今年の流行語大賞特別賞は、斎藤佑樹(早稲田大学野球部投手・主将)の六大学野球優勝祝賀会でのスピーチ。
「早稲田大学野球部の主将をしております、斎藤佑樹です。22歳です。」
(はははw 知ってるぞー。)
『斎藤佑樹は何かを持っている』と言われてきました。」
(何だぁ? トートツに。)
「本当にいろんな人から『斎藤は何か持ってる』と言われてきました。」
(よぉぉ~、日本一! ははは、イタいやつw)
「いろんな人からそういう言葉を頂いて、自分なりにその何かとは何か、考えて来ました。」
(ほぉぉ~!?)
「今日、その何かとは何か、自分が何を持っているのか、確信しました。」
(何だ、何だ?)
「それは仲間です。斎藤がずっと持ってるものは『仲間』です。
(うん?)
「チャンスを回してくれた仲間がいて、応援してくれる仲間がいて、慶応大学という素晴らしいライバルがいて、ここまで成長出来たと思います。ここに集まっているすべての仲間に感謝します。ありがとうございました。」
(やんや、やんやの大喝采)

確かに感動的スピーチである。涙腺が極端にユルいワタクシはやっぱり泣いてしまった。なぜ感動的か。感動を生み出す「しかけ」は、スピーチがなされた会場の雰囲気を読み切ったスピーチの組み立てにあった。


優勝の美酒に酔う仲間・関係者、ごくありきたりの優勝スピーチを拾いに来た報道陣を前にして、
「斎藤佑樹です」
と、まず大ボケの前フリ成功。会場の多くの人間の注目を集め、また個々の人間の中で注目度(脳への血流量)を高めた上で、
『斎藤佑樹は何かを持っている』
という『イタい系』・『わざと上から目線系』の言葉でツカミ成功。普通の人が口にしたら絶対に反発を招く言葉を投げて、
「聞き捨てならないことを言うじゃないか」
と思わせる。こういうのを惹句(キャッチーな言葉)という。内容的にも、
「上から目線の言葉を放つイタい斎藤よりも自分は上だ」
という逆説的なポジションを会場の人間の内部に浸透させた。人間は上から話されると聞かないが、下から話されると聞いてしまうものだ。
「エラそうな斎藤が何を話すのか、とりあえず聞いてやろうじゃないか」
会場に集まった人間が、斎藤の話を聴くという目的を持った『聴衆』へと化学変化・質的変化した一瞬である。


「その何かとは何か、考えて来ました。」
の言葉で、斎藤はいったんヒく。これまでは何か分からなかったと、暗に白状して見せることで、『聴衆」は斎藤が提起した命題を自分に与えられた命題と感じてしまう。ヒかれると聴衆はつんのめって斎藤に感情移入・同化してしまう。斎藤と同じ目線を持った聴衆は、
「斎藤が持っているのは、コントロールの良さだろうか、地肩の強さだろうか、頭脳派投球技術だろうか」
と、自分のことのように考える。斎藤は聴衆に考える『間(ま)』を十分、与えた。


「何を持っているのか、確信しました」
という言葉で前のめりになった聴衆に対して、
「斎藤がずっと持ってるものは仲間です」
と、聴衆の予想を裏切る答を示す。聴衆はかわされる。予想と違うこと・未知の事象が出て来ると、人間の脳は理解しようとフル回転を始める。斎藤が「仲間」の話を持ち出すことで何を言おうとしているのか、いや、そもそも斎藤の言う「仲間」とは何なのか、聴衆は「斎藤自身による解説クレクレ状態」・「情報飢餓状態」に陥り、斎藤の次の言葉を待つ。ざわついた会場がここで「静寂」に置き換わった。酔った聴衆のお祭り気分は「仲間です」の一言で一瞬にしてしらふに戻り、良い意味で凍りついた。緊張が走った。


会場の人間の居住まいを正させ、頭の中まで完全に黙らせた上で、斎藤は一気呵成に攻め立てる。斎藤が言いたいこと、『斎藤的仲間論』あるいは『仲間への感謝の言葉』を立て板に水とばかりにほとばしらせる。それまでのトツトツとした語り口がまるで嘘のようである。実際、「嘘」なのだ。斎藤は本当は長い台詞をしゃべれる人間なのだが、いきなり長台詞を吐いても注目されない。それを分かった上での小芝居といえば小芝居だが、朴訥を装う演出(=「嘘」)は、実は雄弁であるという種明かしをして大成功を収めた。

もし斎藤自身がこのスピーチを、組み立て方・演出方法を含めて、自分で考えたとしたら(たぶんそうだろうが)、演説家としてかなりの強者(つわもの)である。プロ野球選手から野球指導者になるだけでなく、おそらく政治家になる資質のひとつを持っている。少なくともスピーチライターとしての政治家秘書にはなれるだろう。


もちろん重要なのはプレゼン技術もさることながら、プレゼン内容である。この点でも斎藤のスピーチは出色であったが、もしかすると世間の多くの人が勘違いしているかも知れないので念のために書いておく。このスピーチは何も、
「一般論として、『個人の技術・能力よりも、仲間の存在の方が大切である』ということでは決してない」
のだ。そんなチャラついた『お友達論」など、斎藤は主張していない。一般人が、
「斎藤もああ言ってることだし、自分は技術や能力を磨くより、仲間を増やすことにしよう」
というメッセージを受け取ったとしたら、それは完全な勘違いである。斎藤の思いはそれではない。


斎藤の真意は、
「自分の個人的経験として、自分は才能に恵まれ、技術を磨くために言いようのないほど努力した。それが最後に結実するまでに努力できたのは、自分だけでは如何ともし難い仲間(ライバル慶応を含む)の存在があった。自分が高みに来れたのは、結局は仲間の存在があったからだ。感謝する。」

ということである。



これは仏教で言うところの、
『天上天下 唯我独尊』
に通じている。
「この世界で自分はただひとり尊い存在である。世間・他者との関係性において尊いのでなく、自分という存在・人生はただそれだけで取り替えが効かない尊いものなのだ。自分を尊いと感じることができれば、ひるがえって他者がいかに尊い存在か推して知るべしである。自分という個人が尊いのであれば、他者という個人も同じように尊いのだ。だから、自分を愛し、他者を愛せよ、感謝せよ。」
それが釈迦の哲学である。言い換えると、
「自分のことが好きでない人間がどうして他人を愛せるだろうか。」
「自分を大切にしない人間は平気で他人を傷つけるものなのだ。」

小学生などの「自殺」と「いじめること」(いじめられることでなく)の関係性はここにある。


斎藤佑樹がどれだけ哲学しているかは知らない。しかし、
『斎藤佑樹的仲間論』
は、才能に恵まれ、技術を磨いて来たものだけに発言が許される(ただの一般人が口にするのはおこがましくはばかられる)、
「限りない自己愛と他者への感謝」
である。



P.S.
「あれー。トシさん、『海老蔵事件と六本木』について書くんじゃなかったっけ?」
「うーん、書きかけたんだけど、やっぱり取材モノは時間がかかっちゃって。結局、旬を過ぎたみたいだから、捨てようかな、というとこ。」
「え゛―、それなら『なう』は偽看板じゃんw」
「すいません。自分の頭の中だけで閉じている、こういう記事ならサッサカ書けるから…。」


「それにしてもまたコムズカシイ・コリクツ並べたね。『自己愛』なんて分かりにくい…」
「あ、やっぱ、ダメ? 自尊心みたいな、誇り・プライドみたいな、そういうのを言いたかったんだけど。」
「んー、『あなたへの愛こそが私のPRIDE』って、あったよね?」
「ええっと、ちょっと違うけど、無関係ではないかな。お釈迦様バージョンのPRIDEは、
『自分はプライド(自尊心)を持ってて自分を好きだから、自信を持ってあなたを好きだと言える。』
『(良い意味での)プライドを持ってるからあなたを愛する』。」
「ふんふん。」
「今井美樹バージョンはさらに進んで戻って来て、
『あなたを愛することが、自分のプライドになってる』。」
「はいはい。プライドを持った自分が自信を持ってあなたを愛して、あなたを愛することが自分のプライドになって、ってずっと続きそうw」
「『愛とプライド(誇り)の無限ループ』ってやつですかぁ(笑)。」


「そういう話、したかったの?」
「いやぁ、そうじゃなくて、ちょっと仕事でいろいろあって…。」
「ん?」
「腹が立つことがあって、吐き出そうかなと思って、書き始めたんだけど。」
「それが何で『斎藤佑樹的仲間論』なのさ。」
「うん、それがさぁ、『仕事できない系』のヒトっているじゃない。」
「まあね。」
「チャラ男というか。」
「あー、そういうのが許せなくて『もっと頑張れよ、努力しろよ』って言いたいんだ。」


「うーん、そう単純でもない。努力できるかどうかも含めて才能だから、努力しないヒトは努力する才能がたまたま無いだけで、それを責めるつもりはないさ。」
「じゃあ、いいじゃない。」
「『仕事できない系』・『努力できない系』のヒトの中でもタチの悪いのがいるんだな。自分は何一つ満足にできないくせに他人に仕事も責任も何もかも押し付ける。」
「いいじゃない、フォローしてあげたら。」
「うん、普通はフォローする。でも自分は何もスペシャルなことができないくせに、自分はジェネラリストだって言って仕切るんだ。」
「ちょいちょい、トシさん。単語、難しいよ。」


「うー、何と言っていいのかな。…たとえて言うなら、オーケストラの指揮者。指揮者ってオーケストラのトップだよね。」
「うん、見りゃ分かる。楽器も弾かないで何だかラクしてるように見えるから、そんだけエラいんでしょ。」
「そう。棒、振ってりゃいいんだけどさ、でも指揮者って実はピアノが思いっきり上手いし、同時にバイオリンも弾けたり、スペシャルなことは一通りできる人なんだよな。」
「そういえば『のだめカンタービレ』のちあき先輩、そうだった。」
「スペシャルなことができるからこそ、全体を見通したジェネラルなことができるんだよね。」
「ふんふん。」
「何も、指揮者って、『ボク、ピアノ弾けないし、バイオリンもよく分かんないし、しょうがないから指揮者するね~』じゃないんだよ。」
「はは、そりゃ、ただ酔っぱらって割り箸、振ってるおじさんだw」
「そうなんだよな。なのに、仕事でさあ、何もできないヒトが『俺はジェネラリストだから』とか言って仕切るんだよ。」


「ま、いいじゃない、それも。最終的にオーケストラがかっこうつけば良いんじゃないの。分かってないヒトは、どうせスペシャルな人のこと、専門バカとか言うんでしょ。ほっとけば。」
「うん。でも、仕事できない系のヒトって他人を攻撃するんだよね。自分は何もできないくせに。スペシャルな仕事をする人間に感謝しろとまでは言わないけど、黙っててほしいんだな。他人を陥れたり、陰謀を画策するためにちょろちょろ動きまわるのが腹立つんだな。」
「ま、いーの、いーの。好きにさせてたら。」
「うん、僕もたいがい気が長いけどさ、全体として良いものを仕上げたいからという理由で画策するならまだしも、自分が目立ちたい・出世したい、そういうのに振り回されていろいろ押し付けられるのが嫌なんだ。結局、オーケストラはかっこうがつかなくて、仕事はヒサンな結果になってしまう。周りは骨折り損のくたびれ儲け。」


「でも百歩譲ってフォローするとかは?」
「かなり譲ったんだけどね。そしたらまたどんどん押し付けてくるもんだから、寝る時間がない…。」
「ほう。」
「過労でアレルギー性発疹まで出始めた。」
「あらま。」
「ブログをアップする時間がない。」
「それはおいといてw」


「だったら、仕事を離れたところでストレス解消すれば?」
「うん、たとえば先週の日曜日は、六本木の泉屋博古館分館でやってる『超絶技巧展』見に行って、すごい細工物に感動して、心のバランスを取り戻したんだよね。」
「あー、それが、書く、書くって言ってた、六本木の話ね。」
「今日12月12日が最終日。絶対に見る価値あるから見に行ってね。スペシャルな職人のワザというのがどういうものか、分かるよ。」


$GIPSY☆TOSHI ♭\(∂_∂)/♯ の、一家言アリ-超絶技巧展ポスター

「で、なんで斎藤佑樹が出てきたのさ。」
「自分はスペシャルであろうとする人は技術を持ってる自分を可愛いと思う。」
「ま、作品ができるまでは死ねないぞ、ってやつね。」
「自分の限界も知ってるから他者への敬意も持ってる。」
「(はっ)斎藤佑樹って、職人なんだ。自分のワザとかは好きだけど、同時に他人に感謝することも忘れない…」
「そうそう、なのに、自称『ジェネラリスト』と来た日にゃ…。」
「だから、『偽(にせ)ジェエラリスト』と真逆の斎藤クンのスピーチ聞いて泣いたんだ…。トシさん、コラえてつかぁーさい。」