ごめんなさい | うちのとらまる

ごめんなさい



更新が滞って ごめんなさい


体調もイマイチだったのですが


気持ちの問題でした



今回の この記事が年末から


書けなくて 書けなくて


ずっと苦しかった


でも


これを乗り越えないと次に進めない


そう思うようにして


更新します





去年の9ヶ月間 


ほぼ週一のペースで福島に行き


ブログや週刊誌


写真集まで作っていただき


写真展もさせていただいて


情報を発信してきました


自分では自分なりに一生懸命


動物たちのために動いていたつもりでした




これで何かが変わってくれれば


動物たちに何か助けができれば


なんて思っていたのです





けれど




それは自分の傲りでした







20キロ圏内の牛たちは 何も変わっていなかった






うちのとらまる



ある牛舎




ここは畜主さまが 必死で餌やりに通っていた牛舎


そのおかげで 牛たちは数を減らしながらも


ずっと生き延びてきていました


しかし 餌やりでは この牛舎がある警戒区域に入る許可が出ないため


畜主さまは あらゆる方法を駆使し


かなり苦労をされて餌やり活動を続けられていたのです













うちのとらまる




私は8月にこの牛舎に行ったのを最後に


行くのをやめました



怖かったのです



あの浪江の牛舎のように


地獄絵図が再現されているだろうと思い


見るのが怖くて怖くて


行けなかったのです




このことはずっと心のどこかに残っていました




今回 


意を決して


牛舎を訪れました




偶然


本当に偶然に畜主さまもいらっしゃっていて


お話させていただきました




「今まで頑張ってきましたけど」


その続きは容易に想像できました




震災前は最多で120頭もの乳牛がいた牛舎


現在は10頭ほどになっていました


しかも あんなに大きかった乳牛たちが


痩せて小さく小さくなっていました




「もう限界です」




何も役に立てなかった


お前ごときが何ができる なんて言われるのは百も承知


でも 以前撮影した浪江の牛たちの写真を見て


行政や国が何かを感じ


方針を少しでも ほんの少しでも変えてくれたら


甘いでしょうけど そういう期待を持っていたのです










うちのとらまる





眠るように死んでいた子




「今日が最後だと思ってください」


「この牛たちのことは町に委ねました」




そう言って


今日最後になるであろう牛たちの世話を


黙々とされていました


牛たちは最期の晩餐となる藁を


お腹いっぱいになるまで食べていました


水も発電機を動かして汲み上げ たっぷりありました





私は泣きました




泣いて殆ど写真が撮れませんでした





















うちのとらまる




私が訪れた翌日


牛たちは


殺処分されたようです




【参考にさせていただきました】


HELP!東日本大震災の被災動物たち/JAVAスタッフブログ


ときぶーの時間







20キロ圏内の悲劇は


今なお続いています