姫神 ~ 神々の詩

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神々の詩 姫神 大地の風景




三内丸山遺跡のような建造物を夢で見たことがあります。

夢の中の私は「ね?縄文時代に争いはなかったんだよ」と
誰かに話していました。



数年前から、縄文の神々と弥生の神々が、再び交替されたのではないか
と感じていました。

私たちの価値観が変わり、社会が変わり、それに伴って今の時にふさわしい神々が
縄文の神々が、再び主導権を握られたのではないかと思うのです。



以下「独想日本史」高橋克彦 より抜粋


青森・三内丸山遺跡の発掘により、貧しく原始的だと思われてきた
縄文文化が、実は豊かで多彩なものだったことが明らかになりました。

豊かな森の恵みに支えられた狩猟・採集を生活スタイルとして、自由な発想の土器や石器だけでなく漆器まで作っていた縄文人。

しかし今から3000年くらい前の縄文晩期、気候の急激な寒冷化によって
一万年もの間築いてきた生活スタイルが揺らぎ始めます。
そのころ大陸からの渡来人は、西日本に稲作の技術を伝えました。

稲作というのは集団作業なので、たくさんの労働力が必要だし、水田から離れられない。
縄文のような生活や価値観の自由さは失われ、弥生時代になると、人が人を管理したり搾取したり、富のための争いや支配が起こってくる。
弥生のピラミッド型管理社会は、全体としては豊かになっていくかもしれないけれど、個人の個性というものはその中に埋没してしまう。


縄文時代というのは、土器ひとつとっても本当に個性的で、凄く手がこんでいる。そういうことをしてきた人たちというのは、きっと時間的なゆとりとか、ものを創り出す発想をあたためる時間というのを、とても大切にしていたという感じがします。


一万年続いた縄文文化、この間に蓄積された縄文の森の文化の伝統は
私たちの身体の遺伝子の中に、きっとインプットされていると思います。
そして世界が、日本が危機に陥った時に、その一万年の遺伝子が、ふっと覚醒するんじゃないか、それが危機を救うヒントになり、大きな要因になる。そんな気がするんですよ。



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今、世の中を見渡すとますます、自然とともに生きた縄文時代の人々や
ネイティブアメリカンの人々の智慧が必要だと感じます。

私たちはきっと誰もが、侵略された過去世も、逆に侵略した側の
過去世も持っていることでしょう。

その両方を体験し、どちら側の痛みも知った上で
今このとき、今自分がいる場所で、目の前に起こることに
精一杯、真心こめて取り組みたいと思うのです。