「えん」という言葉を聞いたとき、皆さんはどの字を思い浮かべますか?
炎・焔・宴・演・円・焉・韻・艶などなど、ひとつの音からおひとりおひとり違ったイメージが浮かび上がるんじゃないかなぁと思います。
この楽曲は皆さんそれぞれの思い浮かべるそれぞれの「えん」であって頂きたいと思っていますし、そのどれにも当てはまる楽曲になっているんじゃないかなぁとは思っているのですが、
私の中で一番の「えん」は「縁」という漢字です。すなわち、人と人の、ものとものの、出会いそして結びつきこそが、この楽曲のテーマなんじゃないかな、的な感情をもっています。

 

はじめてアルスマグナの皆さまのステージをこの目で拝見したとき、そこにはアルスメイトの皆さまがたくさん集まっていらっしゃいました。
アルスマグナの皆さまのダンスを見たくて集まった、アルスメイトの皆さまの「えん」を身をもって感じるとともに、バラバラだったはずの5人のダンサーさんが集まって、「アルスマグナ」というひとつのグループになったということ、それがどれほど奇跡的なことであるかをひしひしと感じました。
そのとき感じた「えん」を形にしようとしたときに、それは今現在ここにある「えん」だけじゃないんじゃないか、もしかするとずっとずっと遠い昔、あるいはこの先の未来においても、彼らが再び巡り会い、そしてアルスメイトの皆さまもそこに集うような瞬間が繰り返されていたら……
そんな世界がどこかにあったらすてきだな、という思いから、とあるひとつの物語が生まれました。


この楽曲にひもづく物語は、神在祭と雨乞いの神事をモチーフにしているのですが、いずれにせよ“ハレ”の日をめぐる『忘れることと忘れられないこと』がテーマになっています。
さらにアルスマグナの皆さまそれぞれに、神様と楽器のモチーフをご用意しておりまして、それに応じて歌詞と楽曲におけるメインパートを振り分けていたりするんです!

 

・アキラさん:雨、三味線
・奏さん:雪、尺八
・ウィトさん:豊穣、大太鼓
・タツキさん:太陽、小太鼓(+篠笛)
・ケントさん:時、琴

 

ざっくりこんなかんじですかね! 楽器モチーフは制作にあたるうえで、先生に直接お話を伺って決めさせていただきました。
「タツキはぴょこぴょこ跳ね回ってるから、でんでん太鼓みたいな細かい音が合いそうだなー」と語ってくださり、その場にいた皆さん全員が大きく頷いていらっしゃったのを覚えています(笑)
その後、たとえば雷を意味する『稲妻』という言葉には、「稲」という漢字が含まれているから「豊作」を司る意味も含まれているんだよー、的なことを知り、「それじゃ大太鼓のウィトさんは豊穣の神さまにしよう!」みたいなかんじでどんどん発想が広がって行ってしまって、その結果、太陽を呼ぶ子として生まれたタツキくんが、神在祭に誘われる物語が完成したという流れです。

 

物語の中のタツキくんは外に出ると日照りが続いてしまうので、お家に閉じ込められてしまいがちな日々を過ごしていたのですが、
ある日の夕刻、畦道を歩いていると祭囃子の音色が聞こえて来て、そのまま不思議な世界へ迷い込んでしまうんです。
で、そこでは一年に一度、神々が集う神在祭の準備が進められていました。
浮かされたような祭りの熱気と神秘に包まれた世界は、やがて突然に別れを告げ、タツキくんは元通りの在るべき世界に帰っていきます。
そんな、自由を許される解放感と、夢の終わりのような物悲しさを、一曲の中で流れるように描いてみたつもりです。

 

今回「お祭り」というテーマで楽曲を制作することに決まったとき、お祭りが始まる前のあのわくわくした気持ちや、終わってしまったあとの名残おしい気持ちは、ちょうどアルスマグナの皆さまのライブを見に来られた、アルスメイトの皆さまの気持ちとシンクロするところがあるのではないか、と考えました。
つかの間の夢に誘われて、現実という世界から切り離された世界に呼ばれる感覚を『神隠し』に。
そして日常へ帰らざるをえない物悲しさと、いずれまた訪れる次の祭りへ思いをはせる気持ちを『5時のチャイム(家路)』にたとえて、
夏の思い出のひとこまとして皆さまの心に残ったらいいなぁ……と、そんな風に願っております。

アルスの皆さまのダンスの中に、祭りの熱気と淋しさの物語を感じていただけていたら、これ以上嬉しいことはありません。