うつ病という病気は無い!?
もしくは、統合失調症と言う病気はない!?

ある意味、NOだが、ある意味、YESである。
これを説明するときには言葉足らずだと誤解を生じるので敢えて書いて置こうと思う。

まず、他の病気を考えてみよう。
まずインフルエンザという病気を考えてみる。
インフルエンザには、その原因となるインフルエンザウィルスがあり(原因)、それに感染することによって発症する高熱、咳など様々な症状を呈する(症状)。インフルエンザウィルスに感染しているかどうかがその病気であるか否かの基準である。
糖尿病という病気を考えてみると、糖尿病と言うのは継続的な高血糖とそれに伴う様々な合併症、もしくは血糖値を上手くコントロールできない状態を指します(糖尿病の症状)。そうした症状のうち、血糖値やヘモグロビンA1c値が一定の基準を超えている場合を糖尿病と呼んでいる(糖尿病の基準)。
糖尿病は病因は問わない。

そこで、精神科の病気を考えてみよう。
かつてのうつ病は、心因性、内因性、身体病性かどうかを区別しようとしていた。つまり病因を問うていたのです。
ちょっと乱暴だが、大きく定義すると次のようになる。

心因性-主にストレスを原因とする
内因性-ストレスは発症の契機となるがそこには遺伝的な体質や脳の機能障害があるとされるもの
身体病性-他の病気の合併症状とされるもの

さらにうつ病の病理は、

主に中年以降の女性に発症しやすい
感情の喪失(喜びも悲しみも感じない)
何も出来ない
原因が不明である
3か月から半年で基本的に治癒する

といった特徴が定義されていた。
原因が見つからないことが、かつてのうつ病の病理であったのだ。
うつ病に効果があるとされる抗うつ薬は、この病相を呈する患者だけに劇的に効いたのである。
心因性(ノイローゼなど)には効果がないとわかっていた。
これがかつてのうつ病の病理である。

しかし、精神医学は、こうしたかつてのうつ病病理を捨て、DSMやICDといった新しい診断基準を作成し、このかつてのうつ病の病理を捨てた。
そして症状の程度により、軽、中、重症と診断し、軽症にはあまり抗うつ薬は効かないなどとしている。
薬が効果があるのは、原因が不明のうつ症状という知見を放棄したのである。
(ついでにほとんどの患者が半年以内に治癒するという知見も放棄した)

患者はよく、精神科医が話を聞いてくれないとか不平を言っているが、それもそのはずで、現在のうつ病診断は、症状だけ訊けばそれがすべてである。
それで事足りるのである。この診断の最大の欠点は、薬が有効かどうかの基準がないことである。

現代のうつ病というのは、原因を問わず、ただ症状だけで、判断されているということだ。
原因を問わず、症状だけ見て病気と定義することを非難するのであれば、糖尿病も同じだ。
糖尿と言う症状を病気と呼んでいるわけだが、症状を単純に病気と呼んでいるのはうつ病も同じ。
そのことで、うつ病という病気がないというのなら、糖尿病という病気もないということになる。
しかし、糖尿病には明らかな生理的な症状があり、生物学的な基準が存在している。その基準を超えたものを糖尿病と呼んでいるのだ。
インエフルエンザ以外の風邪も同じですね。

精神医学界は、この病気に対する投薬の根拠を示すために、様々な仮説を唱えたが、半世紀以上たってもその原因も発症メカニズムも、証明することは出来ていない。うつ病が病気で無いとする主張の最大の根拠は、この生物学的な基準が存在しないこと(検査方法がないこと)である。
うつ病という病気がないというより、うつ病という診断が治療対象とする疾病であることの診断方法がないということである。

インフルエンザ-原因、症状のはっきりした病気
糖尿病-原因は問わないが、生物学的な基準をこえた症状を呈するものを病気とした
うつ病-原因は問わず、主観的な症状をカウントすることにより病気とした

私は、かつてのブロイラーが統合失調症の病理を定義したように、原因が分からないとしても、丁寧に途方もない時間をかけて確立した精神疾患の病理まで否定する気はない。そして実際に原因不明であるが、頭の中で言葉が聞こえたり、幻聴、幻視のある患者は確実に存在しているし、私は知らないが、楽しくも悲しくもないといった感情を喪失した人がいるのも事実だろう。だが最近のろくに社会要因や心理要因を時間をかけて考慮せずいきなり症状から作り出される病気の数々(新型うつ病だの発達障害など)は病気ではないと思っている。何故ならきちんとした病理が定義されていないのだ。

だから、批評するうえで、私はうつ病という病気は無いなどという表現はしない。
だが、現在のうつ病は、かつてのうつ病ではない。現在の精神医学の言う『うつ病』の定義はおかしいと断言できる。
北里大学の宮岡教授も言っているように、実質的に唯一の治療手段である薬物治療が有効かどうかを判断するにはかつてのうつ病の定義の方が有用である。

だが精神医学の病気の定義に関する問題は、序の口に過ぎない。
何故なら、多くの投薬は、こうした欠点だらけの診断さえまともに行われておらず、別の理由で投薬されているのだ。

鎮静(拘束)目的の抗精神病薬
睡眠薬替わりの抗精神病薬
行動制限のための覚醒剤(コンサータ、リタリン)

これらは明らかに、本人の病気を治す治療行為ではない。

さらには、拡大された定義により、大多数の薬の必要ない人々が、薬によって薬剤性の病気にされている。
薬剤性の精神疾患、それこそ、向精神薬による薬物中毒という立派な病気だ。
これは、原因も症状も明確に存在する立派な病気だ。
それを否認して、いい加減な病気を発明・推進し、根拠なき投薬をしているのだから、情状酌量の余地はない。

精神科医にとって、精神科が普通の医療になることは悲願であった。
1950年代に精神医療界は、クロルプロマジンという彼らにとって初めて治療薬と呼べそうなものを手に入れた。
その時の様子はこちら
精神医療が、ここまで薬物治療にこだわるのは、金とやっと手に入れた(と勘違いした)普通の医療としての治療手段を手放したくないからだろう。

現代の精神医学は、教育の段階から間違っているのだから手におえない。