(一つ前にアイデア篇があります。未読の方はそちらからお読みくださいhttp://ameblo.jp/millionmaro/entry-12223857689.html

黒猫の付き人を務める合間を縫ってミステリ作家・森晶麿の制作の裏側を追い続けて一年と少しが経過した。

2015年、森は早川書房より『四季彩のサロメまたは背徳の省察』と

『黒猫の回帰あるいは千夜航路』の二冊を上梓している。

 

 

 

「四季彩のサロメ~」が誕生した経緯については前回お話ししたとおり。そこには「椅子使い」のプロットの挫折という背景があった。
しかしおかげで精力みなぎった華影忍なる青年が誕生することになる。〈歩く女百科全書〉を名乗るこの男がサロメの誘惑によって悲劇へと突き進む物語は、黒猫シリーズとは対極にあるような妖艶な雰囲気に包まれている。

「ちょっと思い切りがよすぎた気がしますが……」

「そう? そういえば君は昔、華影忍と図書館で出会っているね」

「え…! そうなんですか、全然覚えていません」

「そうか、忘れてしまったか。まあまた会えば思い出すさ」

「会わなくて結構です!」

先日とうとう読む機会を得たのだが数ページ読んだだけで赤面して本を静かに閉じてしまった。それに黒猫がやたら読むのをやめろというのもあってなかなかその先を読めずにいる。

でも黒猫シリーズの外伝的位置づけと聞いているので気になるのは非常に気になる。

「まあそんなことは置いておいて、以前仰ってた『椅子使い』とはずいぶん違う系統のものをお書きになりましたね。これはどうしてですか?」

「それはT嬢が高校生の話を読みたいって言ったからだね。僕が提出した『椅子使い』のプロットはある男女を幼少期から大人になるまで、かなり長いスパンで追っていく話だったけど、T嬢は高校生のお話が読みたいです(キリッ)って言ったから、それなら一生分を高校時代のある一年に凝縮してしまうか、とやってみたらエロが濃くなった」

「濃くなりすぎです。青春の甘酸っぱさとか、そういうのが欠けてますよ」

「それってさ、後から感じるものじゃない? 青春の真っただ中にいるときに甘酸っぱいなんて、考える? 絶対考えないよ。青春って残酷なものだと思う。とくに男子にとってはむせかえるような内的衝動との戦いなんじゃないかな。どうやったら相手に『触れた』ことになるのか。手を伸ばせば心がわかるわけでもない。でも手を伸ばし始めたばかりの頃は、まだそこに心があるかどうかも見分けられないんだよ。黒猫もきっとそうだったんじゃないかと思うけどね」

「むっ…そ、それはあまり想像したくないですね」

そもそも黒猫が黒いスーツ以外を着ているところが想像できない。

「まあサロメはいろいろと発見があったよ。まず男性一人称で書いて、なおかつ黒猫シリーズの読者に読んでもらうものにする、というのは相当高いハードルだった。でもそれをやったおかげで、〈女性視点からしかいい男は書けないんじゃないか〉という呪縛からは抜けられたし、かなり毒気の強い物語に仕立てることにも成功した。そう、いま〈物語〉と言ったけれど、謎、推理、解決という図式だけではない、展開のうねりがあったという意味ではサロメには物語の萌芽があったと思う。ただ、僕が目指す物語はもう少し温度の低いものなんだよね。サロメはその点では良くも悪くもとても激しい」

「そうですね、たしかに激しいです。そしてその激しい物語「サロメ」に座を奪われた『椅子使い』はいったんお蔵入りになり、その次にはまた黒猫シリーズの新作がきましたね」

「そう、君と黒猫にとってとても大事な回。神回ともいうべきシリーズ最新作だ」

「もうそれ以上は言わないでください!」

暑い、部屋は涼しいのに暑い。

「それで、『回帰』には何か作家としての発見はあったんですか?」

「うん、あったね。とくに第三話の『戯曲のない夜の表現技法』。あれはほぼ君と黒猫は添え物めいた扱いで、女優の卵の女性と演出家の男性の恋物語がメインにある」

「あれが、発見だったんですか?」

「それまでずっと〈物語〉を書きたい、と思っていた。でも、たとえば公園で手袋を探し続ける老人の数奇な運命を僕が書いても、残念ながら需要がないんだ。僕は面白いと思うけど、そこに恋愛が欠けていたら、読者によっては大きな肩透かしを食うことになるかもしれない」

「ああ、たしかに、そうですね。たとえ老人の行動に美学的な意味が生じていたとしても、それだけで森さんの作品を読んだ満足感になるかと言われると、微妙かもしれません」

「そうなんだ。だから僕はこの作品によって、自分が物語作家へシフトしていくには、まずは恋物語を描ける作家になっていくのがいいなと思ったんだ」

「恋物語…っていうことは恋愛小説家ですか?」

「いや、恋物語と恋愛小説はちょっと僕のなかで違うんだ。恋愛小説は恋愛が主題であるような小説だ。対して、恋物語はある物事を恋の側面を通じて語る。決して恋愛が主題にはならない」

「ううむ、わかるようなわからないような」

「ある侍の男が身分違いの女と出会い、別れるまでを描いたら恋愛小説だね。でも、ある侍が剣を極める過程で鍛冶屋の女性に出会い、彼女との恋を通じて剣の道を見つめ直した場合、その主題は恋愛にはないから恋物語だ」

「……それって、一般的定義ですか?」

「いや、僕だけの定義。もちろん恋愛小説のなかにも恋物語であるものもあるし、必ずしも明確に区分できるわけではないけどね。とにかく、僕が恋愛小説を書くのは違うと思うけど、恋物語を書けば、それは黒猫シリーズの読者の期待にも応えられるんじゃないかと思うんだ」

「ふむ……その心は?」

「黒猫シリーズは毎回〈失われた恋物語〉を額縁のこちら側から君と黒猫がああでもないこうでもないと言いながらちゃっかり自分たちもちょっと焦れ焦れしてしまう話だ」

「うっ…そ、そうですね、まあ。暑いですね、この部屋」

「つまり、黒猫シリーズのなかにあらかじめあった崇高な要素というのは、たぶん額縁の向こう側にある恋物語なんだよ。そしてその額縁の向こう側の空気を君と黒猫が引きずることで、君たちの恋愛自体が高次なものに感じられる。じつは、ペダンティックだとか焦れ焦れだとかそういうのはうわべで、本当に黒猫シリーズが支持されている理由はここにある気がするんだ」

「ふーむ、それはいつ頃から気づかれたのですか?」

「吉祥寺でトークイベントをやったあたりからかな。あと特典クイズやってメールで感想いっぱいもらったりしたのもある。そうやってじかに読者と接することで、逆に黒猫シリーズの本当の魅力を教えてもらった気がする。僕自身は無自覚に編み出してるからね。パソコンの前に立てば勝手に君と黒猫がしゃべりだす感じだから」

「そうだったんですね……」

「だから読者の人たちに『焦れ焦れとかペダンティックだとかそんなうわべで好きなわけじゃないんです、それも好きだけど!』って言われている気がして、ようやく気づけた。たぶんもう僕は大丈夫だと思う」

「そうですか。なんだかわからないけど心強いです!」

そうして年が明けた2016年1月、ちょうどT嬢が高松にやってきて打合せをしたようだ。そこで森はふたたび『椅子使い』の話を持ち出した。もちろん以前とはちがうストーリーへと進化した『椅子使い』の話である。

そこでT嬢の食指が動いたらしい。打合せを終えて帰ってきた森は言った。

「手ごたえありだな。うまくいく気がする。もうプロットは僕の頭にできてるも同然だからね」

この日から、森は一気にプロットを作り上げていく。

「かたちそのものが内容であり意味であるような物語にしてみせる」

寝言のようにそんなことを言いながら。

「でも前回の失敗から学んだことは反映しないんですか?」

「するよ。まず、あんまり壮大すぎるのはまだ僕には早い。あと、たとえば〈Aは都市を彷徨っていた。〉なんて書き出しで始まる無国籍風の物語を作るのも時期尚早。あくまで、いまこの世界でふつうに生きている人間の物語として描く。それこそ、サロメとはぜんぜん別のテイストの、高校生が主人公の物語になるはずだ」

そのとおりだった。数日後に出来上がったプロット「椅子使いの身体コスモロジー」は高校生が主人公の青春ミステリだった。

そして今度はいくつかの条件は提示されつつも、見事にプロットが通った。

しかし、この時の森は知る由もなかっただろう。その執筆が想像以上に困難を極めることになるなんて。

(明後日更新予定の「執筆篇」に続きます)