節分・豆まき・鬼 | 獨と玖人の舌先三寸

節分・豆まき・鬼

おもしろい所からリクいただきました~(^人^)あざーす!


節分とは、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことです。“季節を分ける”ことを意味しています。
立春(毎年2月4日ごろ)の前日を特別に指すようになったのは、江戸時代以降です。

季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊祓いが執り行われます。
節分の行事は、宮中での年中行事です。
彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾っています(“延喜式(えんぎしき)”より)。
慶雲3(706)年、平安時代頃から行われている“追儺(ついな)”から生まれ、始められたようです(“続日本紀”より)。
室町時代、使用されていた“桃の枝”への信仰は失せ、炒った豆で鬼を追い払う行事へと変化しました。
文安4(1447)年、「鬼外福内」を唱えたと記録があります(“臥雲日件録(瑞渓周鳳)”より。)
庶民に伝播した頃から、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きを行うようになりました。

※追儺(ついな)――
大晦日(12月30日 (旧暦))の宮中の年中行事で、平安時代の初期頃から行われている鬼払いの儀式です。
“鬼やらい(鬼遣らい、鬼儺)”、“儺(な)やらい”とも呼ばれます。
追儺はもとは中国の行事で、宮廷の年中行事となり、現在の節分の元となった行事です。


豆を撒き、撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べます。自分の年の数より1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないという慣わしが所によりあるようです。
豆は“魔滅”に通じ、鬼に豆をぶつけ邪気を追い払い、1年の無病息災を願うという行いです。
寺社が邪気払いに行った豆打ちの儀式が起源とされており、室町時代の書物の記載が最も古いことから、この時代以降の風習であると考えられています。

お祓いし、炒られた大豆 (炒り豆)を使用します。節分は旧年の厄災を負って祓い捨てるものであるため、撒いた豆から芽が出ては不都合なのです。
北日本、南九州では 落花生を撒く家庭があります(大豆よりも回収し易く、殻ごと撒くため地面に落ちても食べられる)。
中世、大豆は五穀の中でも収穫量が多く、鬼を追い払う時にぶつかって立てる音や、粒の大きさが適当だったようです。

豆を撒く際に掛け声をかけます。掛け声は通常「鬼は外、福は内」です。
鬼を祭神または神の使いとしている、ならびに方位避けの寺社や地域では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としています。
神棚に供えてから撒く地方もあります。
父親が鬼役を演じて豆撒きを盛り上げますが、元来は家長たる父親あるいは年男が豆を撒き、鬼を追い払うのが慣習です。
関取を招いて(醜→しこ→四股を踏む事により、凶悪な鬼を踏みつけ、鎮める)豆撒きをする寺社があります。


保育士方々は、園児に「どうしてまめをまくの?」と訊かれた時、「お腹の中にいる泣き虫鬼、意地悪鬼、怒りんぼう鬼をやっつけるためだよ~。鬼は裸ん坊だから、豆が当たると痛いよ~といって逃げて行くんだ」と教えているそうです。
大人も同じモノが……いやもっとタチの悪いモノが、腹の中にいますよねーww 退治できますか?w

※関連「初詣」→ http://ameblo.jp/emeth-spriggan/entry-11153729825.html


※鬼――
もとは冬の寒気、疫病を指す言葉だったようです。
人に厄(わざわい。災。禍。)をもたらす目に見えない隠れた者が隠(おん→おに)と呼ばれました。
中国では、生者の陽に対して死者を陰とし、死者の霊を鬼と言いました(先祖の霊を鬼として崇拝したのです)。
日本では、陰陽五行の影響で、鬼は恐ろしいもの、人を食う怪物でした。また、仏教の影響で、餓鬼から“青鬼・赤鬼”が生まれました。
鬼は、牛のような角、虎のような牙、虎の皮のふんどしを付けた姿で描かれますが、これは“鬼門”、鬼の住む北東が十二支の丑寅(牛・虎)にあたったからと伝わります。
※関連「十二支と時刻(子午、おやつ、大禍時、丑三つ 他)」→ http://ameblo.jp/emeth-spriggan/entry-10990268023.html





※節分の日付は、現在は毎年2月3日ですが、これは1985年から2024年頃までに限ったことで、常にそうではないのです。
1984年までは、4年に1度の閏年に2月4日でした。2025年から(2021年からになる可能性あり)、閏年の翌年は2月2日になります。
節分の日付は数十年のスケールで徐々に前倒しになってくるのですが、4で割り切れても閏年とならない1900年、2100年、2200年……の翌年に1日遅れて帳消しとなります。

節分は立春の前日で、立春は太陽黄経が315度となる日です。このように、間接的に天体の運行に基づいているので、日付は年によって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできません。