母は2012年3月11日亡くなりました。2年ほど経ったある日、大手メディアより取材の申し込みがありました。その時に私が書いた返事をここに載せておきます。

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社会保障の矛盾やひずみは ブログでも一部伝えているように構造的なものです
社会保障自体が「虚構」であり、「絵に描いた餅」である現実は、決して責任を取ることのない官僚によって支配された日本社会の必然です。

 

横浜市が市民との約束である市民の声制度を蹂躙した事実。

 

そのことに対して説明すら行われない。介護保険制度の中で約束されている苦情制度は、窓口で受付をはねる(神奈川県) 横浜市の福祉苦情窓口ではようやく委員(名刺には何故か肩書きが書いてありませんでしたが後で首都大学東京の社会福祉制度学だかの教授をしている方だと知りました。ラジオなどにも出演しているようです)に施設での出来事を話す機会を得たものの、何故かその面談の場で苦情の用紙を渡され記入するよう誘導されました。そして驚いたことにその委員が執拗に虐待のことを苦情として受けつけられないから、別の事を書くようにと促してくるのです。まさに水際作戦です。

 

福祉という美名の下に住民から資金を集め予算を組み役人を食わせ、行政に近い業者にも補助金を分け与え、目くらましの苦情制度にも御用学者を抱え、役人に食い扶持をあてがう。

もともとが住民の福祉が目的ではなく、権益拡大や仲間うちの安泰が目的ですから、いざ事が起こり利用者が苦情制度を使おうとしても全く機能しない。

ブログではほんの一部を書きました。母は施設を退所後、急激に体調を崩し血液の数値に異常がでて、吐血して救急車で病院に運ばれるなどしていました。どんどん貧血が進んで行き最終的にはガンが見つかり施設を退所してから1年半ほど経った2012年3月自宅で看取りました。

死までの間に、出来るだけ距離を置きたかった医療と関わることが再び増えてしまいました。日本の医療現場で記憶に障害が出てきた高齢者がどういう扱いを受けるか。社会保障といえば医療も含まれるかと思いますが、高齢者医療の実態は身の毛がよだつものです。体験したごく一部を別ブログで紹介してあります。

もともと母の晩年の苦難の発端は田舎の療養型病院での家族にも無断の身体拘束、薬漬けと身体拘束が原因の怪我の病院側の隠蔽という医療現場の歪みでした。

遠距離看護、自営業を並行しながらの引き寄せ、機能しない在宅介護支援サービス、母の病気、在宅看護への突入と私の体力も限界に来ており、気力だけで在宅看護をしてきたのが、母の死で一気に力が抜けたのか、葬儀や納骨を身体に鞭打つように終えると寝込んでしまいました。

母の死後3ケ月程した頃、役所から国民健康保険料の通知が来ました。額を見るとこれ迄は所得が減ったため減免手続きをして少額の保険料を支払っていたのが、何故か正規の額になっています。考えてみると、確定申告前の準備時期、丁度母の人工肛門造設手術で病院に一ヶ月缶詰めになり、退院後もあれよあれよという間に看取りの時期に突入して、確定申告をしないままにしていました。
自営業も母の病状が悪化する頃に完全停止状態になり、とてもではないが正規の額の保険料は払えません。ブログ緑の郷の住人達で描いている通り、役所とは軋轢、不信もあり、また体調がすぐれなかったので、そのままにしていました。

すると数ヶ月してから役所から差押えの通知が届きました。生命保険を差し押さえたというのです。延滞金までついています。もう貯蓄も体力もつき、生命保険の積立金を引き出して生活費にあてて凌いでいるところでした。

疲れきって倒れている住民に対し追い討ちをかけるこの役人の姿。舌打ちをしながらも疲れた身体を引き摺って役所の窓口に事情を説明にいきましたが窓口の若い職員は「保険料を払うのは貴方の義務だ」と声を荒げ係長クラスと話しても減免も受け付けて貰えなかったのです。役所からの催告書には「事情があれば応談する」と書いてあるし「財産を調べて差し押さえることがあります」とは書いてあっても「滞納があれば事情に拘らず必ず差し押さえをする」とは書いていないのでそこをつくと職員は「青葉区では滞納者全てに差し押さえをすることになった」と明言しました。

そんなことがあろうはずはありません。結局その年、最も困窮した年であったにもかかわらず、延滞金まで払いました。さらに支払いののち、私の財産について調査した記録の扱いを問いただしたところ「永久保存にします」と口頭で職員から回答されています。

こういう極めて恣意的な弱い者虐めを地方の役人レベルでしているわけです。市民の声などの広聴制度はブログでも書いている通り蹂躙されています。++様
社会保障の歪みというレベルの問題ではないのだということには、日々、社会事象を取材されている記者の方々の方がお気づきなのではないかと思います。
 
最近、住民至上主義というブログで国家公務員法のトリックについての説明を見て、私が身を以て体験してきた事の「原因」を得心するに至りました。
そのブログ主さんのところには何社か、取材があったようです。

蛇足ですが、高齢者医療現場の凄惨な現実については拙ブログ 吟遊詩人ガラスの夢 で描写しました。関東に移ってからの医療現場での体験は別ブログに少し書きました。

医療については、母の死後、インターネットで医師の立場でありながら医療の現実に辛辣な批判を繰り広げられている内海聡医師の活動を拝見する機会を得て、これまで決して外に漏れ出ることも、人々の耳に届くこともなかった闇が、ようやく引き裂かれる時代がきたのではないかと考えています。

塩谷桂子