あなたにとって、

一見、まったく違和感がなかったり、

おかしいと感じないことについて、

「それはおかしい!」と抗議する人がいますよね。

で、あなたはそれを見て、

「なんでそんなに怒ってんの?」と思ってしまう。

 

沖縄基地や、原発など、

社会問題なんかで、よくある光景です。

 

それはどういう現象か、というと、

「知っている人と知らない人のズレ」という現象です。

 

違和感を感じていない人は、

ある人にとってとても捨て置けない重要な、

違和感の原因となる出来事や、

その意味をまだ知らない、ということ。

 

そこから起こる「自分事と他人事」のズレです。

 

逆に言えば、そこを知ってしまえば、

急に世の中の景色がちがって見えることがある、

ということなのです。

 

 

このことを、例えば「公人による靖国参拝」

という問題で見てみましょう。

 

総理大臣などが靖国神社に参拝することに、

猛反対する人がいます。

 

逆に、「別にいいじゃん」という人もいます。

 

後者の代表的な意見は、

「日本のために戦って死んだ人を慰霊して、何が悪いんだ?」

というものです。

 

それに対して、反対している人は、

戦死者の慰霊をするな、と言っているのではない。

 

まず、そこにズレがあります。

 

日本のリーダーが、過去の戦争で亡くなった方々の

慰霊をするとしたら、誰一人文句は言わないでしょう。

 

そのためには、例えば広島や長崎の平和祈念公園や、

沖縄のひめゆりの塔などの

慰霊のための施設に行けばいいのです。

 

総理がそうした慰霊をすることに反対するなら、

「戦死した人の慰霊をして、何が悪いんだ?」と私も思います。

 

問題は、「靖国神社」というものが持つ政治的な意味であり、

そこを知っているか、いないか、ということで、

その景色が持つ意味がちがって見えてくるのです。

 

知る人と、まだ知らない人。

そのギャップを埋めてみたいと思います。

 

 

皆さんは、靖国神社がなんのためにあるか、

ご存知でしょうか?

 

ご存知ない方のために、

できるだけ恣意的ではなく、客観的に、

わかりやすくお伝えしたいと思います。

 

まず、前提として、「神社」というものは、

亡くなった人を慰霊するための施設ではありません。

 

慰霊とは、亡くなった方を、まだ生きている人が

「可哀想に」「辛かったね」と慰める行為ですよね。

 

亡くなった方に、

生きている人間が情けをかける、という図式です。

 

それに対して、神社とは、

神様にお願い事をするための場所です。

 

合格祈願、安産祈願、恋愛成就。

なんでもいいですが、なにか自分に実現したい希望があるとき、

それが叶うことを、神様という、

上の立場の存在にお願いしに行く場所が神社です。

 

神社にはいろんな神様がいて、

死んだ人を神様として祀っている神社もたくさんあります。

徳川家康を祀った日光東照宮とかね。

 

死んだ人を神様として祀る場合があるので、

「慰霊」と混同されやすくなるのですが、

神社にいるのは、あくまでも神様です。

仏様(死んだ人)ではありません。

 

まず、それが前提です。

繰り返しますが、神社は亡くなった人を慰める場所ではない。

神社にいるのは、慰められるべき哀れな人ではなく、神様であり、

神社とは、そんな神様にお願いごとをしにいく場所なのです。

 

 

さて、そのような理由から、靖国神社は、

戦死者の「慰霊」のためにある施設ではありません。

 

戦死した人を神様として祀って、

その神様にお願い事をする場所だ、ということです。

 

靖国神社は英語でWar Shrine、

つまり「戦争神社」と言うのですが、首相の靖国参拝とは、

国家のリーダーが戦争神社になにをお願いしにいっている、

ということなのですね。

 

もちろん、口では「慰霊」と言ってますが、

それは国民を煙にまくためで、

やってる本人はちゃんと意味をわかっているのです。

 

 

次に、靖国神社は、いったい誰を神様にしているのか?

ということです。

 

「日本のために戦争で死んだ人」でしょうか?

 

それは正しくもあり、まちがってもいるのです。

そのことについて、説明します。

 

靖国神社の歴史は、実はまったく古くなく、

明治時代に作られました。

 

日本は明治時代の前までは江戸時代で、

徳川幕府が政権を握っていましたよね?

 

その江戸幕府に、

日本の西の端にある2つのグループが手を組んで、

軍事クーデターを起こしました。

 

そのグループは薩摩(鹿児島)と長州(山口)で、

その軍事クーデターのことを、

御一新、のちに明治維新と言います。

 

薩摩と長州(薩長)の作戦はこうです。

政権を握るために、江戸幕府を倒す。

その正当性のために、天皇の地位を利用する。

「日本を支配すべきなのは、本来は幕府ではなく、天皇のはずだ」

「だから日本を天皇の国に戻す」という主張をもって、

江戸幕府を倒す理由とする。

 

ところが、当の幕府と天皇は、別に仲が悪いわけではなかったし、

天皇は、自分が政治の実権を握りたいとは思っていなかったのです。

 

しかし、薩長にとって、それは好都合でした。

天皇の国だ、天皇の国だ、と言いながら、

実際の実権は自分たちが握る、というのが、

狙いだったからです。

 

天皇の政治利用ですね。

 

こうして薩長は、仲の良かった天皇と将軍の間に対立軸を捏造し、

自分たちこそが天皇の軍(官軍)だ、

と嘘の主張をして戦争を起こしました。

 

戊辰戦争ですね。

 

国家に対する反乱軍から幕府を守る役割を担った会津藩や、

それを中心とした東北の諸藩は

「賊軍」と呼ばれるようになりました。

 

「勝てば官軍」という言葉がありますが、

本来、会津が官軍だったのです。

 

それを反乱軍の方が「官軍」を名乗り、

偽物の天皇軍の旗を作って、相手を騙したのですね。

 

武士道に反する卑怯な作戦です。

そんな手を使って、薩長は「賊軍」を攻めました。

戦争が終わると彼らは会津藩などの賊軍に対して、

略奪や強姦など、非道の限りを尽くしました。

 

そんな目を背けたくなるような明治維新の黒い歴史を

正当化するために、

明治に入ると長州の人々は「天皇の国・日本」という

聖なるストーリーを各方面で作り上げます。

 

そのひとつが、靖国神社です。

 

戊辰戦争を「天皇の国を取り戻す聖戦であった」と

位置付けるために、

その戦争で死んだ薩長の人間「だけ」を神として祀る、

靖国神社は生まれたのです。

 

前置きが長くなりましたが、

靖国神社は戦争で亡くなった人を祀っているのではなく、

戦争で死んだ「薩長の人間」、戊辰戦争の官軍の戦死者を

神と祀るために作られた施設なのです。

 

それは皇国・日本というプロパガンダのためのシンボルなのであり、

「官軍」つまり、天皇のために死んだ人を祀る、という意味で、

その後、第二次大戦の戦死者なども祀られているわけです。

 

その中に、戦争犯罪人であるA級戦犯も含まれるのは、そのためです。

 

戦後、GHQの東京裁判で有罪になり、処刑された人も、

天皇のために死んだ、ということで、神様として祀っている。

 

それが、靖国神社です。

 

 

さて、靖国神社が、戦争で死んだ「薩長」の人間を

神様として祀っている施設だ、ということを知っていただきました。

 

そこで、知って欲しいことが、いくつかあります。

 

まず、明治維新のあと、実は薩摩と長州はケンカします。

その結果、政府の実権は実質的に長州が握ることになります。

日本は長州によってほぼ、独裁状態になる。

 

そこを知ってくださいね。

それともうひとつ。

長州というのは、日本のどこの場所か、ということ。

これは、山口県です。

 

あれ?安倍晋三さんは、どこの人でしたっけ?

山口県ですよね?

 

どうでしょう?

点と点が線で繋がりましたか?

 

安倍晋三さんは、長州の末裔です。

見えますか?

安倍晋三さんの靖国参拝の意味が。

 

靖国神社に参拝するとき、安倍晋三が背負っているものは、

我々が想像するようなものではないのです。

 

長州の人間が、長州の独裁国家を作ったご先祖様を祀った

戦争神社をお参りし、

何かお願い事をしている、ということです。

 

 

今年の所信表明演説の冒頭で、安倍晋三さんは、

今年、2018年が明治維新から150年であること。

その記念行事をやることを伝えました。

 

私たち国民は、明治維新や靖国神社と、

安倍晋三という人物との関係は、

あなた個人のそれとはまったく意味がちがう、

ということが、おわかりいただけるでしょうか?

 

わかると見えてくる、安倍晋三の行動の意味。

明治維新150年の今年、我々日本人は、

明治維新とはいったいなんだったのかを、

もう一度分析し直す必要があるのでしょう。

 

我々が今も暮らすこの日本は、

長州が軍事クーデターで作り上げた国家なのであって、

その日本は、その前までの日本とは分断されています。

 

そして、その長州日本は紛れもなく今も続いています。

 

長州から日本を取り戻したとき、日本の歴史の教科書は、

今まで習ってきたのとはまるでちがう

近代史を伝えることでしょう。