◆ファッツ!(太っちょ)、 キング(プレスリー)を討(う)つ!♪ | ザ・ブルーズ・ナイト♪~イソノミヤを求めて~

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”イソノミヤ”とは?ギリシャ・イオニア地方のかつての自由で平等な気風の無支配都市であり、伊勢神宮内宮(磯宮)の古い呼び名のことです。

<<ニックネームは"Fats"(太っちょ)!>>



彼は9人兄弟の内のひとりでした。




「ホウ!子沢山のご家庭でしたネ!」




そうですね。そして、

*クレオール(ルイジアナ)の

フランス語が

ファースト言語だったそうです。





*ルイジアナ州におけるクレオールとは?

1803年のルイジアナ買収によって
米国の一部になる前の、

フランス領ルイジアナ時代の
移住者を先祖に持つ全ての人種
及び異人種間の混血の人々、

またはこれらの人々の
独自の文化とクレオール料理を指す。




「なるほど。

クレオール独特の文化の影響を

彼も受けたのでしょうネ!」





そうですね。

更に彼の父は

有名なバイオリン奏者で

彼は幼い頃から

父の演奏に触発されたそうです。




(彼の父は有名なバイオリン奏者で
彼は幼い頃から父の演奏に触発されたそうです。)





「O H ! いいですね。」


「でも、幼い頃からプロの音楽に

慣れ親しんでいるなんて、

いや~!実に恵(めぐ)まれた環境です。」






そうですね。

しかし結局、彼は

ジャズ・ギターリストの叔父から

ピアノの演奏を学んだそうです。





「ホウ!」


「父親だけではなく叔父さんも

プロのミュージシャンでしたか。」






そうです。

そして彼は叔父さんから

ニューオリンズの音楽シーンに

導入されたのでした。





「ウ~ン!実にテンポの良い展開です。」





彼は10歳になるまでには

シンガー&ピヤニストとして

すでに演奏していたそうです。





「それは素晴らしいです。」

「歌舞伎界における

子役デビューでしょうか?」





そうですね。

そう形容しますと

裕福な家庭を想像しそうですが、


彼の場合、

音楽のみで身を立てるホド

ではなかった様です。




「と、言いますと?」





14歳の頃、

彼はハイスクールを中退して、



工場で働いて、

氷を引っ張ることなどの

半端仕事で働きを始めたそうです。




そして、その一方で、

人前に出るために

夕方にはわずかなお金のために

音楽を演奏したのだそうです。





「それは失礼しました。」

「彼!

なかなかの苦労人だったのですね。」





そうですね。

そんな彼にある出会いがありました。




「ホウ」





それは1947年の夏です。


誰かがあるバンドリーダーに

彼の演奏を聴くようにと

誘ったそうです。




「なるほど」





そこで彼の演奏は

バンドリーダーに

十分に印象づけたそうで、


彼はニューオリンズのクラブで

バンドに加わって

一緒にプレイするコトになったのです。





「 O H ! 」

「サクセス・ストーリーの始まりですネ!」






そうです。

更に、そのバンドリーダーは

有名ピアニストのFats Wallerと



(Fats Waller



☆Fats Waller - Ain't Misbehavin' -
Stormy Weather (1943)♪




Fats Pichonを



(Fats Pichon)



☆Yo-Yo (Novelty). Walter "Fats" Pichon ,
Henry "Red" Allen , Teddy Bunn ♪




彼のイメージに重ねて

彼に "Fats"(太っちょ)の

ニックネームをつけたのでした。





<<ファッツ・ドミノ登場!>>



今回ご紹介するアーティストは

ファッツ・ドミノです。



(今回ご紹介するアーティストはファッツ・ドミノです。)





1949年頃までには彼は

一人でかなりの観衆(ファン)の

支持を得ていたそうです。




「いいですね。」

「彼はこの2年で

着実に実力をつけてきたのですね。」





そうですね。

そこに彼にはまた出会いがありました。




「ホウ」

「それはどの様な?」





それは、

ちょうどレーベルが倒産して

新たなレーベルに編曲家、

バンドリーダー

そしてタレントスカウトとして

雇われたDave Bartholomew

との出会いでした。



(Dave Bartholomew)




「あぁ!リズム・アンド・ブルーズ、

ビッグバンド、スウィング・ジャズ、


ロックンロール、

ニューオーリンズ・ジャズ、

ディキシーランド・ジャズなどの


数多くの音楽ジャンルで活躍した

マルチ・タレントの彼ですね。」






そうです。

その新しいレーベルで彼と

バーソロミューのコンビは

大活躍をするのでした。




「 O H ! 」




1949年、

インペリアル・レコードより

"Detroit City Blues"でデビュー。



B面に収録された

"The Fat Man"

がR&Bチャート2位の

大ヒットを記録!


(Fats Domino"The Fat Man")




この曲は1953年までに

100万枚をセールスしたのでした。




「それは

初期のロックンロールとしては・・・。」





そう!大記録です!!



それからと言うもの

彼とバーソロミューは、



長年のR&Bヒット曲と

トップ100のレコードを

濫造し続けたのでした。





「 O H !」

「まさにアメリカン・ドリームですネ!」






ハイスクールを中退して

工場で働いていた14歳の頃からしますと

まさにそうですね。








<<カバーに先を越されて>>




そしてドミノは最終的に

トップ10ヒット曲


"Ain't That A Shame"(1955年)



(Fats Domino"Ain't That A Shame")




ポップの主流に交差した

と言われていますが・・・。




「ハイ」




Pat Booneにカバーされたヴァージョンは



(Pat Boone"Ain't That A Shame")


☆Pat Boone"Ain't That A Shame"♪




彼のオリジナルが

No.10に到達する間に

ポップ・チャートの

No.1を達成したのでした。






「その様なケースは過去にもありましたね。」

「Big Mama Thorntonとか・・・。」





ビッグママ・ソートン。

彼女の曲”Hound Dog”は、


(Big Mama Thornton -”Hound Dog”)



☆Big Mama Thornton - Hound Dog♪





1953年に全国的にリリースされて、

すぐにR&Bチャートのトップに

立ったにもかかわらず、



彼女の取り分は

わずか500$でした。






でも、1956年にカバー・リリースされた

エルビス・プレスリーの曲は、



(Elvis Presley ” Hound Dog”)



☆Elvis Presley - Hound Dog 1956♪




彼に対しては

名声とかなりの経済的報酬の

両方をもたらしたのです。





「そうでした。」





でも、今回の彼の曲の場合も、

パット・ブーンの方が

人種的に分裂した時代に,



ラジオ放送で

広く受け入れられた

と言うコトもあるでしょうが、



明らかに白人受けする

聴きやすさはありますね。




「白人マーケット強(つよ)しですか。」




そうかと思われます。

でも、逆のケースもありました。




「それはどの様な?」





1940年の Vincent Rose,

Al Lewis & Larry Stock の曲,

"Blueberry Hill"


1956年での彼のバージョンは



(Fats Domino "Blueberry Hill")




トップ40でNo.2を達成して、


R&Bチャート11週連続No1で

彼の最大のヒット曲になり、



更には1956年~57年までに

世界中で500万枚以上ものセールスを

記録したのでした。





「 O H  !」

「それは凄いですネ!」





実はその曲、

過去にGene Autry


(Gene Autry"Blueberry Hill" )




 Louis Armstrong


(Louis Armstrong"Blueberry Hill" )





Elvis Presley


(Elvis Presley”Loving You")




その他の間で録音されていたそうです。




「 O H ! 」


「プレスリーのヴァージョンも

あるのですネ!」




「これはひょっとしますと。

”*江戸の敵を長崎で討(う)つ”

ではないでしょうか!」





*江戸の敵を長崎で討つとは?

意外な場所や筋違いなことで、
以前受けた恨みの仕返しをすることのたとえ。

また、関係のない者を討って
気を晴らすことのたとえ。





なるほど。

ビッグママ・ソートンの敵(かたき)を

彼(ドミノ)で討(う)つですか。




(ビッグママ・ソートンの敵(かたき)を
彼(ドミノ)で討(う)つですか。)





「そうですね。

でも、敵(かたき)を討(う)つ

と言いますが、

あくまでもこの場合は

セールスにおいてですが・・・。」






それは、そうですね。





「それにしても、

なるほど。同じ曲でも

それは聴く側によるのか

マーケティングのよるモノなのか、


それは分かりませんが、

こんなにもセールスに

関わってくるのですネ!」






そうですね。



そして彼はR&Bチャートで

トップ10で40曲ランク・インして、


レーベルのために

60曲以上のシングルを録音して、



そしてポップ・チャートで

10枚のシングル曲が

トップ11位に記録されているそうです。



更に彼のレーベルでの

22枚のシングル曲は

両面ヒットだったのでした。






「それは凄いです。

まさに破竹(はちく)の勢(いきお)いとは

このコトではないでしょうか?」







<<レーベルを去るとき、それは今!>>




そうですね。


そんな彼も1963年には

レーベルを去るコトになります。




「それはどう言う経緯(いきさつ)から

なのでしょうか?」





そうやらレーベル側が彼の曲を

仕事以外の興味で販売していたそうです。





「なるほど。」

「それで彼はそのコトを

快く思わなくて・・・。」





そうです。

それについて彼は

1979年にこうクレームしています。




”彼らがすべて売り払うまで、

私は彼らから離れなかった。”


と・・・。





「制作した彼としては

時間もおそらくは身も削って

生み出した作品たちですからネ!」






そうですね。


そして彼はレーベルを離れると共に

長年の協力者、


バーソロミューのいないレーベルへと

移っていったのでした。





☆FATS DOMINO Helping Hand 1955  ♪


☆Fats Domino - I Hear You Knocking ♪


☆Fats Domino :
My Girl Josephine ( 1960 ) ♪



☆Fats Domino - Kansas City ♪


☆Ain't That Just Like A Woman -
 Fats Domino ♪





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