ところで、この「拈華微笑」の話は『大梵天王問仏決疑経(だいぼんてんのうもんぶつけつぎきょう)』の中に記されているのですが、実はこの経典はいまだに原典の発見がなく、その上いずれの蔵経にも編入されていませんので、後世に作られた偽経であろうといわれています。
だから、こういう史実があったかどうかは疑問です。
しかし大法を迦葉に付嘱されたということは事実ですから、まったくの架空の話だとも思われません。
むしろこういう話で表現されるようにして、大法が付嘱されたであろうと想像されうるのであります。
まあそういう史的考証は専門家に一任するとして、いまここで工夫してみなければならないことは、釈尊が花を拈じられたご意旨はどこにえるのか、迦葉はなにを感じて微笑されたのかということです。
(つづく)
(※)
「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させて
いただきました。
さまざまな宗教で伝えられる逸話伝説の中に史実がどれくらいあるかと考えると、あまり多くはないのかも知れません。
史実かどうかよりも、その話を通して何を伝えようとしているのかを考える方が大切なような気がします。