「はい」と「はいはい」。この大きな溝。
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布の力久磨衣(くまい)の安達美和です(^◇^)
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賛同・肯定を示す「はい」という言葉は、なぜか2回続けるといい加減に見えてしまいます。なぜでしょうか。
不思議じゃありませんか? 前から思っていました。「はい」だと何も思わないのに、「はいはい」だと、聞いちゃねーなとなぜか感じてしまう。「分かった」だと嬉しいのに、「分かった分かった」だと、なんだか悲しくなってしまう。
肯定を示す言葉を2回も使ってくれているのに、なぜか1回の方が良い。
1回で十分と思う。
おまんじゅうをいただけるとして(シュークリームでもかまいません。お好きなお菓子で考えてください)、1個よりも2個いただけた方が嬉しくありませんか? 1個もらえるだけでも嬉しいのに、2個ならさらに嬉しい。それが3個ならさらに嬉しい。500個だと困りますが、1個よりは確実に2個の方が良い。
だけど「はい」は違います。「分かった」も違います。これがもし、2回ではなく3回、4回と増え、さらに無数に増えたなら、それはもう昭和こいる師匠です。(もしご存じなかったらリンクから動画をご覧ください)
こいる師匠の「はいはいはいはい」を聞いて、「なんて人の話をよく聞いている紳士だろう」と思う人はいないはずです。「聞いちゃねーな」と。「全然人の話を聞いてない面白い人だな」と。こいる師匠のそれは笑わせることが目的の漫才で使われていますから不快と感じる方はいないけど、これが現実だったら、なかなかの衝撃です。
いえ、常々、似ているなぁと思っていたものですから。FBなどで、どんな投稿にも「いいね!」を押されている現場を見ると、かえって、この方は投稿をよく見てないのだろうなぁ、と感じられることがあるんです。(この先これを、「こいる師匠状態」と呼ぼうと思います)
何かコメントがあったり、たまに「すごいね」「悲しいね」などの別の反応があるとまた印象が違いますが、不思議なもんですね^^;「いいね!」をどういう意味で押しておられるかは人それぞれで、「投稿見たよ」「いつも見てるよ」の気持ちで使ってらっしゃる方もたくさんいることと思います。わたしもそうですし。
なんだけど、明らかに「いいね!」ではない投稿内容にも「いいね!」されている様子を見ると、あ、この人は本当は興味がないのかもしれないなと、感じてしまうことがあります。だから、特にその投稿とかその人にあまり興味がない場合は、何も反応しなくてもいいのかもしれません。
「反応しない投稿を作る」というだけでも、自分の価値観や人となりが分かって、かえってコミュニケーションになると思うんです。コミュニケーションは、受信と発信で成り立ちますが、発信以上に受信が大事だという考え方があります。相手の意図や伝えんとしていることをまずキャッチした上で、自分も投げ返す。この考え方、賛成です。なぜなら、しっかり意図を受けとめてもらえると、その受けとめてもらえた側は、次に投げ返された発信を、実に気持ちよく受け取ってくれるからです。
あなたがちゃんと聞いてくれたから、わたしもちゃんと聞くね、と。
だからね、投稿を見た上で、きちんと「いいねを押さない」という選択をするのは、とても誠実なんじゃないかなと。お友達の多い方は大変だと思うんですけどね^^;いずれにせよ、SNSって人となりがけっこうモロに分かるから、たくさん「いいね!」しているのに、周囲に興味がないということはバレていたりするものです。興味がないならないで、良いんですよ、大丈夫! 「わたしはこういう発信には興味がないですよ!」って表明できているんだから。
よろしくないのは「こいる師匠状態」です。
良いですか、「こいる師匠状態」にだけは、お気を付け下さい。
はいはいはいはい……
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全国のお宿で頑張るステキな女性達と、
あだちの必死の変顔が見られます。
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「アレ?あだちとオレってクラスメイトだっけ?」
くらいのラフなスタンスでつぶやいています。
ずんの飯尾の笑いは誰にも似ていない……彼は日本のお笑い界の奇跡だ!
みたいなことばかりつぶやいています。