今から約10年前
僕の手元に68円しかなかった
僕の持っている現金はそれだけだった
占いはすでにできていた
今と変わらぬくらい
当時の方がもっととがっていたので
今よりもズバズバ言っていたかもしれない
言葉を選んでいなかった分
雑な所はあるけれど
制度は今と変わらなかったが
「当たる」という部分だけなら今より凄かったかもしれない
知り合いや周囲の人を占っていた
特に業界人と繋がる機会が多く
飲み会に呼ばれたり
食事会に呼ばれたり
移動手段はいつも自転車だった
都内のほとんどは自転車で移動して
ラジオの収録も自転車で
原稿を書いてもネットがなかったのでUSBに入れて
編集所まで自転車でいき
その場で占いをしていた
手元に100円すらなかった
それでも占いではお金を頂かない
そう決めて生きていた
本当に困った
この先どうやって生きなければならないのか
そう考えた
多くの人が占いでお金を貰えばいい
そう言ってくれた
それも考えたが
何か他の方法や仕事があれば・・・
自分は運が良かった
「急ですけど、この原稿書けます?」
そんな依頼がいくつか来た
それまでいろいろな場所で占った人たちが仕事を作ってくれた
HPでのコラムや占いの原稿の連載を作ってくれたり
パソコンも買えなくて何年も貸してもらった
ネットを引くにも数年掛かった
自分の人生は終わった
もう自分のために生きることをやめよう
他人のために誰かに喜んでもらう事がいい
そう決めた
それがいいと
先の事を考えるよりも自分の事を考える事もやめて
他人に求められる事と
他の人が喜んでくれる事だけを考えて
己の人生は終わったと
そう覚悟して
ただただ他人のために明るく楽しく生きた
「なぜそれほど無償で占うのですか?」
そう聞かれたり
「どうやって生活しているんですか?」
「お金はあります。原稿で食べています」
そう言っていた「大丈夫です。余裕があります。楽しいから。面白いから」
大ウソだった
全くお金はなかった。原稿の仕事も微々たるものだった
10日働いて1,2万になるのがやっと
余裕でもなく大丈夫でもなかった
「楽しいのと面白いだけ」は本当だった
楽しく面白く生きようとは思っていたから
占いが沢山の人に合わせてくれた
占いがあったから視野が広がった
占いがあったから喜ばれた
占いがあるから求められた
ご飯はいろいろな人がご馳走してくれた
生きているのではなく生かされているのだと
そう思った
そう思わなければならないくらい
自分は生かされているのだと
自分の人生は終わった
そう思ったから
どう生きるかを
他人に喜んでもらえる事だけ考えて
今がある
感謝してもしきれない
恩を返そうとしても返しきれない人が一杯いる
まだまだやらなくてはならない事が沢山ある
感謝と恩を忘れなように日々生きるだけ
それでいいし
それだけでいいと思う
自分で選んだ道でもない
流れの中で生きているだけ
自分はいらない
自分の幸せも自分の満足も必要ない
占い通りに忠実に生きること
求められる事を大切にすること
完璧にはできないけれど
大切な事は忘れないように生きないといけない
沢山の人に助けてもらって生かしてもらっているから
ただ
そう思っただけ
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