまま神代文字と同じ構造になっているという点は、注意を要します。

つまり日本には、712年に「古事記」が編纂されるまで「文字がなかった」のではなくて、それまであった神代文字ではなく、漢字を使った表記をはじめたのがその頃のことである、と考えた方が、物事の辻褄があうのです。

そしてさらに大切なことは、いつから文字が使われたか、世界最古の文字はどれか、などといった興味本位の事柄ではなくて、そこに何が書かれているのかが大事なのだと思います。
なぜなら、それが「歴史を学ぶ」ことだと思うからです。

箸についていえば、日本語で「ハシ」といえば、端と端をつなぐもの、つまり「ハシ」は、食べ物の命と自分の体をつなぐもの、植物や動物の命を我が体内に取り入れることという意味があるということ。
そういう思想というか思いを、言葉のなかに込めていたのが古代の日本人であったということ。
そういうことの方がよっぽど私たちが学ばなければならない大切なことのように思えるのです。

文字も同じです。五十音というものの中に込められた思想を理解する。
たとえばヲシテ文字では、「あいうえお」は、
あ=気
い=風
う=炎
え=水
お=地
の意味を充てられていたのだとか。
そしての気、風、炎、水、地を、人が生きる上でとても大切なものと考えた。そういう思想を縄文の昔から日本人は持っていたということ。
そういうことが大切なのではないかと思うのです。

いずれにせよ、教条主義的な決めつけからはいるのは、左傾化した学者や左翼思想家の特徴です。
私たちは、事実を事実として素直に考えていく、そういう学問の原点に還るべきときがきている。
そんな気がします。

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