3月10日の明朝、米軍爆撃機B29は東京の下町の人口密集地に焼夷弾など投下。

無差別攻撃によって推定10万人以上の市民が犠牲になりました。

私の祖母も当時被災し、台東区から逃れようとしている市民と、墨田区から逃れようとする市民が橋の上でもみあい、すし詰め状態になったところ、火災による竜巻により、次々に火が燃えうつり、橋が真っ赤になった情景をみたこと。その後終生その橋を渡ることはなかったことを話してくれました。

 

焼けて亡くなってしまった方達ばかりではなく、燃え広がる街から逃げようと、路地へ路地へと逃れた人たちは、火災による酸欠状態で亡くなる方も多く、顔の綺麗な、真っ白な亡骸も多かったと被災された方にききました。

 

あれから72年が経ちますが、区内には当時のことを覚えている方が多く、「戦争はもう二度とごめんだ」「戦争で無くなるのは女、子どもばかり」とおっしゃいます。

 

東京大空襲によって亡くなった方の年齢別死亡者数の調査では、被害者のもっとも多かった年齢は0歳〜4歳児の乳幼児です。その次に多いのは15~19歳、続いて5~9歳で20歳前の男女が空襲による死亡者の4割近くに及んでいます。

 

生き延びた子どもたちの多くは戦災孤児として施設に預けられ、親戚を頼って他県へ引っ越した方も差別やいじめにあったと、地域を回る中でたくさんききます。「三度餓死しかけた」という方もいらっしゃいました。

 

「二度と戦争は繰り返してはいけない」

毎年祖父母の言葉を思いかえし、亡くなった方達への思いを馳せる日です。

 

 

そして今日、東日本大震災から6年が経ちます。

福島第一原発事故からも6年が経とうとしています。

 

あの日、ナナさんは歌の練習のため自宅に。

仕事を早めに終えて帰ろうかと電話をして切った直後、大きな地震が。

その後電話はつながらなくなり、テレビ画面を見ると大きな津波が。

宮城県や岩手県の友人の状況も心配になりながら、電車が止まっているため、

新宿から徒歩で4時間かけて帰ることに。都心へ向かおうとする流れと、私と同じように、逆方向へ進む流れ。電話ボックスには人の列。携帯が繋がらないまま不安になりながらも直進するしかないまま、歩いて家へ。

 

20時過ぎに家につき、地震があってからのことを話しました。

テレビで流れる震災の現状。朝起きてカーテンを開けると、徒歩で家路につく人たちの姿と、車の大渋滞。気持ちを変えようと散歩へ出て、スーパーへ行くと、商品の陳列棚はスカスカの状態に。

 

3月13日、自転車で新宿の職場へ向かい、会議をしていると「福島第一原発で水素爆発が起きた」と連絡が。3月15日に妻と子どもは山口県の妻の実家へ。

 

あの日、あの時のことは今でもよく覚えています。

あれから6年が経ちました。

被災地では、住宅再建も、地盤のかさ上げによる商店街や中心街の再建も、

まだまだ道半ば、今も12万人の被災者が不自由な避難生活を続けています。

 

「夢だったログハウスを建てて数年と経たず原発事故が。これでは暮らしていけないと子どもを連れて実家へ。家族バラバラの生活は今も続いている。私たちの生活、私たちの夢をかえしてほしい」

放射能から子どもを守る会の講演会でお話しくださった方の話は忘れられません。今も大きな地震があると、その日一日動機がおさまらないとおっしゃっていました。

 

 

3月10日、3月11日。

72年前と6年前にあった、戦災と震災。

時代は大きく異なります。しかし、

共通することがあるように感じてなりません。

「人災」という視点です。

 

侵略戦争の結果おきた東京大空襲。

木造住宅の多い下町を爆撃対象としたのは焼夷弾の効果を実験するためという報告もあります。米軍による無差別爆撃は許されることではありません。当時の国際法でも民間人に対する無差別攻撃は禁止されていました。

 

しかし、なぜそのような惨事が起きてしまったのか。

日本がおこした侵略戦争が根本的な原因でもあります。

市民は防空法によって、空襲が起きても市民は逃げるな、

火を消せと義務付けられていました。

政治が多くの犠牲者をだしました。

 

東日本大震災、その後の福島第一原発事故。

なぜ今もなお12万人の被災者がいるのか。

仮設住宅からでていくことができない、住み続けるしかない方が

大勢いらっしゃいます。

なぜ生活が再建されないのか。事故関連死が増え続けるのはなぜなのか。

過酷事故は起きないとされた原発事故がどうして起きたのか。

国会の中で津波による電源喪失は指摘されていたにも関わらず無視をした。

安倍政権の責任は重い。

 

ここにも政治の問題があります。

いつも犠牲になるのは市民です。

人間が起こしたことは、人間がとめること、変えることができます。

一方で変えられない事実もあります。亡くなった方達は戻りません。

亡くなられた皆さんの思いを忘れず、二度と同じことが起きぬように、

歴史から学び、これからに生かしていく、いかなければならない。

 

思いを新たに、今日も踏み出していきます。

 

 

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