6月10日の読売新聞に以下のような記事がありました。


抗不安薬や睡眠薬で急性薬物中毒、4割が過剰処方

 抗不安薬や睡眠薬を過剰服用して意識障害などが表れる急性薬物中毒を起こした患者の約4割が、添付文書で定められた規定量を超える処方をされていたとする調査結果を、医療経済研究機構(東京)がまとめた。

 同機構の研究グループは「処方のあり方を見直す必要がある」としている。

 研究グループは、健康保険組合の加入者172万人分の診療報酬明細書のデータを分析。2012年10月~13年11月の間に、自殺などを目的に多量の抗不安薬や睡眠薬を服用し、急性薬物中毒を起こした210人について、その3か月前までさかのぼって薬の処方状況を調べた。対象者は、うつ病や統合失調症など、精神疾患の患者が多数を占めた。

 添付文書で定められた規定量を超えて処方されていたのは82人で、39%に上った。処方した医師は、精神科医が89%を占めた。

 研究グループのメンバーで国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究部の松本俊彦部長は「患者の求めに応じて医師が安易に処方してしまう傾向がみられる。治療薬が多く患者の手元にあると、乱用につながる恐れがあり命にかかわる。こうしたリスクを考慮し、処方日数や量、種類は慎重に決めるべきだ」と指摘している。

 

「過剰処方」という言葉がようやく出てきました。これまでは常に「過剰服薬」、つまり患者側の責任を問う論文や記事が多かったわけですが、ようやく医師の側の責任として「過剰処方」という言葉が使用されています。これは一応進歩だろうと思います。

 ただ、最後に出てくる松本医師のコメント……「患者の求めに応じて」……重箱の隅をつつくようで申し訳ないが、これではせっかくの「過剰処方」も結局、患者の責任ということになりそうです。

 もちろん、患者が求める場合もあるでしょう。しかし、求めもしないのに、袋いっぱいの薬を処方している医師も、相当いると思われます。

数十秒診療で、「どうですか?」「はい、それではいつもの薬、出しときます」。

 これで患者の手元にはたくさんの薬がたまっていくことになるわけで、何も「求めている」わけではないはずです。「求めに応じて」という言葉の中には、患者を「薬物中毒患者」として見ている医師の視線を感じます。としたら、薬物中毒にしてしまったのは誰なのか? ベンゾジアゼピン系薬物の乱用をしているのは、患者なのか、医師なのか……?

 ともかく、「過剰処方」まで認めたのはよいですが、それ以上の反省にまでは至っていないということでしょうか。




 ときどき電話で話をする女性がいます。かなり長い期間、ベンゾ系抗不安薬を処方され、最終的にこの記事にあるように、「添付文書で定められた規定量を超えて処方され」るようになりました。

患者が薬を求めたというより、飲んでも飲んでも良くならず、それを訴えるたびに薬が増えていったという構図です。こうしたことを松本医師は、「患者の求めに応じて安易に医師が処方している」という状況ととらえているのでしょうか?

 としたら、医師はベンゾの常用量依存を知らないということになります。症状が良くならないからと、際限なくベンゾを処方し続けていては、最終的にどうなるか? そこまで見据えて処方するのが「専門家」の「専門家」たる所以のはず。

 この女性は、薬を飲み忘れたことがきっかけで、ものすごく体調が悪くなりました。飲み忘れから離脱症状が出現して、その後体調がどんどん悪化していくという話はよく聞きます。

 ともかく、そういう状態になった。そのときすでに添付文書で定められた量をはるかに超えた薬を服用しており、少しでもそれを動かすと、たいへんな状況に陥ってしまうほどの体調悪化です。

ちょうどそんなとき、大学病院に通院していたのですが、その主治医が開業することになり、大学病院を去ることになりました。突然の通告で、「今日から私があなたの主治医です」といって現れたのは、よそからやってきた、まったく見ず知らずの「教授先生」です。

 前医からの引き継ぎがあったのかなかったのか……ともかく、新しい教授を受診したところ、これだけの量の薬を出すことはできない、という話になってしまった。なんせ規定量をかなり超えた量です。

 すでに副作用、離脱症状で死ぬほどの思いをしているところに、突然のかなりの量の減薬となったら、命にかかわります。何とか教授を説得して、薬だけは出してもらえるようになりましたが、そうした経緯があってか、教授先生は彼女に厭味たらたら。診察はまったくのおざなりとなりました。

 そうした経緯や体調の悪さもあり、彼女はこのままではいけない、減薬をしようと決意するのですが、それを支えてくれる医師がいない。教授先生はもちろんあてにならず(減薬の必要性を理解していない)、それどころかドクハラのような状態で、診察を受けるたびに彼女は具合が悪くなってしまうほど。

 そこで、彼女の頭に浮かんだのは、長いこと主治医だった、開業した医師の存在でした。何とか頼めないか……そんなとき私は彼女から相談を受け、私がその医師に直談判することになったのです。

 診察室で話したのですが、彼女の名前を口に出した途端、医師の顔色が変わり、交渉の挙句医師が言ったのは、以下のようなことでした。

「○○さんのような重症の方を診るのは、不可能です。ここはクリニックで、入院施設もないし、僕にはとても……力不足で申し訳ないが、診ることはできない」

 ともかく、彼女の離脱症状を以前何度か目の当たりにした医師は、ビビってしまったのでしょうか。厄介払いをしたかったのでしょうか。大学病院ではなく、先生のお世話になりたいと何度頭を下げても、首を縦に振りませんでした。

 この話はまだ継続中の話なので、その時のことや、その後の詳細は書けないのですが、そんなこんなで、ともかく、いまでも彼女の主治医は大学病院の教授先生のままです。

 そして、先日、久しぶりに彼女と電話で話しました。

 私の本を××先生に送ろうと思っているのだけれど……。せめて、自分の辛さや苦しさを伝えたいけれど、自分から送っても受け取ってくれるかどうか……。ということでしたので、それならと、私から本を送ることにしました。

 開業した医師に実際会ったのは、まだ本――『精神医療の現実 処方薬依存からの再生の物語』が出版される前のことでしたので、私もぜひあの医師にこの本を読んでほしいと思いました。

 


 前略

以前、そちらのクリニックにうかがい、○○さんの診察についてお願いにあがった者です。その節はありがとうございました。


 じつは、先生にお会いしてからしばらく経った昨年11月に、本を出版いたしましたので、ぜひ××先生にもご一読いただければと思い、お送りさせていただきました。

『精神医療の現実 処方薬依存からの再生の物語』というタイトルですが、そのタイトルにあるとおり、現在、精神科の処方薬による依存は大きな問題になっていると思われます。

 精神科医は薬を処方はしますが、依存となってしまった患者の減薬にはあまり関心がないようです。

 この本に登場する人たちも、処方薬依存になった挙句に多くが医師から見捨てられ、精神医療をさまよう中で、何とか光を見出して、減薬断薬にこぎつけた人たちです。

 医師の中にはベンゾジアゼピンの常用量依存についての知識をほとんど持たない人が多く、同じ薬を何年も出されている患者さんが結構おります。

結果、薬は次第に増え、あるいは作用の強いものへと変わっていき、最終的に、副作用や常用量離脱等でどうにも手が付けられない状態に陥ると(医師自らの処方で患者をそのような状態にしてしまったにもかかわらず!)、無情にも切り捨てる……そういうパターンが非常に多いと感じております。

 

今回書いたこの本には患者さんの生の声が溢れています。

精神科の先生にはぜひご一読をお願いしたい本です。患者に正面から向き合ってこその精神科であろうと私は考えます。

 ××先生もぜひお読みになってください。

 そして、ご意見をぜひお聞かせいただければと思います。

 また、患者さん自身、精神科について、向精神薬について、知識を身に着ける必要を痛感しておりますので、できましたら、この本を先生のクリニックの待合室の本棚の片隅にでも置いていただければ幸いです。……




 ざっとこのような内容の手紙を添えて本を送ったのですが、数週間経っても、お返事がありません。

 まあ、返事のしようがないような手紙ですから、最初から期待はしていませんでしたが、せめてこの手紙を読んで、何かを感じてもらえればと思っています。

  安易な処方の結果、患者を追い込むことになり、その責任も患者側にあるような医師の物言いが、どれほど当事者を苦しめることになるか、今一度、医師の権限で処方したその事実の重みをかみしめてほしいと思います。

 確かに、離脱症状への対応は難しいものがあります。時間の経過を待つより、当事者の忍耐を期待するよりほか手の打ちようがないことも多いでしょう。しかし、だからといって知らぬ存ぜぬがあっていいはずがありません。

 せめて患者に寄り添い、専門家としての知識を使いながらサポートするくらいのことは、医師ならあってしかるべきです。

 裁判で医師の処方について争っても勝ち目がないということは、処方への責任をもっと重大に考えるべきではないでしょうか。