2011.12.12
計測機器 DoseRae2(γ線のみ計測のシンチレーター使用)
木造建物2階建
自宅室内(2階) 0.05~0.07μSV
自宅寝室(2階) 0.07~0.09μSV
これは5月に一度、ネットに載せた文章なのですが、あれから少しだけ状況も変わり追加、修正をしたので、長文になりますが、こちらに載せておこうと思います。
5月から7ヶ月近く経ちましたが、現状はあまり変化がないように見られるのが残念でなりません。
チェルノブイリ事故とは・・・
1986年に起きたソビエト(現ウクライナ)の原子力発電所の事故です。
まず事故当時のチェルノブイリの事故で放出された放射線の量は毎時60ミリシーベルトだそうです。
(外です)
(以前放送されたMrサンデーの内容を信用するとですが)
高汚染された瓦礫などは2000レントゲン=20000ミリシーベルト=20シーベルトです。
現在日本で一番高かったのが、1号の建家内で2000ミリシーベルト(2シーベルト)なので、そう考えると瓦礫などのある外でも10倍はチェルノブイリの方が酷かった事になります。
また、燃料棒が溶けてできた塊、いわゆる「ゾウの足」がある場所は放射線量は8000レントゲン=80000ミリシーベルト=80シーベルトです。
写真を撮ったカメラマンは撮影した年に亡くなっています。
(象の足)
その後、避難が終った午後5時には 360~1,000ミリレントゲン/時に上昇したいたようです。
ちなみに100レントゲンで吐き気、嘔吐などの急性症状が出るそうなので、恐ろしい数値です。
レントゲンをシーベルトに換算するのは難しいそうですが、1000ミリレントゲン=1レントゲン=おおよそ10ミリシーベルトのようです。ミリですよ、マイクロじゃなくて、ミリ!ちなみにマイクロにすると、10000マイクロシーベルトです。
その中で町の人は普通に学校へ行き、外で遊び、日光浴をし、何だか今日は軍人や警察が多いなと疑問に思っていたそうです。
原発の事故の火事を見に行っていた人たちもいたそうです。
ざっと計算すると、3日間24時間外にいた場合、最高値で400ミリシーベルト位になります。
少ない数値で計算しても132ミリシーベルトになります。
一般の人が3日で浴びるにしては大きな数値だという事が分かります。
急性被曝した場合には白血病が増えると言われています。
事故から3日後に町の人たちは、「3日間だけ避難する」と言われ避難します。
その後帰れることはありませんでしたが・・・
その後も、非難した人たちは放射線に晒され続けます。
それは余りに広範囲で汚染が広がっていたため、安全だと思って避難していた場所が実は高汚染されていたのです。
その事を住民が知らされるのは、それから更に数年後になります。
それまでは、何も気にせず、自給自足の食事をし、川の水を飲み、森のキノコなどを食べ続けていた事になります。
チェルノブイリから200キロ離れたロシア領にあるノボジブコフは現在でも毎時1ミリシーベルトです。
いわゆるホットスポットですね。
今でも当時と変わらず4万人住んでいます。
その中の6割に何らかの甲状腺の異常が現れているとの事。
数時間で日本の年間被ばく量の上限を超えてしまう。
(NHKのワールドWaveトゥナイトより)
現在のベラルーシの放射線量も調べたのですが、場所により違います。
ミンクス辺りで0.1マイクロシーベルト。
ゴメリ辺りは0.62マイクロシーベルト。
25年経った今の状態です。
ミンクス辺りでは左程放射線量が高くないのに、何故病気の子供が多いのか。
被曝した親から生まれた為、遺伝子に傷がついているためなのか・・・
それとも現在でも食物が汚染されていて、そう言ったものを食べて内部被曝しているからなのか・・・
それは今後調べたい課題の一つです。
また、チェルノブイリの汚染地図が出来上がったのは事故から3年後ベラルーシが作成したとの事。
今回の福島の事故のように数ヶ月の物ではないようです。
(10年後に出された物だという記述もありましたが、今回は早い方を信じます)
更に30キロ圏外の人たちが避難したのは事故から3年後でやはりこれもベラルーシが決めたそうです。
更に55.5万bq/㎡という数値もベラルーシが決めたものだそうです。
という事は、高汚染地域の方や飯舘村、浪江町の住民は現在避難中ですので、チェルノブイリよりもかなり早い段階で避難できた事になると思います。
またチェルノブイリ事故の時、55.5万bq/㎡の汚染地域の人達が全員避難したかと言うと、全くそうではありません。
最初に書いた、ノボジブコフなどはその例になります。
現在も毎時1ミリシーベルトを計測する高放射線地域なのに、当時も今も同じ人数の住民が住んでいます。
それは素人の私が判断する所ではないのですが、色々な情報を集めた結果、チェルノブイリのような広範囲に渡る大爆発ではなく、小さな爆発だった為に広範囲に分散する事なく、局所的に汚染されたのではというのが妥当な気がします。
また、チェルノブイリ事故で放出された放射性物質は希ガス(キノセン)は100%、ヨウ素20%、セシウム10%と言われています。
10%の放出でこの汚染なので、半減期が5日のキノセンが主だったのはある意味では不幸中の幸いだったのかもしれません。
最後にチェルノブイリ事故の時に放出された放射線量が実は本当はもっと多いのではという事。
上記の記事を書いている中西哲二准教授が15年前に纏めた資料の中でも、放射能放出が終息したと言われている5月6日以降にも、実はかなりの放射能放出があったことを示唆する敷地上空の空気中放射能測定データが最近になって明らかにされていると書いておられます。
爆発後に何人も急性症状で亡くなっている事、10キロ圏内の森が赤くなり木々が枯れ果てた事実、大量の放射線を大人数が数日で浴びていること、更に旧ソ連の隠蔽体質など今の福島事故とはやぱり比べられないと思っています。
ただ、原発から30キロ圏内の方や、30キロ圏外でも高汚染地域の方は、やはり避難出来ればするべきだと思います。
そしてまだ収束していないのも事実。
このまま放射性物質を放出し更なる爆発が起きることがあれば、チェルノブイリを超えることもありえると思っています。
私の幼なじみの放射線癌治療を専門としている医師に今回の放射線被曝の件を聞いてみました。
当時、幼なじみの子供は2歳になったばかりですが、普通に外で遊び、アスファルトにも座ったりしています。
(じゃがいも、さつもまいもはセシウムが移行しやすいので、原発付近の物は避けた方がいいと言っていましたが・・・)
毎時1ミリは幾ら何でも酷いし、本当なのか信じられず、NHKのワールドWaveトゥナイトに問い合わせをしました。
その返事には、「残念ながら本当の事です」とのお返事でした。
そう考えると、やはりチェルノブイリ事故は発表されている数値より遥かに高い放射性物質を放出していたのかもしれません。
日本がそうならない事を今は祈るばかりです。