4月9日にシェアした以下の記事には間違いがありましたm(_ _ )m

こちらをお読み下さい
  ↓
「日本は太平洋を核の捨て場にしようとした」


Facebookより転載・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

天皇皇后の訪問でにわかにパラオ「ブーム」が起こっています。
日本の植民地支配に感謝して日の丸をふる親日国家とマスコミは描いています。 
これはとんでもない欺瞞ですけれど、もっと欺瞞的なことがあります。 

日本が援助をエサに、パラオに「核のゴミ」を捨てようとしたことです。 
原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のゴミ」の最終処分場の場所が決まっていないことは周知の通りです。 

反対の声が大きすぎて日本国内で「核のゴミ」捨て場を建設することが出来ないことに頭を痛めていた日本政府は、パラオに目を向けました。 

1980年代中期、増え続ける「核のゴミ」を捨てようと日本は、アメリカからの独立が決まっていたパラオに打診しました。巨額の借款や援助、ODAを提示しました。その時の日本の首相は原発推進の中曽根康弘でした。 

中曽根は言いました。 
「高レベル放射性廃棄物は厳重に保管していますので、
 海に漏れることは断じてありません。絶対安全です」 

パラオは問いました。 
「絶対安全と言うなら、パラオではなく東京湾に捨てれば良いではありませんか?
 なぜ、遠く離れたパラオに捨てるのですか?」 

中曽根は沈黙しました。 

「核のゴミ」をパラオに捨てる計画は、世界じゅうから激しい非難を浴びました。
撤回せざると得ませんでした。 

このことから、パラオは核兵器の持ち込みと通過、放射性廃棄物の投棄を厳禁する非核憲法を制定しました。この非核憲法はアメリカの策動で葬り去られましたけれど、
「核のゴミ」を含む廃棄物を海に捨てることを禁じるロンドン条約につながりました。

世界自然遺産に指定されているパラオの海を、「核のゴミ捨て場」に日本がしようとしたことを、日本のマスコミは一切伝えていません。

    ☆

天皇皇后の訪問で、親日だ、楽園だ、ペリリュー島の戦いだ、パラオがマスコミに登場しています。しかし、マスコミはある重大なことを意図的に報じていません。

先進的な非核憲法が潰されたことです。

太平洋戦争後、信託統治の名の下にアメリカの植民地支配を受けたパラオは、人々の粘り強い独立運動により、独立をすることができました。その時パラオは、一切の核兵器の使用と持ち込みを厳禁する「非核憲法」を制定しました。

これが施行されると、アメリカは広大な太平洋の海で核兵器を搭載した艦船の入港と航行ができなくなります。それで、恫喝と裏工作を行い、非核憲法を潰しました。

今、核兵器を搭載したアメリカ軍の艦船は自由にパラオの領海を航行しています。

非核憲法はいかにして葬り去られたかが、以下に書いてあります。

「パラオ再訪:たたかいは終わっていない」
________________________________転載終わり

報道はないが知る人ぞ知る話...
日本は恥ずかしいことしてきた
そのツケが回ってきたんだなと思うんです

言論の自由や出版の自由があるうちに
日本人もっと目覚めなくては 取り返しのつかないことになるかと



こちらは京都新聞 パラオを差別してた日本
本土民が一等国民 朝鮮沖縄二等国民 パラオ現地民三等国民 としてた..




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4月10日以下追記

核の捨て場にしようとしたことは知ってたけど
詳しいことを知らずにシェアしてしまいました 申し訳ない

太平洋の国々を見下した行動をとった日本 最低
でも今またモンゴルに核廃棄を狙っている日本....

パラオの人々が非核憲法を制定しようとした 晴らしい
つぶしたアメリカ 最低