現代に生かす原始仏教の思想 | 真実は人を幸福にするか?

真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ

本日は、風邪をひいている中、凄まじい荒行を敢行した。
原始仏教の解説音声ファイルの収録である。
原始仏典の、本当の要所については語った事もあったが、
それらが入門編とするならば、今回は実践編。
当然、内容も長くなる。
長くて、恐らく最後まで眠らずに聞き通せる者は皆無であろうと思うが、
まあ、一往、UPしてみた。

ダウンロードは、音声ファイルであるmp3と、印刷できるpdfがあるので、二つともダウンロードして欲しい。
金は一切、かからない。
かけるほどの作りでもない。
だが、内容は色んな意味でインパクトあると思うので、聞いてみて!



ダウンロード↓

現代に生かす原始仏教の思想.mp3
http://firestorage.com/download/58da30a194cb32dbca019e357748db1a3b224254

現代に生かす原始仏教の思想.pdf
http://firestorage.jp/download/521f58c1943c1e52f150300abb1eee69190d1c8a



「宝彩有菜のスッタニパータ」より
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm


59 世の中の遊戯や娯楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀(さい)の角(つの)のようにただ独り歩め。
(※サイは鼻に一本、長い角があり、ジャングルではサイの姿は草に隠れて見えず、角だけが一本、移動して見える)

78 身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。

102 「おびただしい富あり、黄金あり、食物ある人が、ひとりおいしい物を食べるならば、これは破滅への門である。」

184 「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみをを超え、知慧によって全く清らかとなる。」
(※1146に「信仰を捨て去れ」とあるのは、邪教への信仰である)

204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。
(※ニルヴァーナとは、悟りの世界の事)

267 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎを体得すること、──これがこよなき幸せである。

275 もしもかれが荒々しいことばを語り、他人を苦しめ悩ますことを好み、獣(のごとく)であるならば、その人の生活はさらに悪いものとなり、自分の塵汚れを増す。

276 争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は、目ざめた人(ブッダ)の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。

311 昔は、欲と飢えと老いという三つの病いがあっただけであった。ところが諸々の家畜を祀りのために殺したので、九十八種の病いが起った。

331 起てよ、座れ。眠って汝らに何の益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。

397 会堂にいても、団体のうちにいても、
何人も他人に向かって偽りを言ってはならぬ。
また他人をして偽りを言わせてもならぬ。
また他人が偽りを語るのを容認してはならぬ。
すべて虚偽を語ることを避けよ。

400 (1)生きものを害してはならぬ。(2)与えられないものを取ってはならぬ。(3)嘘をついてはならぬ。(4)酒を飲んではならぬ。(5)婬事たる不浄の行いをやめよ。(6)夜に時ならぬ食事をしてはならぬ。

630 敵意ある者どもの間にあって敵意なく、暴力を用いる者どもの間にあって心おだやかに、執著する者どもの間にあって執著しない人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。
(※バラモンとは、当時のインドにおける僧侶階級。釈迦は世襲による階級を否定した)

657 人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。

663 種々なる貪欲(どんよく)にふける(むさぼる)者は、ことばで他人をそしる。──かれ自身は、信仰心なく、ものおしみして、不親切で、けちで、やたらにかげ口を言うのだが。

704 婬欲(いんよく)のことがらを離れ、さまざまの愛欲をすてて、弱いものでも、強いものでも、諸々の生きものに対して敵対することなく、愛著(あいちゃく)することもない。

705 『かれもわたしと同様であり、わたしもかれと同様である』と思って、わがみに引きくらべて、(生きるものを)殺してはならなぬ。また他人をして殺させてはならない。

707 腹をへらして、食物を節し、小欲であって、貪(むさぼ)ることなかれ。かれは貪り食う欲望に厭(あ)きて、無欲であり、安らぎに帰している。

742 執著(しゅうちゃく)によって生存が起る。生存せる者は苦しみを受ける。生れた者は死ぬ。これが苦しみの起る原因である。

762 他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。解(げ)し難き真理を見よ。無知なる人々はここに迷っている。

825 かれらは論議を欲し、集会に突入し、相互に他人を<愚者である>と烙印し、他人(師など)をかさに着て、論争を交わす。──みずから真理に達したものであると称しながら、自分が称賛されるようにと望んでいる。

968 怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克つべきである。

972 眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

1123 師は答えた、
「ビンギヤよ。ひとびとは妄執(もうしゅう)におちいって苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それゆえに、ビンギヤよ、そなたはおこたることなく励み、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」
(※仏教では、輪廻転生から解き放たれる事を目的としている。“生存にもどらないようにせよ”というのはスッタニパータでは度々出る文言であり、二度と生まれ変わるな、という意味である)