ある人の性質を判断するのは、本人ではなく、相手(たち) | おもに読書記録

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療養日記。

いや、それを決めるのは受け取る側だから。と言いたくなるときがしばしばある。

 

「おれってすげえだろ」いや、それを決めるのは受け取る側だから。「俺は頭がいい」いや、それを決めるのは受け取る側だから。「俺は性格が良くてやさしい」いや、それを決めるのは受け取る側だから。「俺は怒ってなんかいない。悪いのはお前らだ」いや、それを決めるのは受け取る側だから。

 

誰々がすごいということを決めるのは、本人ではなく、受け取る側。本人以外に誰ひとりとして、その人のことをすごいと言わないのであれば、その人はすごい人ではない。

 

誰々が頭がいいということを決めるのは、本人ではなく、本人以外の人たち。いくら本人が「おれは頭がいいんだ」と偉ぶっていても、本人以外に、本人のことを頭がいいと評価する人が誰もいなければ、彼は頭はよくない、ということになる。

 

まあ、こんな調子で、「俺は性格もいいし、やさしいよ。」とか言っている人を見ると、いやいや、それを決めるのはわたしたちであって、あなたではない、と抗議したくなる。

 

このすごい大気焔を上げて、大声で怒鳴りまくっている人に、「言い方がきつい。もっと落ち着いたしゃべりかたをしてもらいたい」というと、「俺は怒ってはいない。お前らは俺を怒っていることにして、悪者に仕立て上げるのか。悪いのはお前らだ。」というふうに返ってくる。こういう場合も、いやいやいや、あなたが「怒っているという事実」ということは全く重要ではないの!問題なのは、あなたの意図がどうであれ、結果的に相手に威嚇的な印象を与えているのであれば、それは事実的に威嚇的な表現なのであって、受け取り手のリアリティのなかでは、それは威嚇以外の何物でもない。

 

まあ、こういうことが理解できていない人は、押しつけがましく、一方的で、傲慢なんだな。「お前がいうことじゃねえだろ」と思うことがある。相手の立場に立ってものを考えるという発想がない。