ボブ・ディランがMusiCares Person Of The Yearで40分に渡って語った伝説のスピーチの中から、その一部訳を


●ジミ・ヘンドリックスについて
「ジミ・ヘンドリックスを忘れる訳にはいかない。わたしがジミの演奏を実際に観たのは、彼がジミー・ジェームズ・アンド・ザ・ブルー・フレームズとかいう名前のバンドにいた頃だった。ジミは歌ってすらいなかった。ただのギタリストだったんだ。彼は誰も全く注目していなかったようなわたしの些細な曲を上部成層圏の隅まで轟かせて、どれも名曲にしてくれた。ジミにも感謝しなければ。彼がここにいてくれたらと思う」

●ジョニー・キャッシュについて
「ジョニー・キャッシュもまた、初期に僕の曲をいくつか録音してくれた。彼に出会ったのは’63年辺り、彼が骨と皮ばかりに痩せこけていた頃だった。彼は長く過酷な道を行っていたけれど、わたしにとってはヒーローだった。彼の曲をたくさん聴いて育ってきたからね。自分の曲よりもよく知っていた。「ビッグ・リヴァー」、「アイ・ウォーク・ザ・ライン」、「ハウ・ハイズ・ザ・ウォーター・ママ」とかね。「イッツ・オールライト・マ(アイム・オンリー・ブリーディング)」は、あの曲が頭の中で鳴り響く中で書いたんだ」

「ジョニーは気性の激しい人だった。わたしがエレクトリック・ミュージックをやっていることを批判されているのを知った彼は、雑誌に「黙ってアイツを歌わせろ」と、彼らを叱る手紙を投稿したんだ。ジョニー・キャッシュの生きていたハードコアな南部のドラマの世界では、そんなものは存在しなかった。誰も誰かに何を歌えとか、何を歌うなとか、指図したことなんてなかったんだ」

●ザ・バーズ、ザ・タートルズ、ソニー&シェールなどについて
「彼らはわたしの曲をトップ10ヒットにしてくれたけれど、わたしはポップス・ソングライターではなかった。なりたいと思ったことすらなかった。でもそういうことになったのはよかったよ。彼らのヴァージョンはコマーシャルみたいだったけど、わたしは特に気に留めなかかった。50年経ったら、わたしの曲がコマーシャルに使われることになったんだから。それも良かったね。そういうことになってよかった」

●ジョーン・バエズについて
「今も昔も彼女はフォーク・ミュージックの女王だ」

●ディランはまた、自身の歌声を酷評する評論家たちを揶揄し
「彼らが同じことをレナード・コーエンに言わないのは何でだろうね?」とコメントした。
「どうしてわたしは特別扱いなんだろうね?」