1995年制作の中国映画で「變臉(へんめん)~この櫂に手をそえて~」(英語タイトルは「The King of Masks」)という作品があります。今年2014年3月に亡くなった呉天明という名監督の代表作です。
発表当時、1996~1999年にかけて、東京国際映画祭の主演俳優賞・監督賞の受賞(1996)を皮切りに、キャンベラ国際映画祭の観客賞(1997)、ケベック国際映画祭の最優秀作品賞・主演男優賞/女優賞の受賞(1997)と、世界各地の映画祭で絶賛されました。主要人物の自然で心に迫る演技、深く心に染み入る内容の深さが、見る者に強い感銘を与える映画です。
1920年代の中国が舞台らしいのですが、わたしが見てきた1970年代の中国も、人の姿や街並みの風景は、この映画とそんなに変わらなかった気がします。そのままそっくり、高度経済成長以前の〝生の中国〟が息づいているような、貧しいけれども美しい映像です。
さらに、登場人物たちひとりひとりが、本当に生き生きと描かれていて、呉監督の登場人物たちへの深い愛情を感じます。人情味深い関わり合いの醸しだす独特の風合は、中国という国の最良の部分を写しとったようにも思える映画です。
けれども、1990年代後半はまだVHSビデオの時代で、話題になっていた当時こそ、この作品もビデオ化されて世界各地で見られていたものの、その後、DVD化されることなく現在に至っており、今や早くも幻の作品と化しつつあります。
もちろん、日本語字幕版も、VHSしかありませんし、どうしても見たければ、amazonなどで中古ビデオテープを購入(価格は5000円以上)し、それを何とかしてDVDに転換して見るしかありません。しかも、一般に業者は、商業用VHSのDVD化はしてくれませんので、プライベートでなんとかするしかないのです。
つまり、残念ながら、現在、通常のルートでは、この中国映画の最高傑作を見ることは、大方の人にとっては不可能になっています。「これほどの名作が、なぜDVD・BD化されないのだ?」と無念に思う作品の一つです。
ということで、現在、誰も見れないということを前提に、これから、この作品の中身について語ります。いずれにしても、本編を見る前に、物語の筋を知りたくないという人は、ここから先は読まないでください。



一子相伝の仮面早変わりの特殊な芸の持ち主で、通称「変面王」と呼ばれる大道芸人のお爺さんがいます。妻子を早くに亡くして、一人で舟の上で生活しています。路上芸人として、旅から旅の生活です。その仮面の変わり身の素早さは神業的で、お爺さんはその芸を一族に伝わる家伝として、芸を継がせるはずの一人息子を失った今も、決して誰にも教えません。
自分の劇団を率いてカリスマ的な人気を誇り、「今観音」と呼ばれる女形のリャンも、変面王の芸を高く評価して、自分の劇団に入ることを勧めますが、お爺さんは自分の芸一つで生きていくことにこだわって、その申し出を断ります。すると、その気骨を讃えて、リャンは変面王の友人になるのです。彼らは共に、せち辛い世の中を、真っ正直に渡ってきた心意気のある人たちです。二人は互いに相手に敬意を抱くようになり、互いを励ましあって、爽やかに別れるのです。
ただ、そんな意気軒昂としたお爺さんにも、一つ、どうしても諦めきれない切ない思いがありました。それは、祖先から受け継いできた自分の芸を受け継がせる息子がいないことです。このまま、この芸を潰えさせてしまっては、ご先祖様にも申し訳がたたないと、悩みに悩んでいたのです。それで、お爺さんは、とうとう思い余って人買い市場にまで足を踏み入れます。
暗い路地から市場へ踏み込むとすぐに、7、8歳の女の子が、変面王の足にしがみつきます。「お願い、わたしを買ってちょうだい。ただでいいから。女の子だから誰も買ってくれないの。お願い!」けれどもお爺さんは「ワシの欲しいのも男の子なんだ」と、その女の子の手を振り切ります。
すると次に、食うに困った母親が、生まれたばかりの赤子を、変面王の腕の中に押し付けようとします。「この子を買って。男の子よ!」けれども、その着ぐるみにくるまれた赤子を見て、お爺さんは「こんな幼い子は、ワシには育てきれない」と、若いお母さんに子どもを押し戻します。
これはダメだな、と思ったお爺さんが退散しかけたその時、「おじいちゃん!」と呼ぶ子どもの声が聞こえます。振り返って見ると、そこに首に縄をかけられた凛々しい男の子が立っていました。「お爺ちゃん、僕を買ってよ!」そして、横で綱を握っている粗野な男が言いました。「男の子だから、値段は高いよ。」けれども、一目でその子が気に入った変面王は、その8歳の男の子を買って、家に連れ帰るのです。

お爺さんは、その男の子を「ワシの孫だ!」と周囲に自慢し、「クーワー」と呼んで大切に育てました。クーワーが熱を出すと、高い薬を手に入れるために家宝の剣を質屋に売りに走り、夜通し毛布にくるめて抱きしめて眠りました。この子のためなら、何も惜しくはありませんでした。クーワーの方も、お爺ちゃんによく懐きました。
けれども、クーワーはお爺ちゃんの前では、決してズボンを脱いで裸になったり、おしっこをしたりしませんでした。というのも、クーワーは、実は女の子だったからです。ある時、お爺ちゃんが足を怪我した時、クーワーに「傷口におしっこをかけてくれ」と頼みます。けれども、クーワーは、モジモジしてズボンを脱ごうとしません。お爺ちゃんが怒って「早くしろ!」と怒鳴ると、とうとうクーワーは泣きながら言います。「できないの。蛇口がついていないから!」
騙されたと知ったお爺さんは、クーワーにお金の入った袋を投げつけて舟から下ろし、「お前と暮らすのはごめんだ。何処へでも好きなところにいけ!」と言って、舟を出してしまいます。けれども、クーワーは、お金の袋を捨てて、川に飛び込み、船を追いかけようとして溺れます。お爺さんは「バカ、死ぬつもりか!」と叫んで、自分も川に飛び込み、クーワーを救いあげます。
それ以来、お爺さんはクーワーに「おじいちゃん」と呼ぶことを禁じます。「これからは、ご主人様と呼べ。居させてもらいたければ、一生懸命働け。これからは、家事はすべて、お前がやるんだ。」
それから変面王は、クーワーに厳しく軽業を仕込み、その軽業の芸で、お金を稼がせます。けれども、決して変面の芸は教えません。「この芸は絶対に女には教えない。」
ある日、クーワーは、お爺さんと一緒に、今観音リャンの劇を見ます。その劇の中で、父親が無実の罪で処刑されようとしている時に、父の無実を訴えて高い塔から身を投げる娘を演じていたリャンが、その後、再び舞台の上に登場したので、クーワーがお爺さんに聞きます。「どうして死んだあの娘は生き返ったの?」すると変面王は答えました。「あの娘は、死んで観音様になったんだ。」
そして、またある時、クーワーは、おじいちゃんに言いました。「蛇口があるかないかの違いなのに、わたしは七回も、もらわれた先で、女の子なのがばれて追い出されたわ。」「ご主人様は、女のわたしには芸を教えてくれないのに、どうして女の観音様を拝むの?」

そして、ある夜、変面王の留守に、隠してあった仮面をこっそり引き出して見ていたクーワーは、誤ってロウソクの火で仮面を焼いてしまいます。火の粉は舟に飛び火して、またたく間に燃え上がります。
クーワーは、必死で火を消そうとしましたが、その甲斐もなく舟は全焼します。お爺さんにあわせる顔がないクーワーは、焼け焦げた舟を残して身を隠し、変面王の元には帰れずに、そのまま街を放浪します。そして、またしても、人買いの誘拐組織に捕まってしまいます。
誘拐組織の隠れ家には、お金持ちのところから誘拐されてきた男の子がいました。クーワーは、その男の子を連れて、誘拐犯のアジトを抜け出します。それから、クーワーは、男の子を欲しがっていた変面王のところに、その子を連れて行ったら変面王が喜ぶだろうと思いつきます。そこでクーワーは、「変面王は、優しい立派な人で、男の子を大切にしてくれるよ」と、その子に言って、変面王の舟に連れて行きます。
外から帰ってきた変面王は、舟の上に可愛らしい男の子が座っているのを見て驚きますが、その子が「クーワーに連れてこられた。僕は変面王の子どもだよ」と言うのを聞いて、ハッとして泣きます。すぐにお爺さんは、クーワーの姿を探して、舟から身を乗り出して周囲に呼びかけますが、影に隠れているクーワーは、お爺さんの前には姿を現しません。結局、お爺さんはその「クーワーからの贈り物」の男の子を、大切に育てることにしました。
しかし、それから、暫くして、男の子の捜索をしていた警察が、お爺さんを誘拐の罪で逮捕してします。お爺さんは最初は容疑を否認しますが、厳しい拷問に耐えかねて、とうとうやってもいない誘拐を自白して、死刑を宣告されてしまいます。
クーワーは、お爺さんの入れられている牢の鉄格子に取りすがって、「ご主人様、ごめんなさい」と泣いて詫び続けます。変面王は、クーワーに「お前のことは恨んでいないよ」と言います。「お前が悪いんじゃない」「きっと、これも前世で、わたしがお前に酷いことをしたんで、その報いがあったのだろう」と、変面王は泣き崩れるのです。

クーワーは、酒屋の親父の助言に従って、今観音のリャンのところへ行って助力を求めます。そこでリャンは、後ろ盾である有力者の将軍に助力を求めますが、将軍は警察のすることに口を出したくないと、面倒がって手を出そうとしません。リャンは、クーワーに「すまない」と謝ります。「わたしも変面王も、所詮はしがない芸人で、何の力もないのだよ」と悲しそうに言うのです。
その夜、将軍は、リャンの舞台で楽器を演奏して、自分の誕生日を楽しみます。そして、将軍が誕生日パーティーの会場へ向かって、劇場を出ようとした時、舞台の上の天井から、自分の足をロープで縛ったクーワーが、中吊りにぶら下がって姿を表します。変面王の無罪を訴えて、聞き入れられなければ、ここから身投げするというのです。
けれども、将軍は子どもの戯れ言だと思って相手にせず、立ち去ろうとします。それを見て、クーワーは足の綱をナイフで切ります。綱が切れて天井から落ちてくるクーワーを、ギリギリで間に合ったリャンの腕がだき取り、勢い余って、2人はそのまま長い石段を下まで転げ落ちていきます。それでも、超人的な身のこなしで、自分もクーワーも無傷のまま、リャンは下までたどり着くのです。気を失ったクーワーを腕にだいて、すっくと立ち上がったリャンは、段上の将軍を睨みつけて言います。
「貴方は冷たいお方だ。このいたいけな子どもの、命を賭けた嘆願にも心を動かすことはないのですね。貴方には今までたいへんお世話になりました。けれども、そのお付き合いも今日までです。わたしはこれから、この子と一緒に、変面王の助命を嘆願しに、首都へでも何処へでも赴こうと思います。」
すると将軍は、石段を駆け下り、リャンに近づいて行って、その腕を取ります。「貴方は本当に観音様のような方だ。感服いたします。けれども、私とて、石のようにものを感じない男ではありません。わたしもまた、この少女の一途な思いに胸を打たれました。変面王は私が救いましょう。」

こうして死刑前日に、からくも救い出された変面王は、リャンのところを訪れます。「貴方は命の恩人だ。このご恩にどうやって報いればいいのかわからない。貴方が望むなら、変面の秘密を教えましょう。」
変面王がそう言って床に跪くと、リャンは笑って言うのです。「顔をあげてください。見返りが欲しくてやったわけではありません。このせち辛い世の中に、真実の思いやりが少しでも生まれるのなら、それで満足なのですよ。それより、貴方が本当に御礼を言わなければならない相手は、私ではなくクーワーです。」
お爺さんが自分の船に戻ると、船の上でクーワーが、床をゴシゴシ拭いていました。感極まったお爺さんが「クーワー!」と呼びかけると、振り返ったクーワーが「ご主人様!」と嬉しそうに言いました。すると、お爺さんは「クーワー、おじいちゃんと呼んでおくれ!」と言って手を差し出すのです。そして2人は、駆け寄って互いをきつく抱きしめ合いました。
この瞬間、2人は、ともに、あんなに欲しがっていた家族・肉親を、互いにようやく見つけたのです。その後、変面王とクーワーは、仲良く一緒に櫂を漕ぎながら、大道芸の旅を続けます。やがて、行く先々で、おじいちゃんと孫娘の見事な変面の技が、評判を呼ぶようになるのでした。



映画の途中で、クーワーとお爺さんが、竜門の石窟寺院の巨大な岩の仏像の上に乗っていたりと、美しい中国の映像が随所に出てきます。それから、若い軍人たちの横暴に対して、変面王が機転を効かせて立ち回る緊迫したシーンなど、本当に見所がいっぱいの映画です。
つい同じ言葉を繰り返してしまいますが、この素晴らしい映画に関して、どうして本国の中国ですら、DVDが存在しないのでしょうか。本当に解せない話です。願わくば、こうした要望の声が高まって、その声が中国にまで届きますように。そして、「變臉」DVD化の機運が高まりますように。
わたし自身はDVDを持っていますが、やはり、この映画が、一人でも多くの人に見られるようになって欲しいと切に思うのです。


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