鎌倉は三方を丘陵に囲まれ、前面は海、天険の要害とされた。
丘陵地には朝比奈切通しなど、七つの切通しが開削され、これが鎌倉七口。
鎌倉七口の一つ、朝比奈切通し、開削は1240年から、800年前の古道の姿が今に残る。
守るに易く、攻めるに難い、鎌倉七口を防備すれば、鎌倉は安全と考えられていた。
源頼朝が設計した武士の都、鎌倉。
ところが歴史で習ったように、一味散々 鎌倉幕府(いちみさんざん=1333年)、新田義貞は稲村ケ崎の海側を回り込んで、鎌倉を攻め落としてしまった。
なんだあ、源頼朝の鎌倉防衛プラン、ダメじゃん。と軽く思っていたけれど。。。
尾瀬ヶ原2000年間気温推計に照らしてみると、ちょっとビックリなことが。
鎌倉幕府の滅んだ頃は、二世紀にわたる寒冷化が進み、その極小値を付けている。
温暖化による縄文海進があったように、こんどは逆のことが起こって、寒冷化による鎌倉海退があったようだ。
稲村ケ崎は、海に突き出した丘陵地形で、頼朝が鎌倉に幕府を開いたころは、陸上交通を遮断する天険の要害たりえた。
ところが、寒冷化――>海退――>稲村ケ崎の干潟化で、いくら鎌倉七口を守っても、守り切れない鎌倉に変わっていた。
実際に、新田義貞はその弱点を突いた。
鎌倉時代の寒冷化は、作物の不作など、幕府の弱体化にじわじわ寄与したと思われる。
加えて、寒冷化は幕府滅亡のもっとダイレクトな原因をも造りだしていたようです。
過去2000年間の気温変動グラフは、以下の書籍、『気候の変化が言葉をかえた』にあります。
私の好きな本の一つで、おすすめしたいと思います。
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