映画『図書館戦争』続編について | 有川ひろと覚しき人の『読書は未来だ!』

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一つの作品を愛してくださるのはありがたいのですが、何でもかんでも「これは○○繋がり!?」等々の深読み・裏読みをされてしまうと、作り手には色んな意味でプレッシャーになります

自分の発言がそうなっていないか、相手にアクションをかける前に少し深呼吸してみましょう(^-^)/

https://twitter.com/arikawahiro0609/status/801644309179006976

共通点を見出したり素敵な偶然を探すのは、あくまで自分の中だけのお楽しみ

そのほうがみんな自由で幸せにいられます

言葉にして世に放ってしまうことが一種の呪いになってしまうこともあります

それぞれの作品に呪をかけず、自由に羽ばたかせるために

 

まず、Twitterにおける上記二つのコメントは、

・脚本家さんが同じというだけの「私の作品ではない全く別の作家さんの原作作品ドラマ」に

・ファンが作った『図書館戦争』記念日である「10.19」という数列が偶然映り込んでいたものを

・『図書館戦争』ファンが脚本家さんご本人に『図書館戦争繋がりですか!?』と直接問いかけた

という出来事を受けて発したものです

 

脚本家さんは「原作者繋がりもキャスト繋がりもないのに脚本家が勝手にそんなことをしたらドラマの私物化になってしまいます」という趣旨のことをお答えになりました。

私も全く同感ですし、非常に真っ当なお答えであると思います。

また、無邪気な質問であることは分かりますが、その無邪気な質問は二人の表現者(執筆者)にとって、非常に失礼なことです。

まず一人はもちろん脚本家さんです。その原作ドラマに誠実に取り組んでいる姿勢に「ドラマの私物化」を連想させるような言葉を投げかけたことです。

そしてもう一人、重大なのは「そのドラマの原作作家さん」です。一つの原作作品が映像化された場合、原作は映像化スタッフ・キャストに純粋に尽くされる権利があります。また、その権利が保障されてこそ、初めて映像化にOKを出すことができます。

そこに「原作者繋がりもキャスト繋がりもない」作品のパロディやオマージュを無断でぶち込まれるようなことは、あってはなりません。

もしそんなことがあったら、原作と原作者さんを軽視していることになります。

映像化スタッフが原作を軽視していないということを表明するために、脚本家さんは「私物化」というやや強い言葉を使って偶然だとはっきり表明するしかなかったのだと思います。

 

私も同じ表現者(執筆者)としての観点から、無邪気な質問に対する注意を喚起する必要を感じ、上記二つのコメントを発表しました。

世の中には「悪気はなかったんだからいいじゃない」で済ませてはいけないことがあり、これは表現の世界においてははっきりと「済ませてはいけないこと」だからです。

自分の原作作品のファンが無邪気に失礼な質問をしてしまった以上、類似の過ちを防ぐ努力をする責任が私にはあります。

 

私としてはかなり柔らかく注意を喚起したつもりですが、それに対して私に直接通知が届く形で不満を仰った方がおられました。

その不満に対しての私の回答がこちらです。

 

https://twitter.com/arikawahiro0609/status/801832725715947520

 

このやり取りについては相手もおられることですし、詳しくは言及しませんが、私は非常に身勝手な理論だと思いましたし、これを受け入れる義務はないと考えたので、この方を拒否しました。

ネット上で反発が散見されましたが、代表的な三つの意見に対してここで回答しておきます。

 

・「ファンの言葉は何でも無条件に受け入れるべき」

「好きだと言ってるんだから原作者は全てを受け入れるべき」という理屈は「好きだから」という理由で為されるストーカー行為を「正しい愛情表現」とすることと変わりません。

作家であろうと「その愛情表現はNOだ」と拒否する「人としての権利」があります。

 

・「売れたから増長している」

今の私の状態を「売れた」とジャッジするのであれば、私は「売れる前から」この姿勢です。お客様だからと無条件に全てを受け入れることはしません。

作家とファンである前に「人と人」です。

自分は客だから厳しいことは言われないだろう、優しくしてもらえるだろうと高をくくって接してくる方を無条件に受け入れることは私は致しません。

私はこの姿勢で今の部数までたどり着きましたので、この姿勢を変えるほうが「私がお客様として大切にしたい方々」への変節となります。

私は自分の主義信条で商いをし、それで商いが立ちゆかなくなったら店を畳みます。最初からその覚悟でやっておりますので、ご心配はいただくに及びません。

 

・「ファンに対する言論弾圧だ! 表現の自由を書いた作品の作者なのに!」

表現の自由は「何を言ってもいい」「どんな騒ぎ方をしてもいい」ということではありません。

自由と義務はセットです。

 

おまけで「芸能人としての影響力を考えるべき」というものもありましたが、私は芸能人ではありません。

 

その後も「続編を願うこともいけないのですか?」という質問が相次ぎましたので、全体的な回答として以下を発表しました。

 

https://twitter.com/arikawahiro0609/status/802888397480046593

①よろしいですか? スタッフさんもキャストさんも、プロとして私の作品の映像化に力を貸してくださったのです

そして彼らは私の作品のためだけに存在しているわけではありません

https://twitter.com/arikawahiro0609/status/802888467092901888

②原作の本編はまだ一巻分が残っています。それも映像化できたらいいね、という願いが「続編の続編」という夢です

しかし、それは圧力やごり押しで叶うものではなく、映像関係者の凄まじい努力に運とタイミングが揃わなくては叶いません

https://twitter.com/arikawahiro0609/status/802888541961191424

③スタッフもキャストもプロです。他の作品には気持ちを切り替えて、全力で尽くします。全く関係ない別の作品にいつまでも「図書戦の○○」を重ねるのは、プロである彼らに対して「失礼」なことです。重ねられた他の作品に対しても、原作があるならその原作者に対しても「失礼」なことです

https://twitter.com/arikawahiro0609/status/802888669145071616

④続編を願うのは悪いことではありません。しかし、「原作者が違う全く別の作品」に繋がりを求め、「答え合わせ」を当事者(スタッフ・キャスト)に求めるのは、欲望の押しつけです。願いは夢のエンジンになりますが、欲望は多くの場合、夢を破壊します

https://twitter.com/arikawahiro0609/status/802888748962693120

⑤「続編の続編」という夢を願ってくださるなら、彼らの「今の仕事」を「今の仕事」として応援してあげてください。運命やタイミングを司る神様は、身勝手な欲望を嫌います。自重を、と私が呼びかけるのは、「続編の続編」という夢を神様に見放されたくないからです

https://twitter.com/arikawahiro0609/status/802888836682350592

⑥私は自分の作品を関係者のキャリアにしてほしいと思っています。しかし、私の作品に出たが最後、いつまでも私の作品を引き合いに出されてしまうのでは、私の作品はキャリアではなく呪縛にしかなれません。私は自分の作品を関係者の呪縛にしたくないのです

https://twitter.com/arikawahiro0609/status/802888965569163264

⑦スタッフ・キャストの自由に飛べる翼に、「有川作品」という呪縛をかけないでください。彼らが自由に飛べる翼で各自努力して、神様がその努力に振り向いてくださったときに、夢は叶うのです

https://twitter.com/arikawahiro0609/status/802889203168120832

⑧自分の言葉が「応援」か「呪縛」か。相手に対して「失礼」になっていないか。「侮辱」になっていないか。SNSで気軽に言葉を発せられる時代だからこそ、発する前に深呼吸して考えてください

以上です

 

これ以上噛み砕いて説明することはできませんので、これでもまだご不満な方は、そもそも私とも私の作品の核心部分とも相性が悪いと判断していただき、離れていただくしかありません。

ファンだから作者に無条件に慰撫してもらえる、というご期待には添えません。

また、わざとのように曲解して極論を述べる方がおられますが、私は続編を否定しているわけではなく、むしろ続編が叶うことを夢見ている側です。

ただし、夢の願い方には節度が必要です。

「他の方の原作作品を軽んじることに繋がる」騒ぎ方は、むしろ夢を遠ざけます。

 

これだけしつこく私が説明するのは、
「曲解されたら嫌だからこの要素を避けよう」という自主規制が制作側に発生してしまうことがあるからです。
自主規制の行き着く先に言葉狩りがある、私は図書戦で正にそれを書いたつもりです。

 

「でも公式が繋がりを煽ることもある!」と仰る方もおられますが、その場合はそれこそ脚本家さんが仰るように「原作者繋がり」「キャスト繋がり」などの繋がりがあります。

続編を願う人同士が集まったとき、再会を祝することはもちろんあります。
しかし、その場合は公式がどこかで触れますし、パロディとはっきり分からせたい作品はそのような演出が為されています。

「あの作品のゴールデンコンビ(監督×脚本家など)が再び!」というようなセールスのキャッチコピーに使いたい場合も、同じく「はっきり分かるように」告知がされます。
ノーコメントの場合は突撃せず、そっと偶然を楽しみましょうねという話です。
でないと、再会を祝することさえ腰が退けてしまうようにもなるのです。

私は続編を願う人同士が再会を祝する様子を楽しみたいし、見せてほしい。

だからこそ、何でもかんでも図書戦に繫げて関係者に「直接」突撃することは自重してほしい、と訴えているのです。

「また他の原作者さんに失礼になるような突撃をされたら困るから、有川作品の場合は再会を祝することも自重しよう」

「カミツレは図書戦ファンに突撃されるかもしれないからNGで」

「10/19という数列も図書戦ファンに突撃されるかもしれないからNGで」

という自主規制が制作側に発生しないようにです。

 

報道やネットの無軌道が自主規制を呼び、それが行き着いた先としての言葉狩りの世界を書いたのが『図書館戦争』です。
「もう黙ってればいいのに」と仰る方もおられますが、この問題については、私は言葉を尽くさずに投げ出すわけにはいかないのです。


以前も引用したジェフリー・ディーバー著『ロードサイド・クロス』(文春文庫)の序文を引用します。

「インターネットとそこにおける匿名信仰は、他人についてどのような発言をしようと、優しく守ってくれる毛布の役割を果たしている。そういった意味では、インターネットはほかの何よりも、言論の自由を逆手に取って、言論の自由という概念を道徳的に冒涜していると言えるだろう」

 

黙っているのが一番得で一番楽。
それでも若い人がネットの「匿名の毛布」の恐ろしさに気づいてくれることがあるから言います。
言葉を諦めるのは言葉を使い尽くしてから。

私なりに言葉を尽くした結果がこのblogだとお考えください。

 

追記

「最初からこうやって説明したらいいだろう!」と仰る方がおられますが、最初の数列の方は恐らく反省なさって自分の呟きを削除しておられたご様子だったので、私としては冒頭2つのやんわりした示唆で収めたい思いがありました。

できれば最初の示唆で察して頂き、話題が流れてほしかったので、発端のやり取りを名指ししてはいないものの、こうしてblogで経過を残さなくてはならなくなったことは、私にとっては本来不本意なことです。

あと、直接やり合った人以外に対しては特に怒ってはいないんですよ、ということも附記。

①~⑧までの呟きに関しては、お答えした方に向けても怒ってはいません。

「この人やこの人と同じ疑問を抱く方にきちんと理解していただかなくては」とむしろ感情を廃して説明に徹しています。

https://twitter.com/arikawahiro0609/status/803113304176529409

理屈と情緒を両立させた文章を書けるだけの技術がないというだけの話で、技術のなさについては大変申し訳ありません。

 

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