あなたにとって、
一見、まったく違和感がなかったり、
おかしいと感じないことについて、
「それはおかしい!」と抗議する人がいますよね。
で、あなたはそれを見て、
「なんでそんなに怒ってんの?」と思ってしまう。
沖縄基地や、原発など、
社会問題なんかで、よくある光景です。
それはどういう現象か、というと、
「知っている人と知らない人のズレ」という現象です。
違和感を感じていない人は、
ある人にとってとても捨て置けない重要な、
違和感の原因となる出来事や、
その意味をまだ知らない、ということ。
そこから起こる「自分事と他人事」のズレです。
逆に言えば、そこを知ってしまえば、
急に世の中の景色がちがって見えることがある、
ということなのです。
※
このことを、例えば「公人による靖国参拝」
という問題で見てみましょう。
総理大臣などが靖国神社に参拝することに、
猛反対する人がいます。
逆に、「別にいいじゃん」という人もいます。
後者の代表的な意見は、
「日本のために戦って死んだ人を慰霊して、何が悪いんだ?」
というものです。
それに対して、反対している人は、
戦死者の慰霊をするな、と言っているのではない。
まず、そこにズレがあります。
日本のリーダーが、過去の戦争で亡くなった方々の
慰霊をするとしたら、誰一人文句は言わないでしょう。
そのためには、例えば広島や長崎の平和祈念公園や、
沖縄のひめゆりの塔などの
慰霊のための施設に行けばいいのです。
総理がそうした慰霊をすることに反対するなら、
「戦死した人の慰霊をして、何が悪いんだ?」と私も思います。
問題は、「靖国神社」というものが持つ政治的な意味であり、
そこを知っているか、いないか、ということで、
その景色が持つ意味がちがって見えてくるのです。
知る人と、まだ知らない人。
そのギャップを埋めてみたいと思います。
※
皆さんは、靖国神社がなんのためにあるか、
ご存知でしょうか?
ご存知ない方のために、
できるだけ恣意的ではなく、客観的に、
わかりやすくお伝えしたいと思います。
まず、前提として、「神社」というものは、
亡くなった人を慰霊するための施設ではありません。
慰霊とは、亡くなった方を、まだ生きている人が
「可哀想に」「辛かったね」と慰める行為ですよね。
亡くなった方に、
生きている人間が情けをかける、という図式です。
それに対して、神社とは、
神様にお願い事をするための場所です。
合格祈願、安産祈願、恋愛成就。
なんでもいいですが、なにか自分に実現したい希望があるとき、
それが叶うことを、神様という、
上の立場の存在にお願いしに行く場所が神社です。
神社にはいろんな神様がいて、
死んだ人を神様として祀っている神社もたくさんあります。
徳川家康を祀った日光東照宮とかね。
死んだ人を神様として祀る場合があるので、
「慰霊」と混同されやすくなるのですが、
神社にいるのは、あくまでも神様です。
仏様(死んだ人)ではありません。
まず、それが前提です。
繰り返しますが、神社は亡くなった人を慰める場所ではない。
神社にいるのは、慰められるべき哀れな人ではなく、神様であり、
神社とは、そんな神様にお願いごとをしにいく場所なのです。
※
さて、そのような理由から、靖国神社は、
戦死者の「慰霊」のためにある施設ではありません。
戦死した人を神様として祀って、
その神様にお願い事をする場所だ、ということです。
靖国神社は英語でWar Shrine、
つまり「戦争神社」と言うのですが、首相の靖国参拝とは、
国家のリーダーが戦争神社になにをお願いしにいっている、
ということなのですね。
もちろん、口では「慰霊」と言ってますが、
それは国民を煙にまくためで、
やってる本人はちゃんと意味をわかっているのです。
※
次に、靖国神社は、いったい誰を神様にしているのか?
ということです。
「日本のために戦争で死んだ人」でしょうか?
それは正しくもあり、まちがってもいるのです。
そのことについて、説明します。
靖国神社の歴史は、実はまったく古くなく、
明治時代に作られました。
日本は明治時代の前までは江戸時代で、
徳川幕府が政権を握っていましたよね?
その江戸幕府に、
日本の西の端にある2つのグループが手を組んで、
軍事クーデターを起こしました。
そのグループは薩摩(鹿児島)と長州(山口)で、
その軍事クーデターのことを、
御一新、のちに明治維新と言います。
薩摩と長州(薩長)の作戦はこうです。
政権を握るために、江戸幕府を倒す。
その正当性のために、天皇の地位を利用する。
「日本を支配すべきなのは、本来は幕府ではなく、天皇のはずだ」
「だから日本を天皇の国に戻す」という主張をもって、
江戸幕府を倒す理由とする。
ところが、当の幕府と天皇は、別に仲が悪いわけではなかったし、
天皇は、自分が政治の実権を握りたいとは思っていなかったのです。
しかし、薩長にとって、それは好都合でした。
天皇の国だ、天皇の国だ、と言いながら、
実際の実権は自分たちが握る、というのが、
狙いだったからです。
天皇の政治利用ですね。
こうして薩長は、仲の良かった天皇と将軍の間に対立軸を捏造し、
自分たちこそが天皇の軍(官軍)だ、
と嘘の主張をして戦争を起こしました。
戊辰戦争ですね。
国家に対する反乱軍から幕府を守る役割を担った会津藩や、
それを中心とした東北の諸藩は
「賊軍」と呼ばれるようになりました。
「勝てば官軍」という言葉がありますが、
本来、会津が官軍だったのです。
それを反乱軍の方が「官軍」を名乗り、
偽物の天皇軍の旗を作って、相手を騙したのですね。
武士道に反する卑怯な作戦です。
そんな手を使って、薩長は「賊軍」を攻めました。
戦争が終わると彼らは会津藩などの賊軍に対して、
略奪や強姦など、非道の限りを尽くしました。
そんな目を背けたくなるような明治維新の黒い歴史を
正当化するために、
明治に入ると長州の人々は「天皇の国・日本」という
聖なるストーリーを各方面で作り上げます。
そのひとつが、靖国神社です。
戊辰戦争を「天皇の国を取り戻す聖戦であった」と
位置付けるために、
その戦争で死んだ薩長の人間「だけ」を神として祀る、
靖国神社は生まれたのです。
前置きが長くなりましたが、
靖国神社は戦争で亡くなった人を祀っているのではなく、
戦争で死んだ「薩長の人間」、戊辰戦争の官軍の戦死者を
神と祀るために作られた施設なのです。
それは皇国・日本というプロパガンダのためのシンボルなのであり、
「官軍」つまり、天皇のために死んだ人を祀る、という意味で、
その後、第二次大戦の戦死者なども祀られているわけです。
その中に、戦争犯罪人であるA級戦犯も含まれるのは、そのためです。
戦後、GHQの東京裁判で有罪になり、処刑された人も、
天皇のために死んだ、ということで、神様として祀っている。
それが、靖国神社です。
※
さて、靖国神社が、戦争で死んだ「薩長」の人間を
神様として祀っている施設だ、ということを知っていただきました。
そこで、知って欲しいことが、いくつかあります。
まず、明治維新のあと、実は薩摩と長州はケンカします。
その結果、政府の実権は実質的に長州が握ることになります。
日本は長州によってほぼ、独裁状態になる。
そこを知ってくださいね。
それともうひとつ。
長州というのは、日本のどこの場所か、ということ。
これは、山口県です。
あれ?安倍晋三さんは、どこの人でしたっけ?
山口県ですよね?
どうでしょう?
点と点が線で繋がりましたか?
安倍晋三さんは、長州の末裔です。
見えますか?
安倍晋三さんの靖国参拝の意味が。
靖国神社に参拝するとき、安倍晋三が背負っているものは、
我々が想像するようなものではないのです。
長州の人間が、長州の独裁国家を作ったご先祖様を祀った
戦争神社をお参りし、
何かお願い事をしている、ということです。
※
今年の所信表明演説の冒頭で、安倍晋三さんは、
今年、2018年が明治維新から150年であること。
その記念行事をやることを伝えました。
私たち国民は、明治維新や靖国神社と、
安倍晋三という人物との関係は、
あなた個人のそれとはまったく意味がちがう、
ということが、おわかりいただけるでしょうか?
わかると見えてくる、安倍晋三の行動の意味。
明治維新150年の今年、我々日本人は、
明治維新とはいったいなんだったのかを、
もう一度分析し直す必要があるのでしょう。
我々が今も暮らすこの日本は、
長州が軍事クーデターで作り上げた国家なのであって、
その日本は、その前までの日本とは分断されています。
そして、その長州日本は紛れもなく今も続いています。
長州から日本を取り戻したとき、日本の歴史の教科書は、
今まで習ってきたのとはまるでちがう
近代史を伝えることでしょう。