10/16 自然にふれてセルフケア!「森と畑の学校」体験ツアー 神奈川

 

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「この問題は、ほんとうに人生の問題そのものだ」

サードオピニオンのある参加者がしみじみと言った。

 

その初老の男性は、2か月ほど前に電話をかけてきた。

クスリ漬けになった奥さんがどうにも酷い状態で、散々あちこちアクセスして、結局、私のところに辿りついたのだ。

 

「先生は、顔をみて診察してくれないんだよ。クスリが合わないと言っても薬を減らしてくれないし、かえってクスリが増えていくんだよ。」

「飲んでもどんどん悪化するだけなんです。」

 

私は、問題点を指摘し、薬や副作用、離脱症状の情報を提供した。

奥さんは、エビリファイで強烈なアカシジアに見舞われていた。

すると電話口で、

「〇〇子~、良かったなあ、こういう風に言ってくれる人も居るんだよ。」

 

つくづく日本人は、医師のいうことは守らなければならないという強迫観念にとらわれていると思う。薬を飲む飲まないは、原則、本人が決めることである。飲むのは本人なのだから当たり前である。

 

その後、奥さんは、ムズムズ足、強度の不眠、便秘に襲われた。

旦那さんは、一晩中、足を擦り、直腸の便を指で掻き出した。

「もう、こいつはきっと死ぬんだよ」と私に言った。

 

私は、いくつかの提案をしたが、結局、家でただ苦痛が去るのを待つしかなかった。

数日経って、ムズムズ足が解消したと報告があったが、強度の不眠と便秘は持続した。

 

そうした中、奥さんの兄妹がやってきて、「任せていられない」と奥さんを半ば強引に故郷に連れ帰った。

もともと、旦那さんとその兄妹たちが揉めていたのかは分からない。

故郷でまた薬漬けにされるのかと懸念したが、この兄妹は、クスリに対して元々慎重派であり、その心配は無用であった。

 

実は、奥さんを精神科に連れて行ったのは旦那さんである。

当時、不穏状態が続き、敵意や希死念慮なども強かったからである。

その判断が間違っているとは思わない。

何かしらの手を打たねばならなかったのは事実だろう。

 

故郷に帰ってから、奥さんには一睡もできない日が数日続いた。

離脱症状であることは間違いないが、奥さんにはもう一つの不安材料があった。

もともと、奥さんを不穏な状態に追い込んだものはこれではなかったのか。

離脱症状に加え、遠く離れた夫との永遠の別れの予感が彼女の不安を搔き立てるのである。

 

実は、旦那さんは、末期の肺がんであったのだ。

この6月に余命3か月と診断されている。旦那さんは、吸入剤以外の全てのがん治療を拒否し、もう既に3か月はとうに経過している。ご本人は、あと一年位は生きられると思うと言っている。

 

ほんの数時間の間に、お伺いした話は、まことに正直な心の呟きであった。

子供のいないご夫婦にとっては、互いの死は別の意味がある。

その淡々とした語り口に、迫る死期への恐れは感じられない。ある意味、達観した感がある。

 

旦那さんが言ったように、この問題に取り組むということは、その人の人生に関わるということである。

だからこそ、慎重であらねばならない。

私に何が出来るわけでもない。助けられるわけでもない。

この話の中で、私に価値があったとするならば、それは旦那さんの良き理解者、味方となれたことだけだろう。いや、それでも最終的に元気づけられたのは私のほうの気がする。

 

昨日、旦那さんから電話があった。

「妻が私が死ぬ悪夢を見たというんだ。それは寝れたということですよね。」