キャロル ジョニー大倉 様    死去 | 無職で貧乏な人生も楽しいお? 

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キャロル ジョニー大倉 様    死去 62歳



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川崎市立川崎高等学校 中退。1971年 矢沢永吉 らとキャロル を結成し、当初は内田裕也 へプロデュースの依頼を検討したものの結局はミッキー・カーチス のプロデュースでデビュー。キャロルでは、ギターと作詞を担当。矢沢永吉と共に曲作りのコンビを組んで、1973年 には「ファンキー・モンキー・ベイビー 」などの大ヒット曲を生み出した。はっぴいえんど 等が日本語をロックの音楽にのせるために奮闘していた時代に、堂々と日本語と英語をミックスした曲を作詞した最初期の人である。1975年 にキャロルによる共著『暴力青春』で在日朝鮮人 二世であることをカミングアウト。未だタブーの根強かった当時の芸能界に一石を投じた。

1987年 10月、富山市 のホテル7階のベランダの手摺りで懸垂中転落し、全治6か月の重傷を負った。ホテルの部屋なので筋トレの器具が無かったため、ベランダの手摺りを利用したらしいが、2001年 に放送が始まったTBS 系列の番組『サンデージャポン 』にレポーターとして出演した時には、「不死身のロックンロールジャーナリスト」と自称した。また2004年 には窪塚洋介 の転落事故に触れ、「彼も僕も(自殺)未遂じゃない。自分もキャロル時代は何かを埋める為に奇行に走っていた」と理解を示した。「あかひげ薬局 」の男性イメージキャラクターも務めていた。

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